トゥサンの美食家   作:yumui


原作:ウィッチャー3
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トゥサンの屋敷でぐうたらしていたゲラルトに怪物退治の依頼が訪れる。それは美食家の吸血鬼の噂だった。

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トゥサンの美食家

トゥサンの陽は金色のワインのように輝き、丘を包む葡萄畑に濃密な香りを落としていた。風はやわらかく、どこまでも穏やかで、獣の咆哮も、血の匂いも、剣の軋む音も――ここにはない。

 

ゲラルトは椅子にもたれ、革の装備ではなく、リネンのシャツ一枚で日差しを浴びていた。足元には白猫が寝そべり、屋敷の庭にはイェネファーの声が響いていた。

 

「このラベンダー、あなたが選んだの? まさかね。色が合わないわ」

 

黒髪の魔女は、庭に並ぶ鉢植えの前で手を腰に当て、軽くため息をついた。彼女のローブは白い日差しの中で深い紫に光り、風がその裾を揺らす。

 

「選んだのは、ガーデナーだ。俺は……ただ寝てただけだ」

 

ゲラルトは猫のような目を細めて答えた。目の前の木製テーブルには冷えたワインと、今朝イェネファーが焼いたハーブ入りのパンが載っている。驚くべきことに、彼女はこの静けさの中で料理を始め、しかもそれが悪くない味だった。

 

 

「つまり、あなたは何もしてないのね」

 

「いつも通りだ」

 

イェネファーは微笑んだ。それはほんのわずかな口角の上がり方だったが、ゲラルトにはそれで十分だった。ふたりはもう多くを語らなくても、空気の匂いと眼差しの交差で分かり合える歳月を重ねていた。

 

イェネファーが椅子を引いて隣に座る。ゲラルトは彼女の髪の香りを吸い込んだ。ラベンダーと……少しだけオゾンの匂い。魔力の残滓だ。

 

「このまま、何もしないで過ごすことに慣れてしまいそうね」

 

「それも悪くない」

 

「あなたがそう言うなんて、雪が降るかもしれないわ。トゥサンに」

 

「雪が降ったら、イェネファー。俺と雪の中で踊ってくれるか?」

 

「考えておくわ。足が冷えるのは好きじゃないけど、あなたが本当に踊るなら」

 

ふたりはしばし沈黙する。鳥のさえずりと遠くの馬のいななき。屋敷は静まりかえり、戦いに満ちた日々がまるで夢だったかのようだった。

 

ゲラルトはグラスを手に取り、イェネファーに一口差し出した。彼女は少しだけ飲んで、目を細めた。

 

「悪くないワインね。ここに来た価値はある」

 

「ワインと、俺と、猫。完璧な組み合わせだろ」

 

「犬がいればもっと完璧ね」

 

「猫の耳が動いたぞ」

 

「嫉妬してるのよ。あなたと私の間に入りたがってるの」

 

ふたりは同時に笑った。

 

この時間が永遠ではないことは知っていた。ゲラルトはウィッチャーであり、イェネファーは変わらぬ魔女だ。だが今は、怪物退治も娘を探す大冒険もない午後が、ただそこにあった。

 

トゥサンの午後はまだ暖かく、葡萄畑に赤紫の影を落としていた。屋敷の庭ではゲラルトが薪を割り、猫が日だまりの中でのびをしている。イェネファーは書斎に籠もり、古代ルーンについての論文に没頭していた。

 

その時だった。控えめなノックの音。屋敷の門に、薄汚れた旅装の少女が立っていた。

 

「……ウィッチャー、ブラビケンの殺し屋様、ですよね?」

 

声は震えていたが、目は真っ直ぐだった。栗色の髪を編み、背に小さな旅鞄。年の頃は十四、五。細身で、だが山の空気を吸って育ったのか、芯のある姿勢だった。

 

「そうだ。どうした?」

 

ゲラルトは手にしていた斧を脇に置き、門を開けた。少女は深く頭を下げた。

 

ゲラルトは手にしていた斧を脇に置き、門を開けた。少女は深く頭を下げた。

 

「お願いがあります。山の上に……怪物がいるんです。トゥサン中の料理人を攫って美食を作らせているんです。母も連れ去られました…。でも、おじいちゃんが言ってたんです。怪物を狩る伝説のウィッチャーがトゥサンにいるって」

 

ゲラルトの金色の瞳が細められる。

 

「どんな怪物だ?」

 

「……吸血鬼です。でも、ただの吸血鬼じゃない。人の姿にもなれて、何でも食べてしまうんです。皆、帰ってこなくなって……」

 

上級吸血鬼――高等種。ゲラルトはその名を聞いた瞬間、背筋に馴染んだ緊張が走った。テシャム=ムナでの死闘が脳裏によぎる。喉の奥で、久しく忘れていた感覚がうずいた。

 

「その山の名は?」

 

「カトゥレルの山です。村の人は“血影の巣”と呼んでます」

 

ゲラルトは黙ってうなずいた。そして猫の横を通り過ぎ、屋敷の中へ入った。数分後、黒い鎧と銀の剣を身にまとい、かつての“狩人”の姿となって戻ってきた。

 

イェネファーが扉の前で腕を組んでいた。

 

「また行くのね?」

 

「行ってくる。数日で戻る」

 

「何も聞かずに?」

 

「美食家の上級吸血鬼。珍しい獲物だ。行かない理由があるか?」

 

「気をつけてね。帰ってきたら、ラベンダーの湯を沸かしておくわ」

 

ゲラルトは頷き、イェネファーの頬に軽く口づけた。少女の方を向く。

 

「案内してくれ。夜になる前に麓へ着きたい」

 

少女は目を潤ませながらも、力強く頷いた。

 

白狼は再び歩き出した。剣を背に、獣の気配を感じながら、血の匂いをたどる旅へ。怪物と人の狭間に立つ者として――かつてそうであったように、今もまた。

 

風が吹く。カトゥレルの山の影が、遠くに静かに揺れていた。

 

#

 

カトゥレルの山は、トゥサンの陽気な風景には不釣り合いなほど陰鬱だった。道は細く、霧が漂い、風が吹けば腐葉土と鉄の匂いが鼻をついた。だがゲラルトの隣には、頼れる友がいた。

 

「やれやれ、どうやら今回の“吸血鬼退治”は、我々の種族にとって少しばかり……込み入った話になりそうだ」

 

そう口にしたのは、白髪のウィッチャーと並んで歩く、灰色の服を来た男、レジス。かつて血を啜って生きていた上級吸血鬼であり、今ではゲラルトの数少ない友人のひとりだ。

 

その後ろには、依頼主の少女が小走りでついてきていた。

 

「お母さん、無事だといいけど……」

 

「どこかの貴族の宴会かと思っていたが、これは悪趣味な吸血鬼の所業か」

 

ゲラルトは眉間に皺を寄せ、嗅覚を研ぎ澄ませる。山腹に開いた洞窟からは、焚き火とハーブ、スパイス、そして……新鮮な肉の匂いが漂っていた。

 

そして洞窟の奥。豪奢な絨毯と燭台に飾られた、場違いな“饗宴の間”が広がっていた。

 

その玉座にふんぞり返っていたのは、真紅のベルベットに身を包んだ痩身の吸血鬼だった。瞳はワインのように深く、爪は銀器のように細長い。

 

「おお、デトラフを討ったウィッチャー、ゲラルト! そしてレジス、まさか貴君まで! ようこそ、我がグルメの宮殿へ!」

 

「……サヴォリン。貴様だったか」

 

「どうして料理人を攫った」

 

ゲラルトの問いに、サヴォリンはゆったりと手を広げる。

 

「君たち人間は、血を飲まれることに怯えるが……我らが追い求めているのは、純粋な芸術だ。極上のスープ、洗練されたパテ、火入れ完璧な肉――それが我らの糧よ」

 

レジスが溜息をついた。

 

「まさか料理人を誘拐し、山の中で晩餐会を?」

 

「晩餐会ではない。試食会だよ。だが、我が宴の邪魔に来たのなら、取引を提案しよう。そこの娘が探しているのは、おそらくマーラという名の女だろう。ああ、あのブイヤベースの腕は絶品だ」

 

マリカの目が見開かれた。

 

「お母さん……!」

 

「ではこうしよう。勝負だ、白狼。このグウェントの達人である私と高度な知恵比べをするか…お前たち3人と俺の大食い対決か、ルールは簡単、皿が空になるまで喰らうのみ。勝てば料理人たちを解放しよう」

 

 

 グウェント勝負だ

▶大食い対決だ

 

 

 

「ゲラルト……ここは剣より、胃袋を使おう。今の君なら……」

 

「なに、久々の勝負だ。受けて立とう」

 

こうして始まった、大食い対決。

 

サヴォリンに攫われた料理人たちが、皿に次ぐ皿を運び出す。ロースト、キノコとトリュフのリゾット、フォアグラの血のソースがけ、さらにはカルパッチョまで。

 

ゲラルトは食べた。黙々と、職人のように。レジスは礼儀正しくワインを口に含みながら。マリカは母のためにと必死にフォークを動かした。

 

だが――

 

「……無理だ。腹が……破裂しそうだ……」

 

ゲラルトが苦悶の表情を浮かべ、ついにスプーンを置いた瞬間、勝負は決した。

 

「ふふふ……実に良い勝負だった」

 

「くそっ、もう我慢ならん!」

 

皿を叩き割ったのは、ゲラルトだった。鼻につく香辛料、無駄に贅を尽くした料理、そして何より、人間を道具としか見ていない吸血鬼の傲慢に――白狼の怒りが限界を超えた。

 

「貴様には……食欲しかないのか、サヴォリン!」

 

銀の剣が鞘から抜かれ、血のような光を浴びてきらめく。料理人たちがざわめき、レジスが低く呻いた。

 

「ゲラルト、待て、ここで戦えば――!」

 

だが時すでに遅し。

 

ゲラルトは卓を蹴り飛ばし、玉座の吸血鬼へ一気に距離を詰める。だが――

 

「……貴様、私の料理を踏んだな?」

 

その瞬間、サヴォリンの表情が変わった。誇り高き料理がぐしゃりと踏み潰されたその瞬間、彼の怒りが頂点に達した。

 

「貴様ごときが……私の饗宴を汚した!」

 

サヴォリンの腹部が、音もなく裂けた。

 

そしてそこには――巨大な牙を持つ口が開いていた。血の粘膜、揺れる舌、唾液に濡れた空洞。

 

「飲み込まれろ、小賢しき狩人ども!」

 

黒い渦のような力が迸り、ゲラルト、レジス、そしてマリカを飲み込む。

 

「っ……!」

 

「ゲラルト!」

 

「お母さん――!!」

 

#

 

三人は闇に呑まれ、落ちていった。腹というより、これは異空間。咀嚼と消化の迷宮。時間も空間も狂った、無限の胃袋。

 

「水……水は……」

 

「パンの耳でもいい……」

 

「上級吸血鬼は多種多様な姿や能力を持つというが…、ここまでとはな」

 

三人は腹の中で三日三晩を彷徨った。上下も方向もわからぬ粘膜の迷路。消化液が滴り、時折さきほど食べた豪勢な料理の幻が見え、誘惑してくる。

 

ゲラルトは数えきれぬ幻影の罠を切り抜けたが、空腹と絶望には勝てなかった。

 

「このまま……溶かされるのか……」

 

レジスでさえ疲弊し、マリカの目には涙がにじんでいた。

 

その時だった。

 

――「全く、またあなたは無茶をして……」

 

馴染みある声が空間に響いた。

 

馴染みある声が空間に響いた。

 

暗闇に紫の稲妻が走る。胃袋の膜を破って、空間が裂ける。光が差し込み、そこにはの魔女がいた。

 

イェネファーだった。

 

「来たわよ。さっさと戻るわよ、ゲラルト」

 

彼女の周囲には転移の門が浮かび、胃袋空間とトゥサンの屋敷のリビングが繋がっていた。

 

ゲラルトが目を細め、疲れきった表情のまま微笑む。

 

「遅かったな……」

 

「三日しか経ってないわ。こっちは全力で“サヴォリンの消化異空間”なんていう忌々しい次元を追跡してたのよ」

 

マリカが光に飛び込み、ゲラルトとレジスも続いた。

 

 

暗闇が閉じる直前、サヴォリンの怒号が胃の奥から響いた。

 

イェネファーが鼻で笑い、指を鳴らす。

 

「はい、胃薬でも飲んでなさい」

 

そして、胃袋の空間は封じられ、三人はトゥサンの暖かな光の中へ帰還した。

 

#

 

トゥサンの屋敷の一室。陽は傾き、テラスからはワイン畑と薄桃色の空が見えていた。だが室内は重苦しい空気に包まれていた。

 

「サヴォリンは不死に近い存在よ。あの腹の中に空間を作る力……単なる上級吸血鬼じゃない。下手な攻撃じゃ、また飲み込まれるだけ」

 

イェネファーが机の上の地図と魔導書を交互に睨みつけながら言った。

 

「彼の内臓構造を破壊するのは、極めて難しい。そもそも物理的な臓器の定義が崩れている」

 

レジスも、深くため息をついた。

 

「吸血鬼にとって“味覚”は肉体よりも強く結びついた本能だ。美食を追い求めるあの男には……逆に、味の感覚を利用できるかもしれないが……どうやって?」

 

ゲラルトは顎に手をやり、黙っていた。銀の瞳が宙を見ている。

 

そこへ、コンコン、とノックの音。

 

「えっと……その……お腹すいてるかと思って……作ってみました」

 

マリカだった。手には湯気を立てる木皿を持っている。中身は謎の色をした“何か”――黒ずんだスープと、ところどころ焦げたパン、そして形の崩れた卵のようなもの。

 

「……作ったのか?」

 

「はい。お母さんみたいに上手じゃないけど、頑張って――」

 

ゲラルトは黙ってスプーンを取り、ひと口すすった。

 

その瞬間。

 

「……ごほっ、ごほっ……ぐっ、ぐはぁ……っ……!!」

 

あまりの料理の不味さに椅子ごと床に倒れ込み、白目を剥いて痙攣する白狼。

 

「ゲラルト!? ちょっと、なにしてるのよ!」

 

イェネファーが駆け寄るが、ゲラルトは苦悶の顔のまま、震える手で天井を指差した。

 

「す、すみません…私の料理…独特な味をするって母に褒められて…」

 

痙攣するゲラルトの脳裏に電撃が走った。

 

「これは…いい案かもしれん」

 

#

 

再びカトゥレルの山。その奥深くに佇むグルメの宮殿。

 

サヴォリンは、豪奢な椅子にふんぞり返っていた。だがその表情には前回よりもいくらか余裕がなかった。口元にはまだあの忌まわしい大食い勝負の後遺症が残っていたのだ。

 

「また来たか、白狼。懲りないな。今度は何の用だ?」

 

燭台の揺れる光の中、ゲラルトは静かに進み出た。背後にはイェネファー、レジス、そしてマリカの姿。

 

「俺は実は――北方諸国最高の美食家なんだ」

 

「……なんだと?」

 

 

吸血鬼の目が細くなる。

 

「幾千の街道を巡り、怪物の肉から王族の晩餐まで食してきた。そして今――貴様のためだけに、究極の料理を用意した。条件は一つだ。俺の料理を食ってお前の舌が満足したなら、料理人たちを解放しろ」

 

「ふっ……ふはは……あまりに滑稽だな、白狼。だが面白い。良かろう。腕を見せてもらおうか」

 

ゲラルトは鍋を火にかける。材料はあえて、簡素なもの――というかこれしか作り方がわからない。固い黒パン、山羊のミルク、干からびた根菜、わずかにスパイスを効かせた古代流の保存食風スープ。

 

そして、静かに毒を混ぜた。

 

完成したそれは、貧しい農家の食事のようだった。

 

サヴォリンは器を受け取ると、じっくり香りを嗅ぎ、一口すすった。

 

「……ふむ。郷愁を誘う味。まるで、千年前の農村を思い出す……」

 

飲み干した。

 

毒が効く様子はなく――サヴォリンは何事もなく、涼しい顔のままニヤリと笑った。

 

イェネファーが次に前に出た。

 

「では、こちらを」

 

魔法で素材を調整し、上品な焼き菓子に極微量の幻惑毒を含ませた。

 

結果は――無効。

 

レジスも、吸血鬼ならではの発酵技法を用いた血のリゾットを差し出したが、これも効かなかった。

 

サヴォリンは笑いながら言った。

 

「うむ、普通だった。」

 

絶望的な空気が流れる中、最後に、マリカが震える手で皿を差し出した。

 

見た目はひどい。色も悪く、形もぐちゃぐちゃだった。どこか焦げ臭く、何の料理かも判別しづらい。

 

だがサヴォリンはその皿をじっと見つめ――やがて、ゆっくりとスプーンを口に運んだ。

 

沈黙。

 

一口、また一口。

 

その眼差しが、微かに潤む。

 

「これは……なんという……不協和音……。味がぶつかり合い、苦みと酸味が口内で喧嘩している……なのに、なぜ……この混沌に心を動かされる……」

 

吸血鬼は立ち上がり、腕を広げて叫んだ。

 

「これだ! まさにこれこそ、原始の味! 未完成でありながら、魂に響く――完全ではないからこそ、完璧だ!」

 

マリカがうろたえる。

 

「えっ、あの……本気で……?」

 

サヴォリンは近づき、手を差し出す。

 

「ゲラルト!この少女を私に渡せ!そうすればトゥサン中から攫った料理人達は解放してやる!いや!私の保有する金銀財宝も全てやろう!頼む!」

 

 いいぞ

▶駄目に決まってる

 

ゲラルトが、一歩前に出た。

 

「断る。マリカは渡さない」

 

サヴォリンの目が細くなる。

 

「取引は成り立たぬぞ。ならば全員、再び腹の中に迎えようか?」

 

ゲラルトは剣に手をかけた。

 

「いいや――最後の一手はまだ残ってる」

 

その言葉に、イェネファーとレジスも同時に動いた。魔力が放たれ、剣が抜かれ、夜の饗宴に最終決戦の幕が落ちる――!

 

「ならば――飲み込んでやろう!」

 

怒号とともに、サヴォリンの腹が再び裂けた。血のように赤黒く濡れた異空間が開かれ、空気が渦巻き始める。あの忌まわしい咀嚼の迷宮が、再び彼らを呑み込もうとしていた。

 

だが――

 

「マリカ、来い!」

 

ゲラルトはマリカを抱き寄せ、吸引の風の中心に立つ。そして鋭い声で言い放った。

 

「――いいか、サヴォリン。俺たちを吸い込めば、それで終わりだ。二度とあの料理は口にできなくなるぞ」

 

その一言が、吸血鬼の動きを止めた。

 

「……なに……?」

 

「お前が本当に欲しているのは、この娘の“料理”だ。味覚の混沌。原始の衝動。今、彼女を吸い込んで殺せば、二度とあの味には出会えない」

 

渦が止まり、裂けていた腹が、静かに閉じ始める。

 

 

「うーむ、確かにそうだ。ゲラルト、感謝しよう!」

 

「えっ?…あ、ああ」

 

イェネファーが雷光の魔法を構え、レジスは静かに構えを取る。

 

サヴォリンは一歩下がりながら、何かを吐くように呻いた。

 

「……ぐぅっ……」

 

その顔が青ざめ、口元に黒い液体が滲んでいた。

 

「ま、まさか……まだ胃の中に……あの料理が……!」

 

マリカの料理――それは毒ではなかった。だが、味覚の理性を破壊する力を秘めていた。

 

「味覚中枢が……錯乱して……味が……味が……まずいのか、美味いのかすらわからん……!」

 

サヴォリンの瞳が泳ぐ。自らの誇り――味覚の絶対感が、少女の未完成な料理によって崩壊していた。

 

サヴォリンはゲラルトに爪を振るう。

 

しかし、それはもはや最高の吸血鬼の動きではなかった。腹痛と味覚崩壊に苛まれた吸血鬼は、ただの狂ったグルメだった。

 

ゲラルトはその一撃をかわし、銀の剣で腹部を斬り裂いた。

 

「イェネファー!」

 

「任せて!」

 

紫電が弾け、サヴォリンの膝を打つ。体勢を崩した瞬間、レジスが一歩踏み出す。

 

「……哀れな兄弟よ。もう味わうものも、誇りも残ってはいない」

 

「……私は、慈悲でこれをやる」

 

そして――レジスの牙が、サヴォリンの首筋を噛みちぎった。

 

サヴォリンの体が震え、血と共に倒れた。

 

 

サヴォリンの体は崩れかけていた。

誇り高き吸血鬼の肉体は、戦いと味覚の混乱、そしてレジスの牙によって限界を迎えていた。

 

それでも彼は、まだ息をしていた。

床に膝をつき、首から黒い血を滴らせながら――その目は、少女を見つめていた。

 

「……マリカ……」

 

その名を、かすれた声で呼ぶ。

 

ゲラルトが思わず前に出ようとしたが、サヴォリンは両手を上げ、静かに言った。

 

「……もう戦わぬ。誇りも……美食も……すべて捨てよう。ただ……」

 

微笑むその顔は、かつての傲慢な吸血鬼のものではなかった。

どこか、子どものように空腹な男の顔だった。

 

「最後に……もう一度、あの……君の料理を、味わいたい」

 

マリカは震えていた。

 

彼は多くの料理人を誘拐し、母さえも苦しめた者。

けれどその顔には、怒りも欲もなく、ただひとつ――真剣な願いだけが宿っていた。

 

「……わかった」

 

彼女はうなずいた。

そして彼にそっとスープの器を渡した。

 

「お待たせ……」

 

サヴォリンは、器を両手で受け取った。

身体は崩れかけ、口も震えていたが――ゆっくりと、スプーンを口に運ぶ。

 

一口。

 

二口。

 

やがて、目を閉じて微笑む。

 

「……これは……混沌そのもの……しかし、どこかに光がある……まるで、生きている味だ……」

 

彼の口元が、優しく歪んだ。

 

「うむ、よかった…」

 

そして――そのまま、器を抱きながら崩れ落ちた。

 

灰となることなく、ただ、眠るように倒れた。

 

血に飢え、完璧を追い求め、美食を求め続けた吸血鬼サヴォリンは、満腹と安らぎの中で、静かにその生を終えたのだった。

 

 

#

 

料理人たちは全員無事に解放され、マリカの母と抱き合う姿に、イェネファーもレジスも微笑を漏らした。

 

「結局……世界を救ったのは、まずいスープだったのね」

 

イェネファーが肩をすくめると、ゲラルトがぼそりとつぶやいた。

 

「もう一度食べたら、今度こそ死ぬ気がするがな……」

 

レジスが言う。

 

「誇りとは厄介なものだ。だが、それを破るものもまた、時に未熟なものなのかもしれん」

 

ゲラルトは夕暮れの空を見上げながら、そっとマリカの頭を撫でた。

 

笑い声が、静かにトゥサンの山に響いていった。

 

 

 

 

 

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依頼:トゥサンの美食家

 

 

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