アヤメ・フリースはまだ生きていた。
夫のクラークと共に銃撃は受けたが、当たり所が良かったのだ。
しかし、自分がもう長くないであろうこともうっすらと感づいていた。
目の前で夫が亡くなったからと言って気落ちしている暇はない。
応急処置だけの状態で命からがらカリスト作業機械試験場に逃げ込み、孫と義理の娘であるクロエの消息を尋ねると、共に大枢党に「誘拐」されたと聞いた。
本心を言えば、もう一度、息子の顔を見たいところだが、距離的に無理だろう。
遠のく意識の中で息子にメッセージを打とうとするが、指に力が入らない。
近くにいた人にお願いして、紙に息子へのメッセージを書きとってもらう。
ある程度、その作業が終わったところで、やっと息子のヒカリから連絡が来た。
「母さん!大丈夫!?」
アヤメはぼやける視界の中で努めて元気な声を出した。
「私は大丈夫、それよりクロエちゃんとミイちゃんはシャオさんのところに行ったから安心して……」
アヤメは今になって本当はもっと沢山息子と話しておくべきだったと思いつつ、でも、どれだけ話したところで満足できる日などは来ないのだろうと思った。
「ごめんね、ヒカリ……ありがとうね、ヒカリ……」
「母さん!?」
アヤメはヒカリに自分がもうすぐ死ぬことが伝わってしまって少し悔しかった。
ヒカリには謝りたいことも山ほどある。
結局、一人っ子のままでごめん。
何も言わずに木星に連れてきてごめん。
巻き込んでごめん。
最後にお父さんに会わせてあげられなくてごめん。
夫も息子も振り回した身勝手な人生だった。
そんな身勝手な妻なのにクラークは文句を言わずに支えてくれて、身勝手な母親なのに息子のヒカリは孫の顔まで見せてくれた。
孫のミライを見るたびに、ヒカリが小さかったころの思い出を少しずつかみしめながら。
不意にこぼれる幼かったころのヒカリの面影に気づいては、若くて向こう見ずだった自分の当時の心も反芻していた。
木星圏という難しい場所で、懸命に家族の場所を作って、家族との時間を作ろうとするヒカリは自分よりもずっと子供の親に向いていたな……と。
アヤメがふと気が付くと、自分の瞳はもう何も映していない事に気づいた。
ただ、乳白色の光だけが見えていて、受話器の向こうでヒカリの涙声だけがハッキリ聞こえている。
「あなたはイイお父さんだ。」
火箸を突っ込まれたような銃創の灼けるような痛みももはや消え失せていた。
もっと息子と話せばよかったと思っていたハズの自分が、今、とても満足していることに気づいた。
アヤメは「私が母親としてすべきことは全て終わった」とふと感じた。
きっと短い時間だけど、これから自分のために生きようと思ったのだ。
母の最期の言葉をヒカリは聞いた。
受話器の向こうで母アヤメが、か細くとも幸福そうな声で
「クラーク、クラーク、私のクラーク。」
と言ったのを確かにきいたのだ。