ヒカリがゾックによる潜航訓練を続けているとエウロパからキャルフォルニア支社に連絡が入った。
エウロパの氷の峰を調査していた調査団が、破砕された氷の断片の中から生命の痕跡らしきものを見つけたというのだ。
電子顕微鏡で氷の観察を続けていたところ、原始的な菌のようなものの痕跡が見つかったらしい。
ひとまず、調査結果は秘匿して、エウロパの掘削潜航調査は後回しとなった。
代わりに本格的な調査基地を開設するらしい。
エウロパの調査隊が今回注目したのは、「氷のテクトニクス」だ。
内部海を持つ氷惑星は地球の地殻運動に似た活動を、表面の氷で起こす。
なので、そうした氷のプレートが衝突して盛り上がっている山岳地帯のような場所では、内部海に接していたであろう部分には内部海からの情報が記録されている可能性がある。
それを狙って調査した結果が今回の発見だ。
だから生命の可能性があるエウロパの内部海には侵入できない。
生態系の破壊が怖いからだ。
とはいえ、人類はいつか、それらを調査して科学の発展に生かすつもりなのだ。
でも、調査はしない。
このジレンマは地球でもいまだに続いていて、宇宙世紀以前に発見された南極大陸の氷の下に隠れているボストーク湖も「中にい生き物がいるかもしれないから調べたい」「中に生き物がいるかもしれないから調べない」という矛盾に晒されたままだ。
その点ではカリストにロクに調査もせずにアザニア基地を建てた人間はずいぶんトンパチだったと言える。
「その調査、カリストでもやればいいのに。」
ヒカリはなんとなく自分はカリストの人間のような自意識で生きているので、逆に地元には厳しかった。
さて、そんなカリスト人のヒカリは昨今、自分の娘にご執心だった。
生まれた後、数か月遅れで地球に到着したクロエの両親もずいぶんな喜びようだった。
同じ船でやってきたイリーナは道中、クロエの母親の精神状態をつぶさに観察してきた中で、クロエの母親はどんどん調子が良くなっていた。
対して、全然調子が良くないのは地球圏の治安だ。
連日のようにキナ臭いニュースが報道されている。
ヒカリ達の住んでいるキャリフォルニア基地周辺は、治安に関してはまだマシとはいえ、決して楽観できる状態ではない。
ミノフスキー断章の陰謀論者たちはフリース一家が未だに木星にいると信じているらしく、あの手この手で木星圏から情報やら何かしらを引き出そうとしているようだが、今のところ全て徒労に終わっているようだ。
そうした理由もあってフリースさんたちは、地球では偽名のユタカ姓を使っている。
だから、父母娘でヒカリ・ユタカ、クロエ・ユタカ、ミライ・ユタカと名乗っている。
「ミライちゃーん!今日もかわいいでちゅねー!!」
ヒカリはミライ相手に完全に腑抜けになってしまった。
クロエも呆れている。
さて、イリーナはというと、チンペー・イートン三世の北米での女性人気の高さに面食らっていた。
行きがかり上、チンペーもれっきとした木星帰りの男だ。
しかも、木星圏で3度も大活躍した英雄だ。
当然、イートン家もイリーナもチンペーは本質的にバカだという事は知っているが、活躍した実績は本物だし、木星帰りの男であることも嘘ではない。
イートン家は北米の社交界でチンペーのボロが出ないかヒヤヒヤしているし、イリーナは有象無象の女子にまとわりつかれるチンペーを見ながらハラハラしている。
しかも、チンペーはというと名門イートン家の人間として木星圏の話が聞きたい人々にただただ愛想よく接しているだけなので、さらに始末が悪い。
有名人と見るや近寄りたいミーハーの格好の標的になっている。
イリーナは近寄る人間に不穏な人間が居ないかチェックするために、なんとなくチンペーの近くにいるが、その心の底まで見透かせそうなミーハーバカの群れの思念を読み過ぎて食傷気味になっていた。
しかも、そいつらはちょいちょいチンペーの近くにいるイリーナを邪魔者扱いしており、その負の思念もイリーナのストレスに貢献している。
「あー!どの女もこの女も畜生ッーー!!」
今日もチンペーと共に「職場の同僚」として招かれたパーティーが終わり、自室で激昂していると来客があった。
「イートン家の執事でございます。当主がフォスターさまと是非お話がしたいと……」
「え?」
手早く支度をすると、イートン家に招かれる。
この数か月何度か来たことがある。
当主と呼ばれたイートン氏が息も絶え絶えな様子でこちらを向いてソファに座っている。
「うわ、酷そう。」
「流石、ニュータイプ。なんでもオミトオシって事か。ご挨拶はさせて頂いていると思うが、私はゴンゾ・イートン、チンペーの父だ。どうぞ座って。」
イリーナは「イリーナ・フォスターです」と言いながら座った。
イートン家は格式のある名門軍人の家なのは知っているので、礼儀はきちんとするべきだとは思うが、なにしろ目の前の当主がソファでぐったりしている。
それどころではない。
つい先日もチンペーを見ながらハラハラしていたのは知っていたが、ここまで悪くはなかった。
「情けない所をお見せして申し訳ない。実は胃に穴が開きそうなんだ。慣用表現ではない。医者の診断待ちだよ。」
すると電話が鳴った。
執事が電話を取る。
「今、お医者様から連絡が入り『ギリ、穴あいてねえっす』と仰られました。直接お話になりますか?」
とゴンゾに伝えた。
ゴンゾは
「いや、いい。来客中だからあとでこちらから連絡すると言っておいてくれ。……ギリか……分かりづらいな。」
とブツブツ言うと、イリーナに向きなおした。
「イリーナさん、チンペーを木星に連れ帰ってもらっては貰えんでしょうか?決して息子が嫌いなわけではないのですが、あいつは多分、木星向きだと思うんです。」
イリーナは小さくため息をついて答えた。
「私もそう思います。」
そして、目を閉じて考えを巡らせる。
自分で自分の心と対話しているのだ。
認めたくないが、イリーナは変な虫が付く前にチンペーと結婚したい。
だけど、自分から言い出すのはとても悔しい。
なまじっか結婚できたとしてもヒカリとクロエを見る限り、木星で出産と子育てをするのは難しそうだ。
イリーナは地球に来る前は子供の事なんかどうでも良いと思っていたが、クロエの産んだ娘を見て完全に考えが変わった。
「連れ戻すのは良いのですが、お願いがあります!!」
イリーナの迫力にゴンゾも執事も一瞬気圧された。
そして、ゴンゾの胃壁がちょっとだけ薄くなった。