連邦軍のスペーススーツは一年戦争時にその大半が失われてしまった。
その後、連邦軍は新型のスペーススーツを配給したが、実は一年戦争前に製造されていたスペーススーツは物資も製造コストも製造にかかる時間も潤沢だったため高品質なモノだった。
そのリソースが一年戦争で失われたために、その後に急造されたスペーススーツは品質に難があった。
その傾向はジオンにおいても同様であった。
ジオン公国軍が成立する段階ではすでにスペーススーツ製造に割ける資源には限界があり、意匠は凝らしているが、性能はいまいちなものがジオン公国軍のスタンダードなスペーススーツだった。
そうした事情でスペーススーツの品質だけの話をすると宇宙世紀70年ぐらいまでに作られたスーツの美品が最も高性能で高品質で、そこからスーツはどんどんぺらぺらになっていった。
木星船団公社ではその点、戦争が起きてないので高性能なスーツが残りやすく、しかも、木星圏仕様のスペーススーツが幅を利かせている。
この事実は多くの軍人が知らされていない。
純粋に士気に関わるからだ。
しかも、モビルスーツ戦においてスーツの性能が勝敗を分けることはまずない。
長々と何を解説しているかというと、ミイワ隊の着ているスーツはカリストの強烈な低温にはほとんど対応していないという事だ。
「喉が痛い……」
隊員の一人がつぶやく。
低温によって空気が乾燥している。
呼吸すると鼻の奥から異音が聞こえる。
鼻毛が凍っていく音だ。
「全員ヘルメット装着しろ!!」
とはいえ、携帯している者はほとんどいない。
その辺の緊急用のスペーススーツの格納場所をぶち破ってヘルメットを取り出してかぶる。
しかし、次に襲ってくるのはスーツ越しに伝わってくる寒さだ。
エアのボンベも持っていない。
減圧事故事故発生時用に基地の要所にあるエアホースを引きずり出して、各々がスーツに接続して酸素の問題は解決したと思いきや、基地全体へ送り込まれる熱量自体が足りていない為、圧縮空気はほとんど加温されないままヘルメットの内部を満たす。
「クルーザーまで撤退!!」
ミイワがヘルメットの中から叫ぶ。
辛うじて聞き取れた者がホースの接続を外して、クルーザーを停めたポートに移動を始めるが、木星が見えていたはずの窓が完全に霜に覆われ、小さな氷柱(つらら)が各所につき始めている。
兵士たちは寒さによって骨が鳴り、内臓が千切れるほどの震えを押し殺しながら、一歩ずつクルーザーに移動する。
ミイワは迫りくる凍死の恐怖に悪態をつくこともできなかった。
実はカリストも月面の夜の面も最低温にさほど差はない。
なので低温の恐ろしさは軍人なら誰でも理解しているつもりだったが、月面では昼の表面温度が100℃を超える為、安全用に蓄熱設備がある。
昼の日照で温まった砂が貯蔵されていて、それが安全装置になって基地内で超低温に晒されることはまずない。
隊がクルーザーに帰りついたときには、相当な人数が失われていた。
ミイワは怒りに任せてアザニア基地を破壊しようか一瞬迷ったが、木星からのヘリウム3の輸送に影響が出るレベルの破壊活動を行った場合、ミイワに生き残るすべがないのは明白だった。
ミイワはアザニア基地の占領時に何かしら重要な設備を破壊した可能性に慄きつつ、ここは「木星帝国初代皇帝」を名乗る若造の言う事を真に受けて、アザニア基地にはミノフスキー断章は無いと断じるのが上策だと考えた。
ミイワ大佐は部下の命を惜しむような人間ではないが、兵力が減ったのは無念だと感じている。
すぐにでも生き残った者に号令をかけて次の行動に移るべきだが、肝心のミイワ自身もクルーザーの床の上で倒れ込んだところを、クルーザーに残した留守番の兵士に介抱されている状態だ。
寒いはずなのに全身が灼けるように熱い。
そして、ところどころ体の感覚がない。
指示を出そうにも奥歯が震えてしゃべれない。
やっとの思いでカリスト引力圏からの離脱を支持して、ミイワは昏倒した。
*****
「とんだ玉砕ジジイだ。」
作業機械試験場にはカリストの氷床上で活動できる耐冷スーツがある。
クルマタニはアザニア基地の異常を察知していたが、ミイワ隊がいるうちは身動きが取れなった。
なのでミイワ隊のクルーザーが飛び立ったのを確認したのちに封鎖を解いてアザニア基地にやってきたのだ。
低温なのは窓を外から見ればすぐわかるので、それは良い。
ところが庁舎の管理センターの気温設定を見ると40度をさしている。
アザニア基地に隠れている者の大半が、減圧用のシェルターに閉じこもっているのは予想出来ていたが、この低温もあまり長く続くとシェルターの中ですら危険になってくる。色々、話し合った末に「送熱設備をやられたのではないか?」という話になって来てみると、案の定、送熱チューブの弁を締めている奴が転がっていた。
元リタニ開発の社長、ボロルマだ。
弁がそこにあるとはいえ、別にその場所が暖かいわけではない。
ただ「そこで弁が操作できる」というだけの事で、この場所も他と同様に超低温に晒されている。
つまりボロルマもまるで百年前からそこにあったかのようにカチンコチンに凍っていた。
「イイ顔しやがって……」
ガラにもなく言葉遣いが汚くなった自分に、クルマタニは少し苦笑した。
凍ったボロルマの最後の表情は、自然と見る者の口元がほころぶような、ニヒルとアイロニーにあふれた満足そうな顔だった。