車に轢かれると思った瞬間に背中に強い衝撃を感じた。雪も相まって前方に転倒する。
その後すぐにドンッという鈍い音が背中越し伝わる。誰かの甲高い悲鳴が響く。
後ろを振り向くと、そこには車に轢かれて大量の血を流している光の姿があった。
脳がこの状況を理解することを拒んでいる。
何もできずただ茫然と光を見るを尻目に誰かが電話で救急を呼ぶ。その後すぐ駆けつけた救急隊員に光は救急車に運び込まれた。
その間も
その後のことは何も覚えていない。
目が覚めると視界に映ったのは病院の天井だった。
「光は…どこ?」
無意識に口からそんな言葉が漏れ出た。
そして、体を起こすと激しい倦怠感に包まれた。
その時に病室のドアが開かれた。
「あっ、千尋。目を覚ましたんだ」
「彩菜…」
いつもの彩菜では考えられないくらいに落ち込んだ様子であった。
「光は…光はどこに行ったの?」
その言葉に彼女は顔を歪める。
まさか…
嫌な考えが頭をよぎる。
「光は生きてるよね…?」
彼女は何も言わずただただ首を横に振るだけであった。温かいものが頬を伝う。彼女はそんな僕を見てこちらに駆け寄り抱きしめる。その瞬間に僕はここが病院であることも気にせずに大声を上げる。
「僕のせいだ…僕のせいで光は…」
その言葉を聞き、彼女はさらに強く僕を抱きしめる。彼女の涙が首に落ちるのを感じる。
どれほどそうしていただろうか。
もうすでに声も涙も枯れ果ててしまった。
「雄一くんはどこにいるの?」
「雄一はずっと集中治療室の外の椅子に座ってるよ。この総合病院に来てからもう三時間くらい経つけど一切動かない」
「そうなんだ…」
僕の方が先に死ぬと思っていた。
そのことを疑わなかった。
しかし、実際は光の死を犠牲に生きている。
あとたった五ヶ月で死ぬ僕が生き残り、何年も生きるはずだった光が死んだ。その現実は簡単に受け入れられるものではない。
「雄一くんのところに行ってくるよ」
そう言ってベッドから立ち上がると更なる倦怠感が襲ってきて思わず倒れそうになる。
「大丈夫!?千尋もあんまり無理しちゃダメだよ」
「大丈夫だから、行かせて」
「私支えるから一緒に行こう」
「ありがとう」
早く行きたいのに、体が言うことを聞かなくて歯痒い。
時間をかけてようやく雄一くんの元へ到着する。彩菜の言った通り、雄一くんはずっと俯きながら座っている。彼女の親友であったのだから、その絶望はきっと自分のものよりも深いだろう。
「起きたか…」
「うん…」
「光の親父さんには会ったか?」
「いや、さっき起きたばかりだから…来られていたのも今知ったよ」
「そうか…次会った時はちゃんと挨拶しないとな」
「そうだね…」
彼の顔には喋っている間も生気がまるでなかった。
いったい自分は今どんな顔をしているのだろう。
「雄一、もう二十二時だよ。そろそろ帰ろうよ」
「悪い、先に帰ってくれ」
「いつまでいるつもりなの…?」
「そんなの俺にもわかんねぇよ」
「雄一!」
彩菜の大きな声にようやく彼の顔が上がる。彩菜は気づけば、また大粒の涙を流していた。そんな彩菜を見て、雄一くんは赤く腫れた目を見開く。
「いつまでも俯いてるんじゃない!前を向け!辛いのは雄一だけじゃない!」
「何がわかんだよ…何がわかるんだよ!長い間ずっと一緒にいたんだぞ!彩菜よりも何倍も何倍も一緒にいたんだ!そんな光が急にいなくなってすぐに立ち直れるわけないだろ!」
「雄一の気持ちなんて完全にわかるはずがない!たった二ヶ月ちょっとしか一緒にいなかったんだよ!」
「じゃあ、口を挟むんじゃねーよ!」
雄一くんが怒りを体現するかのように、急に立ち上がる。二人の言い合いはどんどんヒートアップしていく。しかし、それと同時に涙声にもなっていく。
「いつまでも下を向いている人に口を挟んでないが悪いの!まるで自分が一番不幸みたいな顔をしている人に!」
「ふざけんじゃねぇよ!」
「ふざけてない!いつまでも親友の死を見て見ぬ振りをしている雄一の方がふざけてるよ!」
「っ…!」
何も言い返せない雄一くんが再び椅子に座って両手で顔を覆う。
「だから俯くな!俯いて古川が生き返るわけじゃない!どれだけ悲しんでも古川は帰ってこない!だったら古川の分も、私たちが生きるしかない!」
その言葉を聞き再び彼は顔を上げる。
「そう、俯かずに前を向いて!自分が通るべき道の先が見えるように!」
静かな廊下に彩菜の声が反響する。
自分の心にもその言葉が響く。
雄一くんは何も言わなかった。しかし、俯くことはしない。ずっと顔を上げて前を見ている。
「私だってね、たった二ヶ月しか一緒にいなかった私だってこんなに悲しいんだよ。雄一がどれほど悲しみに暮れているか想像もつかない。」
彩菜は雄一くんを抱きしめて続ける。
「私だって古川に、光に彩菜って呼んでほしかった。光の笑顔をこれからも見たかった。雄一のことで一緒に語り合いたかった。けれど、それはもう叶わない。それが何よりも辛いよ…」
「俺もまだ光といたかった。隣に立ちたかった。支えになりたかった…」
泣きながら雄一くんも彩菜を抱きしめ返す。
その光景を見て自然と僕の体が動く。二人を抱きしめて声をあげて泣く。
そうしていると、声はやがて止み、鼻を啜る音だけが聞こえる。
「雄一、帰ろう」
「あぁ、帰ろう」
もう時刻は二十三時を回っていた。
「じゃあな、光」
集中治療室の扉の方を向き、雄一くんが言った。それに倣って僕と彩菜も永遠の別れを告げる。
外はまるで僕らの心を表すように雨が降っていた。
光の死から数日が経過した。
少しずつではあるが彼女の死を受け入れ、心の傷が癒てきた。しかし、僕には大きな心残りがあった。
僕はあと五ヶ月したら死ぬ。
このことを雄一くんと彩菜にいつ伝えれば良いのだろうか。
彼らはいま光の死を乗り越えている最中であるのにも関わらず、自分が二人の足を引っ張って引き摺り下ろすようなことをしても良いのであろうか。
今まで余命のことを話さなかった自分を恨む。
そんな意味のないことをしていないとこの悩みで押し潰されそうになる。
最近体調は良好だ。彼女がまるで僕に寿命を分けてくれたような、そんな感じがする。
明日は彼女の葬式がある。
そのときに彼女の父親に挨拶しよう。
彼女のお葬式は僕らの心情にまるで似合わない晴天の日に行われた。彼女のお葬式には親族だけでなくクラスメイトの姿があった。
彼女との関わりがなかったように思えるクラスメイトも例外なく。
いつも通りの日々を送っていた時に訪れた突然のクラスメイトの死に彼らは何を思うのだろう。
悲しんでいるのだろうか。
驚いているのであろうか。
それとも無関心であろうか。
葬儀会場に入るとそこには彼女の父親らしき人物が喪服に身を包んでいた。
今ご挨拶するべきなのであろうか。
それともその行為は無礼であるのだろうか。
お葬式に参列することは初めてで何もわからない。
しかし、ここで機会を逃したらその後いつご挨拶できるかわからない。たとえ無礼であっても今やらなければならない。
「突然申し訳ありません。光さんのご遺族の方でしょうか」
その男性は少し驚いたようであった。
「そうです。光の父親の古川 京一郎です。もしかして、野村 千尋くんかい?」
「はい、その通りです。この度は心からお悔やみ申し上げます。」
「こちらこそわざわざ来てくれてありがとう」
「光さんとは非常に仲良くさせていただいていました。彼女は一生忘れられない友人であり、僕の命の恩人でもあります。彼女には感謝してもしきれません」
京一郎さんの目には涙が浮かんでいた。
それを見た僕は我慢していた涙をもう堪えられなかった。
「野村くんの話は聞いているよ。私の娘が君の命を救ったことを親としてとても誇りに思うよ」
その言葉で僕は改めて彼女を失った理由の一端が僕に関係していると思い知らされる。
「もしよろしければこの手紙を納棺していただけませんか」
そう言って、何日もかけて書いた彼女への手紙を差し出す。
「ありがとう。ありがたく納めさせてもらう
よ。」
京一郎さんは両手で僕の手紙を受け取る。
「では、そろそろ失礼させていただきます」
「ちょっと待って。今まで光と仲良くしてくれて本当にありがとう。これは光の財布にあったものだ。ぜひ受け取って欲しい」
京一郎さんが渡してきたのは、以前光と一緒に訪れた神社のおみくじであった。
彼女との思い出が頭の中に流れる。おみくじを受け取り、それを胸の前に持ってくる。
涙は尽きることはなかった。
そうして、京一郎さんの元を離れて、席に着こうとした時に雄一くんと彩菜の姿が目に入る。二人とも涙を流してはいたが、彼女の最後の姿を見届けようと、しっかりと前を見つめていた。
彼女のお葬式は恙無く終了した。
帰り道は雄一くんとも彩菜とも一緒ではない二人とは会話を交わすことなく帰路につく。
周りから見たら今の僕はどのように映るのであろうか。
失恋をした学生と思われるのであろうか。
それとも、ありのまま友人の葬式を終えた帰りであると思われるのであろうか。
田舎であるこの街には歩道というものがなく車道と一体化している。後ろからクラクションを鳴らされる。
僕はその車を睨む。
彼女は僕を庇ってその生涯を終わらせてしまった。
僕が車を恨むのは許されるのであろうか。
家に帰り、着替えることもなくベッドに倒れ込む。京一郎さんからもらった彼女のおみくじを開く。そこにはこう書かれていた。
事故に注意せよ
怒りで破りそうになったが、なんとか堪える。
どうやらこのおみくじは本当に当たるらしい。
僕の引いた『凶』は僕の死ではなく、彼女の死を示していたのかもしれない。
おみくじを元の状態に直して、しっかりと自身の財布に保存する。
このおみくじを持ちながら死にたい
そう思いながら、体を起こしてようやく服を着替え始めた。