さて、話をアザニア基地の大浴場のヒカリに戻そう。
大浴場の大きな窓の外にはくっきりと木星が見えていた。
「でっかいなあ……」
リシュモンの話だと地球から見る月の8倍以上大きく見えるそうだが、あいにくヒカリは地球から月を見たことがない。
ただコロニーから地球を見た経験はある。
それと比べても2倍ほど大きく見えるのではないか?
「あれ?リシュモン!」
呼ばれたリシュモンは平泳ぎでヒカリに近づいてきた。
浴場という名前ではあるが、入浴者たちは水着を着ている。
「コロニーから見る月の大きさと、地球から見る月の大きさって変わらないんじゃない?」
「L4とL5はそうだな。サイドでいうとサイド1、サイド2……サイド3は月の裏だから違うとしてサイド4か?」
ヒカリは自分の考えが正しかったことを知って満足だった。
「サイド6もそうだよ、サイド2とお隣なんだから。」
「ならそうか、サイド5とサイド7がまた全然違うところにあるんだな。サイド8もか?」
ヒカリは泳ぎ去っていくリシュモンの背中に「サイド8はないよ!」と声だけかけた。
ヒカリはもう一度木星に目を向けると更衣室に自分の端末をとりに行く。
「AI、木星にはラグランジュポイントはいくつあるの?」
「おこたえします。木星には約80の衛星が確認されていて、一つの衛星につき5つのラグランジュポイントがあるため単純計算で400のラグランジュポイントが存在します。ただし、木星とその衛星は質量差が大きく、実用性が特に高いラグランジュポイントはイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストのそれぞれのL4とL5で、計8カ所ということになります。より多くのことが知りたければ……」
「大丈夫ありがとう!」
ヒカリはAIとの会話を強引に打ち切る。
実際には宇宙世紀初頭、衛星イオなどは近すぎる木星からの電磁波と放射線の影響が強すぎて、軌道上にまともな施設は浮かべられないと考えられていたが、近年はミノフスキー粒子を散布することでその両方の影響を遮断できるため、イオの軌道にも利用価値があると考えられている。
このミノフスキー粒子を利用することで木星に接近できる仕組みは採掘プロセスを大幅に改善した。
そうした経緯で木星圏にはミノフスキー物理学信者はとても多い。
ヒカリが風呂を出ると基地内を反対側から歩いてくる父親と出くわした。
「父さんは今からお風呂?」
「ああ、そうだ。ヒカリはもう入ったのか?ああ、リシュモンさんいつもありがとうございます。」
リシュモンは会釈すると、そのままクラークの後ろの所長に声をかけた。
「ご無沙汰してます、センセイ。ちゃんと運動さぼらずにやってます。」
「リシュモン、少しやせたかな?後で一回、診療所に顔出せ。」
ヒカリは父クラークと知らないオッサンたちの群れが浴場に行くのを見送ると、リシュモンに向き直った。
「次はどこ連れて行ってくれるの?」
「よし、基地から出よう。」
「出れるの!?」
リシュモンは地下鉄があるのだと言う。
ヒカリはてっきり駅があるのかと思ったら、辛うじて密閉されている簡素なトロッコみたいな乗り物が線路に乗っているだけのブツへ案内された。
「地下鉄って……これ?」
リシュモンは咎めるようなヒカリの声に抗議した。
「地下を走る鉄道だから地下鉄で間違いないんだよ。これでも4人も乗れるんだぜ?」
二人で乗り込むとリシュモンがトロッコを操作した。
「自分で操縦するの!?」
「おう。アザニア基地は木星圏最大の基地とはいえ、木星圏の人口自体が1万人もいねえんだから、地球圏でいうところのド田舎よ。」
加速と減速しかない簡素なトロッコで基地を出ると、ヒカリは想像を絶する景色に息をのんだ。
「氷のトンネル!?」
「そりゃあそうよ。カリストは氷の大地なんだから、地下鉄も氷の下を走るってことだ。」
リシュモンは予想通りヒカリが景色に驚いたので満足だった。
別に行先などはどこでもよかったのだ。
このトロッコにさえ乗れれば目的の半分以上は果たした。
かすかに陽光を透かす氷の地下道をひた走ると、トロッコは別の基地らしきところへ差し掛かった。
「リシュモン!なんか見えてきた!」
「あれが目的地、『カリスト作業機械試験場』だ。」
トロッコを減速しながらリシュモンは答えた。
「カリストの地表と地下の様々なシチュエーションでモビルスーツや作業機械の運用試験をする、巨大な実験施設だ!カリストは水が豊富だから水陸兼用モビルスーツの実験までやれるんだぜ!」
「ガンダムとかあるのかな!?」
ヒカリは目を輝かせる。
「多分、ねえんじゃねえかな?」
実際に無かった。