さて、話はアザニア基地……カリストに戻るが、カーンの徹底主義に感化されたのはクルマタニだった。
クルマタニは自分の作業机の前の壁に「人事を尽くして天命を待つ」という貼り紙をすると、次々にアイディアを出して、実行していった。
イリーナは時折クルマタニの様子を見に行くようにしているので、その様子も目の当たりにしている。
「あそこまで大っぴらにやると、暗号解読しようとしているのバレませんかね?」
カーン所長のところに立ち寄ったタイミングでそう尋ねる。
「いいだろ。そもそもバレたところで地球の奴に『バレた』って伝えるのもそこそこ難しい。」
「そうでしょうか?」
カーンは最近やっと新調できた椅子の背もたれに体を預けると、背筋を伸ばした。
「派手にやれば、こっちで暗号受けてるやつも身動きとりづらくなってしっぽ出すかもしれんぞ?」
「……まあ確かに。」
所長の言うことはもっともだ……とイリーナは納得した。
カーンはと言うと、実は暗号解読についてはそこまで興味がなかった。
大枢党のような例外を除けば、木星圏は犯罪を犯して逃げ切れる場所ではない。
基地が破壊工作を受けるとしても限度がある。
カーンは暗号の存在は信じているし、なんなら地球圏からカーン宛に送られる暗号通信もあるので、自分以外がそういう手段を持っていたとしても何ら不思議ではない。
しかも、カーンは暗号通信を大っぴらに使える立場なので、暗号を使っていることを隠す必要がない。
それはどういうことかと言うと木星圏では安全保障上の問題で暗号化技術の利用が制限されている。
その為、暗号化されている情報が飛び交うだけで捕まる恐れがあるのだ。
木星圏が平穏であるのは、木星圏の日常が地球圏に比べて危険すぎるからなのだ。
これまで大枢党が大目に見られていたのは、そのような一線を踏み越えていないからだった。
仮にテロに善悪がないとしても、良質なテロ活動を企画立案して実行してきたのが大枢党である。
そう考えながらイリーナの要領を得ない雑談にほどほど頷いていると、イリーナは喋ることに満足したらしく、挨拶をしてカーンの前から立ち去った。
イリーナを見送ってから、カーンは何か考えなくてはいけないことを忘れている気がした。
「あっら?何だった?」
独り言を言いながら椅子を立つと、コーヒーメーカーの前に腕を組んで立つ。
「ああ、これだ」
コーヒーメーカーからデスクの前に戻ると、ステープラーでとまった紙の束が置いてある。
内容は大枢党が資材調達を試みているとの情報だ。
情報と言っても、誰かが秘密裏に持ってきたものでもない。
比較的、大枢党が自ら喧伝している話だそうだ。
評議会からも、周辺からも同じ話が聞こえてくる。
名目は「木星大気圏内調査」だそうで、すでにこれまでにも特別仕様のボールで木星の上層大気内の調査を行っていたらしい。
……それはリシュモンが横流ししたという特別仕様のボールの話と合致する。
さらに大枢党はその上層大気内で得られたデータとそれらを元にした論文を木星船団公社に提出している。
カリストも同じ仕様のボールを持ってはいたが、結局、突入実験はやらなかったとカーンは聞いている。
別に大枢党に先を越されて悔しいとかそういう次元の話ではないが……
「なんで、テロリストって真面目なんかなあ?」
カーンは椅子に深く腰掛けた状態で大枢党の資材調達に関する情報に再度目を通す。
そして急に襲ってきた眠気に負けて、そのファイルをデスクに投げ出す。
何事も一眠りして頭を休めてからだ……と自分に言い聞かせて、椅子に座ったまま短い仮眠を取ろうと目を閉じた。
*****
大枢党本部に久しぶりにイェンが戻ってきた。
休憩もそこそこに会議を始める。
「さて、木星大気圏内拠点の設計、見せて頂きましょう。」
会議室に設置された大型のモニターに設計図が映し出される。
「これはすごい!……一言感想を述べていいかな!?」
「是非お願いしたい。」
設計担当者に促されてイェンはモニターの前まで進み出て言った。
「これはすごいキノコだ!どう見てもキノコだ!みんなもそう思うだろう!?」
全員が拍手した。
「実際に殿下が収集した木星大気内という環境下で最も安定した構造を導いた結果、このベニテングダケ型ともいえる形状になったのです。ですから、設計班の中でもコードネームを『フライング・アガリクス』としておりました。」
イェンは少し考えこんだ。
「……それは……存外いい名前だな。『フライング・アガリクス』を正式名としよう。」
こうして人類史上、初の木星大気圏内拠点の計画は推し進められていった。