そこに最も深い疑問を持っていたのは、他でもなくミノフスキー博士、本人だった。
ミノフスキー粒子を捉えた頃、ミノフスキーはまだアナハイム・エレクトロニクスの息のかかった月面の研究所にいた。
きっかけは粒子加速装置をいじくりまわしていた時だった。
ほとんどの電磁波を遮断する「場」が生み出せたことに気づいた。
当初、実験装置がうまく働かなくなったことから、機械の故障かと思われた。
だが、原因は電磁波の遮断だった。
その電磁波の遮断を突き詰めていった結果、後にミノフスキー場と呼ばれる現象を安定して再現できるようになった。
そして共同研究者のイヨネスコ博士とともにミノフスキー・イヨネスコ核反応炉の理論を完成する。
しかし、この電磁波の遮断の作用についてミノフスキーとイヨネスコは真っ向から対立した。
イヨネスコは「逆位相の干渉」を強く推し、ミノフスキーは「未発見の素粒子、あるいは既知の粒子の異なる形態」を唱えた。
当時、理解の易しいイヨネスコ説を学会は支持した。
また、イヨネスコは当時所属していた研究所の事務方を抱き込むことでミノフスキーを研究所から追放。
さらにミノフスキーを学会からも「不払い」で追放することに成功し、核反応炉の発明の栄誉を独り占めしようとした。
しかし、二人にとって致命的だったのは「可視光線の透過」という点であった。
イヨネスコの唱えた逆位相説は極めて脆く、「場」の起こす現象を何一つ説明できずに消えていった。
対して、学会を追放されたミノフスキーは、核反応炉を誰よりも欲していたジオン公国軍の下で「粒子説」を強化していった。
ジオン公国軍でさらに核反応炉の開発を続けたミノフスキーは、「イヨネスコ」の名を核反応炉に残すことにこだわった。
それは物理学の歴史から自らを抹消したイヨネスコへの意趣返しでもあった。
自分は対立する研究者を陰湿な方法で追放したりはしない。
また、イヨネスコの名が残ることでイヨネスコの仕打ちも後世に残るだろう。
そうして、粒子散布装置の開発に至って粒子説は完全に逆位相説を駆逐し、ミノフスキーの名はミノフスキー場、ミノフスキークラフトと多くの現象に名を刻むことになる。
しかし、依然、「可視光線を透過する」理由にたどり着けない。
なんならミノフスキー粒子と名を刻まれたその粒子がボース粒子なのか否かも定かではない。
そんな不可解なまま技術だけは宇宙に蔓延し、現象は人々を裏切らない。
身を寄せたジオン公国軍は新たな軍事技術には興味はあっても、もはやミノフスキー粒子の基礎研究には興味がなくなってしまった。
--私はこんなにも欲しているのに、私以外の誰一人として、この粒子の正体を欲しない。
その思いは日々深まる。
思い返せば自分を追放したイヨネスコですら、軍人に比べればマシだった。
結局、ミノフスキーはジオン公国軍……ひいてはスペースノイドに推される形でミノフスキー物理学会を設立し、形だけの初代会長に就任することになる。
ミノフスキー物理学は別にスペースノイドだけのものではないため、地球から学会に参加する人間も後を絶たなかった。
だとしても、やはりミノフスキー物理学に世の中が期待するのは兵器であった。
さて、
ミノフスキーが地球で開かれる初めての学会に呼ばれたのは宇宙世紀0071年だった。
ミノフスキーはそのころになると可視光線問題に取り憑かれる疲れからため息ばかりつくようになっていた。
「地球の重力はやはり体にこたえますか?」
ミノフスキー物理学会のプレイベントを計画している現地の大学生が声をかけた。
「いや、まだ大丈夫。スペースノイドとはいえ鍛えてはいるからな。」
人口重力下で主に生活するスペースノイドの中には、習慣的に体を鍛える人間が少なくない。
習慣化しておかないとコロニー間の移動時などに筋力低下などの無重量障害を抱えるでリスクがあるからだ。
「ただ、青い空の向こう側に宇宙があるのは理解できていても、納得するのは難しい。書き割りの空のように感じてしまう。」
コロニーにも青空を模した施設はいくらでもあるが、ミノフスキーには逆に地球の空がまがい物に見えていた。
「地球の大気がおよそ450ナノメートルの電磁波を通すことで、アースノイドは青い空を見ている。」
そう呟いたミノフスキーと学生は人工島に作られた宇宙港からモノレールでダカール駅に向かおうとしていた。
学生の先導でモノレールのホームにたどり着く。
周りを見ると荷物を膝に抱えて電動車いすで移動しているスペースノイドも少なくない。
基本的に自分の脚で歩けるはずだが、慣れない地球で転倒するのは怖いのだ。
ミノフスキーも「慣れるまでは車いすに頼るか?」という考えが頭をよぎったが、学生に荷物を持たせている手前なんだか気恥ずかしかった。
ステッキもある。
「博士はお転びにならないと思います。」
宇宙港まで迎えに来た内の一人、現地の大学教授が、そんなミノフスキーの心中を見透かすように言った。
「分かるものですかな?」
ミノフスキーは他意無く尋ねるとその教授は首を縦に振った。
「コロニーから来る方を何度かお迎えしていますが、よほどご高齢時でないかぎり渡航許可が出ている限りはそう転びません。危ないのは月から来る方です。」
「そう言われれば……」
ミノフスキーは合点がいったようだ。
彼自身が月面からコロニーに移り住んだ経緯がある。
月面では地球の重力の6分の1とはいえ物は下に落ちるので生活に支障がないので、人口重力は使わない。
「月面からサイド3に移住したとき、苦労したのを忘れておりましたな。」
全体的に朗らかなムードでモノレールの到着を待つ。
ミノフスキーにとっては久しぶりの列車で、地球で初めて乗る列車だ。
ホームには乗降ドアが設置されていて、モノレールの到着までは閉ざされている。
一同はその一つの前に並んで列車が来るのを待った。
「自動運転ですが運転手は乗っているんです。自動運転が正常に作動するかを確認するんです。なんか変ですよね?」
入ってくる列車を見ながら、先ほどの教授がミノフスキーに話を振った。
他愛もない話に機嫌のよいふりをしながらミノフスキーはやや緊張していた。
ほとんどのコロニーではすべての乗り物が時速40kmで制限されている。
これは跳ね飛ばされたものがコロニーの空中を漂って降りられなくならないためだった。
コロニーのスペースノイドたちは、コロニーの内側にへばりついて生きている。
そのコロニーが自転することで外向きの斥力を発生し、それを人口重力としているのだ。
しかし、コロニーの回転軸に外から入ってきたモノは人口重力を感じない。
浮いている自分の周りをコロニーが回っているだけに見える。
コロニーで人口重力を受けている物体もコロニーの自転よりも速く逆方向へ回れば人口重力を相殺して浮かび上がることができる。
実際に浮かび上がろうとすると約マッハ0.5の速度が必要なので、時速40kmの制限はあまり現実的ではない。
とはいえ、車両同士が正面衝突で事故を起こしたときに、事故の破片がコロニー内に浮遊する……といった出来事は決して非現実的ではないのでコロニーの住民は基本的に乗り物の速度については慎ましく生活している。
対してモノレールは時速70kmほどで接近してきて減速してホームに入ってきた。
ミノフスキーからすれば暴走列車の類だ。
--これに乗るのか……
緊張を気取られまいとするミノフスキーの前でホームの乗降ドアが一斉に開いた。
「おお!」
ミノフスキーは立ち尽くした。
「博士、乗らないのですか?」
不穏を感じた出迎えの学生がたまらず声をかける。
ミノフスキーは咄嗟に
「速すぎる」
と応えた。
しかし、実際にミノフスキーが考えていたことは全く別のことだった。
ミノフスキー粒子が透過するのがなぜ可視光線だけだと考えていたのだろう?……と自問自答していた。
そこからミノフスキーはどうやって学会会場まで移動したのか覚えていない。
学会中も上の空だった。
あのホームで見たドアが一斉に開く瞬間の光景がずっと目に焼き付いていた。
ミノフスキーが立っていたドアが光の波長だとすると、その離れた隣のドアは一体どれぐらいの波長なのだろう?
光は電磁波の一種で人間の目に見える波の長さを持っているので可視光線と呼ぶ、ミノフスキー粒子はだいたい400ナノメートルから800ナノメートルの長さの電磁波を通す性質がある。
ずっとこれまでミノフスキーはそのミノフスキー粒子が電磁波を通す「窓」は可視光線の領域の一か所だけだと考えていた。
実際にそれ以外の領域を通さないからこそ核融合炉の小型化が可能なのだと考えてきた。
しかし、実際にはホームのドアのようにとびとびの波長に対してドアを開けていたとしたら?
*****
この話はミノフスキー博士の手帳に走り書きされていたメモと、当時出迎えに行った人間の証言から作られた想像の話だ。
実際に手帳には「場は光のみを通す窓ではなく、あのホームのドアのようではないか?」と書かれているにとどまっている。そこには簡易なイラストも添えられていて、ミノフスキー場が通す電磁波の波長が数か所に分かれている様子が書かれている。
しかし、ミノフスキーはこの仮説を学会で発表しなかった。
代わりに地球での学会が終わるや否や、自分の研究室に(文字通り)飛んで帰って、過去の莫大な実験データから自分の推論を裏付けるデータを探し始めた。
そして、これまで「新しい粒子を発見した」と考えていた粒子が光子の親戚ではないか?というところまでたどり着き、志半ばでこの世を去った。
この兵器開発に見向きもしなくなった老いぼれ科学者の最後の研究ノートの存在は、驚くほど人々の関心を惹かなかった。
そもそもミノフスキー博士が何の研究をしているのか誰もよくわかっていなかった。
ある人は「大科学者が人生の最後に宇宙のルールを統合したいと考えるのは(アインシュタインがそうであったように)自然なことだと考えて、気に留めなかった。
しかし、その最後の研究のノート……半ばで途絶えてしまったノートを読めば、ミノフスキーはそんな事には興味がなかったことがわかる。
そのノートはのちに「ミノフスキー断章」と呼ばれる。
本当の話をすると、その少年「ヒカリ」は平穏を好む性質だった。
男児の多くがそうであるように彼もまた冒険への仄かな憧れも持ってはいた。
それはただの子供じみた憧れであって、冒険の入り口に立つと引き返したくなるような人間だった。
冒険は一種特有の空気を纏っている。
その空気に近づいて触れることで怖気づく性根を晒してしまうような、そんな普通の子供であった。
ただし、彼はスペースノイドにとっての動乱期に生を受け、その動乱を日常としている。
コロニーを転々としながら故郷を知らずに育つ事にも何ら違和感を感じていない。
そもそも父母が実験コロニーの研究者で、いわゆる転勤族だったのも関係している。
身の回りの同世代もおよそ似たような境遇であった。
研究と戦火に追われる流浪の民だ。
その彼に人生の転機が訪れたのは13歳の頃だった。
一人っ子だった彼はいつものように父母との引っ越しだと思っていたが、いつもと様子が違う。
「ヒカリ、次は木星に行くんだ。」
ヒカリには「木星に行く」の意味は分からない。
ただ、両親の覚悟の表れた顔を見て、何やら深刻なことには気づいた。
果たして彼と両親、フリース一家は片道2年の木星航路へ向かうことになった。
ここで木星航路の説明をしておかねばなるまい。
木星には人は住めないが、木星の衛星や、木星に対してのラグランジュポイントには人は住める。
それをひっくるめて木星圏と呼ぶ。
この宇宙世紀、地球内外問わず人類が生活する折に必要なエネルギーは99%が核エネルギーで賄われていて、その核燃料の供給は木星に100%依存している。
だから莫大なエネルギーがかかる木星圏と地球圏の往復は絶やさず行われている。
片道2年、往復4年余りの木星航路に使われる船は全長2000メートルのジュピトリス級輸送艦で、コロニーのような人工重力を持つ居住エリアや工場まで載っている。
はたして、ヒカリ・フリースは本来子供は乗れないはずのジュピトリス級に乗って、一路、木星を目指すことになる。
では実際にヒカリ・フリースの胸中はというと、あまり深刻に受け止めてもいなかった。
元々、転校だらけで学校になじめなかった彼は、ジュピトリスの中に学校がないと知ってほっとした。
両親の意向で通信で教育を受けることになり、ヒカリはそこでぐんぐんと成績を伸ばしていった。
マイペースな彼には向いていたのだろう。
また、プロフェッショナルがそろっているジュピトリスの中では、お利口にさえしていれば彼が興味があるどんな学問でも修められることを彼は知った。
ヒカリ15歳。
立派なエンジニアのたまごとして木星圏へ到着したのだった。