イリーナは木星圏が大きく変化している間も着々と調査を行っていた。
マイラ・パルトロは今回の件ではシロだと分かった。
表彰式で庁舎に来ているときに建物内で君と思い出♡ペガサス級!の曲をかけても特にストレスは感じていないようだった。
逆に言うと連邦がミノフスキー断章の陰謀論で盛り上がっているところに、独断でハニートラップを仕掛けたのだから相当なタマである。
そう考えながらアザニア庁舎を出るとヒカリとクロエのやや年の差カップルがカフェで何か飲んでいる。
イリーナはひとまず「ハニートラップは失敗」だと考えている。
マイラ・パルトロはイリーナがニュータイプだと知らなかった上に、想像以上に惚れっぽいことも知らなかったのだろう。
そう考えながらヒカリとクロエの二人を眺めていると、二人と目が合った。
「ち!違う!!そういうんじゃない!!」
否定してその場を後にするイリーナを二人は不思議そうな顔で見ている。
2人とも別にイリーナから悪意のようなものを感じてはいないので、そんなに気にはしていないが、イリーナが何か悩んでいる事だけは分かった。
さてイリーナはと言うと、二人の視線に気恥ずかしくなって逃げだしはしたものの、何も悩みは解決していない。
腹立ちまぎれに一度家に帰るとシャワーを浴びた。
低重力のカリストではシャワーを浴びるのにも気を付けないと表面張力で溺れかねない。
しかし、シャワーの音は心地よい。
一人暮らしのイリーナは年々独り言が増える自分に嫌気がさしていたが、水音に紛れて独り言を言うとあまり虚しさを感じない。
「偏り……偏り……」
あれからイリーナも換字式暗号(かえじしきあんごう)について調べてみた。
君と思い出♡ペガサス級!の楽曲が暗号に使われているとしたら、取り上げられる楽曲に偏りが出る。
それが出ないということは符丁があるはず。
符丁を使って、取り上げる楽曲を均等にそろえて……
「ん???」
イリーナは不意に思いついた。
偏らせれれば良いのだ。
シャワーを出ると、急いで服を着て、作業機械試験場へ向かう。
「クルマタニさん!!」
クルマタニは自分の椅子で仮眠中だった。
デスクの上は走り書きのメモであふれている。
そして、イリーナの声に起こされたところだ。
「ミノフスキー断章の続き!勝手に作っちゃいましょう!!」
「……??」
クルマタニはまだ寝ぼけている。
「作ってどうするんですか?」
「なんか適当にミノフスキー断章の続きを発見したことにして、その表題とかに暗号解読に役立ちそうなキーワードを突っ込むんです!」
クルマタニはもやもやする頭で色々考えを巡らせていた。
まず、イリーナの言っている内容を理解しなければならない。
「あ、分かった。」
クルマタニは急に覚醒した。
「例えばミノフスキー断章の続きは別のノートで、表題に『XXX』とか書いてあるとすると、暗号でそれを表記すると同じ楽曲名が3連続で出ちゃうんだ!!」
「そう!!」
クルマタニはメモを取ろうと椅子から落ちたが、カリストの低重力では痛くもかゆくもない。
「例えば『TATTOO』みたいな単語は換字式暗号にするとバレやすい!偏りを探すんじゃなくて、こちらから偏った暗号を作らせるんだ!」
「そういうこと!!」
イリーナとクルマタニは喜びのあまり危うく抱き合いそうになって、手を引っ込めた。
「いや!クルマタニさん!今はハグでいいでしょう!!」
「え、いいの……かな?」
冷静に考えると何も成し遂げていないのだが二人は抱き合って喜ぶ。
その後にどうやって偽情報を流布するかの計画を立てはじめる。
「まず、ミノフスキー断章の未発見だった続編があることを発表すればいいと思う。例えばフリース博士とかに動画に出演してもらって……なんかレポート用紙とか千切れた紙とかを公表してもらえば」
「なるほど、その紙の表題か何かをTATTOOにするみたいな?」
クルマタニは「表題にTATTOO」は自分で言っておいて無理があるかなと思い直した。
「動画に怪しい入れ墨男とかが映り込んでたらいいんじゃない?明らかにそいつが隠してそうな……」
「犯行動画だ!断章の続編を盗んだって犯行声明を出せばいいんだ!!」
犯行は勿論、狂言である。
暗号に使わせる単語は3つに絞った。
TATTOO、HISSING、GEEGEEだ。
それら全てが換字式暗号と極めて相性が悪い。
イリーナが知恵を絞る。
「TATTOO(入れ墨)は入れ墨の人物を映り込ませる、HISSING(シューという音を立てる)はミノフスキー場を通る思念波を抽象的に表した用語として、GEEGEE(お馬さん)は……どうしよう?これ入れなきゃダメ?」
クルマタニもなかなか苦しそうな顔をしている。
「多分、暗号があるとするとEについては2つ以上の曲名が使われているはずなんですよね。もし英語が元だとするとEは使用頻度が高すぎるので。それを看破するためにはできれば入れたいですね……」
「なら、それこそダミーの表題に『GEEGEE』って書いとけばいいんじゃない?」
「引っかかってくれますかね?」
二人はひとまず犯行声明を撮影する部屋を用意するところから始めた。
アザリア基地の集合住宅はどこもかしこも同じデザインで作られているので、クルマタニのほとんど帰っていない自宅を使うことになった。
部屋の一角をきれいに掃除するだけで動画から住所は特定できない。
次に「ミノフスキー断章の続きの写本」のダミーを作ることにした。
左肩にGEEGEEとロゴが入っているレポート用紙を作った。
そこにそれっぽい文章を書いて半分以上破り捨てる。
適当なマーカーで入れ墨を描いたマネキンに紙を持たせる。
最後に声明の原稿を機械音声に読ませれば終わりだ。
『我々はミノフスキー断章を研究していた研究室付近から、この破れた紙を回収した。調査してみるとこれはコピーされた紙で、インクの質から地球圏でコピーされたものだと考えられる。ステープラーが使われた痕跡から数枚の紙が束ねられていたと考えられる。内容については『思念波のHISSING現象について』と書き出されているが、その先は破れていてほとんど分からない。我々は、引き続き破れた元の部分を探索するが、このコピーの原本は地球圏にあると考えられる。地球圏の同志よ、恐らく原本は地球圏にある。メモを探せ。』
入れ墨が見えるのは手袋と服の袖のわずかな隙間だけで、低画質な静止画に機械音声の声明を乗せる。
「これマネキンってバレないかな?」
「これだけアップだとそう簡単にバレないと思います。」
そこまで作ったところでクルマタニとイリーナは動画をカーンに見せた。