カーンの動きは速かった。
アザニアの特許系でも腕利きの法律家を呼んで契約書を作り、公証人を呼んで研究室の4人全員と契約書を交わした。
その上で、基地の世話役を集めて採択をとると、アザニア基地とアヤメ・フリースで出資比率60:40の合資会社を立ち上げた。
「サイコバンド製造販売合資会社、代表取締役アヤメ・フリースです。よろしくお願いします。」
クラーク、ワタベ、ピョン、リュウの4人は呆然としていた。
カーンが出資者を見つけてくれたと聞いて喜び、アザニアの工場区画に製造拠点をひらいたと聞いてまた小躍りし、カーンに連れられてワクワクしながら工場の扉を開いたらそこに立っていたのはフリース夫人だったのだ。
「アヤメさん?」
「クラーク、できればフリース社長と呼んでくれると助かる。」
4人の男たちは確かにサイコバンドの製造と販売の権利に関してカーンの作った書類にサインしたので、カーンの経営に文句を言える立場ではない。
ただ、そのカーンが右から左へ経営権をパスしているとは思いもよらなかった。
実際にはアザニア基地は経営を手放してはいないが、世話役たちの採択でアヤメ・フリースに全権委任している。
「よろしくお願いします。」
アヤメは4人に頭を下げた。
契約によると4人は技術顧問として『サイコバンド製造販売』の業務に協力していかないといけない。
アヤメは3階建てのこじんまりしたビルの最上階に陣取ると4人の研究者にカーンが斡旋したエンジニアをまじえて製造ラインの設計を依頼した。
製造ラインと言っても小さな町工場だが、規模はそれで十分だ。
材料が運び込まれ、量産体制が整った。
最初の100個を製造して製品試験もクリアした。
その100個の詰まった箱と、特許書類を見ながら、アヤメは久しぶりに地球圏に連絡を入れた。
「サイコバンド製造販売合資会社と申します、そちらの専務様に……」
アヤメの連絡した先は、かつてアヤメを産業スパイとして雇った会社だ。
数度にわたる交渉の末、アヤメ・フリース社長はその企業をサイコバンド製造販売合資会社の地球圏での代理店として契約することに成功したのだった。
*****
さて普通に考えればミノフスキー断章をめぐる物語はここでいったんケリがついたと考えてよいだろう。
ミノフスキー断章を欲しがった地球連邦とジオン公国のうちジオン公国はとっくに潰えてしまってイリーナは完全に自由な人間になっていた。
ただ、イリーナはそれを簡単には信じなかった。
ジオンの残党を警戒していたのだ。
チンペーはと言うと、ミノフスキー断章の写本を地球へ送りつけることで任務完了となった。
本来、そこでチンペーは地球へ帰るのが筋だが、チンペーの実家、ダシルバ家はチンペーが木星圏の事故で人命救助に貢献したということで少なからず喜んでいた。
なのでチンペーが「できれば木星圏に残りたい」と告げても嫌な顔一つせずに連邦軍に掛け合ってくれたそうだ。
サイコバンドは形状は比較的自由であるため、間もなく地球圏での製造も始まったが、さすがに海賊版が作れるほど雑な製品ではないため、特許料はしっかり木星圏に流れ込んだ。
そして、そのうち「サイコバンド」という名前すら廃れるほどにニュータイプのモビルスーツ乗り達に普及していく事になるが、それはまだだいぶ先の話。
しかし、ミノフスキー断章をめぐる物語はまだこの続きがあり、それは主に地球圏から始まる。
さて話を木星圏に戻そう。
大枢党は木星大気圏内での実験を決行していた。
「リー師匠……これは話に聞いていた何倍もすさまじい場所ですね。」
太岁球2号には無人操縦で事件を行う機構が付いているにも関わらず、簡単なテスト運転の後、シオは木星大気圏突入を決行した。
荒れ狂う風、大気をつんざく稲妻、とても人類が足を踏み入れるべき場所ではないことはシオにも十分わかった。
「しかし、私は木星の子だ!!」
シオは見事にコンティキ号に帰還して見せた。
4基ある高出力のスラスターの内1基は破損した。
「それでも私は木星から帰ってきたぞ!しかも誰も成し遂げなかった単独のモビルスーツで!」
迷信に惑わされないはずの技術者たちまでもがシオに心酔していた。
勝因はいくつもある。
まず、核パルスエンジンが十分に強力であったということ。
木星大気圏内では推進剤が尽きないということ。
ボールがその機体形状から体積に対して表面積が小さいこと。
しかし、それだけの条件がそろっていたとしても木星大気にモビルスーツで飛び込む命知らずのパイロットがいなければこの実験は成り立たない。
シオは自分が初めて木星に突入した人類ではないことを少し悔しいと思ったが、それよりも今から数十年前に木星に旧式のポンプ船で飛び込んだリーの豪胆さに対する畏敬を深めていた。
逆に言うとシオの木星突入は、リーやリーと同世代のポンプ船乗りに対する憧れと嫉妬を振り払うための行動だった。
確かにシオは単独のモビルスーツで木星大気圏内を飛んだ。
自分の心が満たされないことに気づいて帰ってきた。
「ダラン」
「はい、若。」
シオはコンティキ号の窓から木星を見下ろしていた。
「私の真の望みはまだ先にあった。」
「と言われますと?」
シオはぐっと力を込めて木星をもう一度見つめた。
「私は木星に拠点を築く!」
流石のダランも「それは無理だろう」と思ったが、堪えた。
「このダラン、どこまでもお供いたします。」
シオはそう答えるダランの思念から明らかな絶望と、それを超える忠誠心を感じ取っていた。