リッペルハイ中継基地でフリース一家は木星の衛星カリストへ向かう定期船を待つことになった。
定期船は主に物資を運ぶための船で、人を乗せるのはそのついでなので本数はあまり多くない。
ヒカリはリー老人について回ってあれやこれやと質問攻めにするのが最近の日課になっていた。
リー老人はヒカリに木星圏で生き残る大切な事を請われるままに教えた。
「死が近づいたと思ったら、まずは冷静になれ」
「はい!師匠!」
ヒカリはリー老人を師匠と呼ぶ。
「そして時間がたっぷりあると思ったら100点満点の解決方法を探せ。」
「はい!師匠!」
リーは教訓を付け加えた。
「時間がないときは60点取れそうな解答を即決・即断するんじゃ。ええな?」
「60点でいいんですか?」
「十分高い。後から考えれば60点は低い点数じゃ。だが時間がなくて焦っているうちに何もせずに死ぬより生き伸びる確率は高い。」
ヒカリは「時間がない」という言葉がキーワードなのだろうなと考えた。
リーは続けた。
「50点ではダメなんじゃ。」
「どういうことですか?」
リー老人は右の手と左の手を差し出した。
「このうちどちらかが生き延びる選択肢、どちらかが死ぬ選択肢だとする。どっちがより生き延びる選択肢か分かるか?」
「ただの手だ……ですよね?」
リー老人は手を引っ込めた。
「そうこれはただの手じゃ、ただ何かしら理由をつければ生き延びる可能性はちょっとだけ高くなるじゃろ?例えば『右は相性がいい』とか、その程度でいいんじゃ。」
「それで60点になりますか?」
「なる!」
リー老人は断言した。
「本当ならば確率統計をきちんと勉強したうえで考えるべきではあるが、そういう考え方の癖をつけると決断が早くなる。50:50は人間は迷う。その方が命取りになりうる。」
ヒカリはなんだかすごく納得した。
「すごい!すごいですね師匠!」
「うむ」
実際、初期の木星資源採掘を生き延びたリー老人の言葉には有無を言わさぬ重みがあった。
「もう一つ、50:50と言ったが、二者択一を迫る奴は馬鹿か悪人かそのどちらかじゃ。」
「どういうことですか?」
リーは険しい顔をして話を続ける。
「例えばワシが『肉と魚、どっちを食べるか?』とヒカリに尋ねたとする。」
「肉がいいです。」
「そういう話をしとるんじゃない」
ヒカリは一旦黙った。
「その時、お前の食い物は肉と魚に限定されておるだろう?そうやって相手はお前をコントロールしようとしているんじゃ。」
「……まあ、分かるけど……それって良くないんですか?」
「よくない」
リー老人はもう一度「よくない」というとヒカリに向き直った。
「宇宙には可能性が満ちておる。無限の可能性じゃ。二者択一に陥るといつしかそれが『しかたない』を生む。」
「しかたない……?」
リーは無重量のリッペルハイ基地のラウンジの床から離れるとふわふわと漂い始めた。
「しかたない、しかたないを重ねていくうちにどうなると思う?」
「……え?分かんないです」
「死ぬんじゃ。」
リー老人は手近な手すりに摑まると再びヒカリに向き直った。
「他人に二者択一を迫るのは死を運ぶようなもんじゃ。愚か者と悪人のすることじゃな。」
「ふーん……」
ヒカリはすごく大切な話をされている気がしていたが、よく理解はできていなかった。
「さらにもう一つあるぞ」
「大事な話って多いんですね」
ヒカリは至極純朴にそう言った。
リー老人も極めて素直に首を縦に振った。
「でも、本当に大事な話はこれで終わりじゃ。『人間は誰でもいつかは死ぬ』これを忘れてはいかん。ベッドで死のうが、木星のアンモニアの吹雪の中で死のうが、どっちも『死』は『死』じゃ。」
チューブ食が運ばれてきた。
人口重力がない場所では皿で食事というわけにもいかない。
当然、テーブルもいらないので皆が思い思いの場所で食事する。
「師匠は病院のベッドと木星のどっちで死にたいんですか?」
「その訊き方はよくないぞ?それがまさに二者択一じゃ。」
「あ、ごめんなさい」
「謝るほどでもないがの」
リー老人は齢に似合わぬ吸引力で一気にディナーを片付けると答えた。
「それを訊くなら『どこで死にたいか?』の方がいい。さらに言うなら……」
ヒカリはチューブを吸いながらリーをじっと見ている。
「『最後はどこで生きたいか?』と訊くともっと良い。」
「あー、なるほど!」
要するにヒマなのだ。