その頃、大枢党はコールフィールド計画の成功により十分な資材を確保することに成功しつつ、木星圏に運び込んだ小惑星を拠点化することにもほぼ成功していた。
大枢党は小惑星を木星と衛星イオに対してのL4に設置すると、資源採掘と拠点開発を同時に行った。
これはアクシズの開発に倣った手法で、すでにノウハウが確立している。
アクシズと違う点は木星周辺は電磁波の嵐が常に巻き起こっている為、小惑星は常にミノフスキー場によってそれら電磁波から保護されなければいけない点だ。
イェンはその小惑星をヘイズと命名して開発と掘削に取り組んだ。
その一方、ヘイズから取り外された熱核パルスエンジンを再度コールフィールドに積載し、有用だとされた別の小惑星を捕獲する計画が立ち上がった。
これはコールフィールド作戦中にヘイズとほぼ同時に発見された小惑星で、フォイベスとすでに名付けられていた。
ヘイズとフォイベスは共に岩石型の小惑星で、ヘイズが比較的鉄よりも軽い元素を多く含むのに対し、フォイベスは重い元素を含む可能性が調査で判明している。
さらに大枢党は彼らの拠点にしているコンティキ号もL4に移した。
このコンティキ号と名付けられたジュピトリス級輸送艦は最終的に木星船団公社に返却することが公社と大枢党の間で協議されている。
その協議の中で、先ずはヘイズが完成して大枢党が移住できるところまでは貸与されることを公社が認めたのだ。
そもそも大枢党の現行の拠点であるコンティキ号はオールドワンに次ぐほどの古さのジュピトリス級だとされていて、現役のジュピトリス級ほど完成されてはいない艦だ。
それもイェンの物心つくかつかないかの頃に大枢党がちょろまかした艦なので、イェンに責任はないと広く考えられている。
さて、そのイェンだが学校で教育を受けたことがない。
いくばくかの学問は大枢党のエンジニアによって叩きこまれたが、普通教育を受けたことがない。
読者の皆様はすでにご存じの通り、木星船団公社は公社内に新たに教育部を発足し、そこに学校課などを設立して、木星圏で学校教育を受けられるように整備し始めた。
「イェン様、学校へ行ってください。」
「私がか!?」
「はい。」
会議でダランに急に切り出された。
大枢党の重鎮たちの顔を見ると満場一致のようだ。
「私もイェン党首が学校に行くのには賛成だ。」
Qに至るまで同じ意見だった。
「学校は……子供が行くところではないのか?」
重鎮たちは首を振る。
「別にそんな制約はありません。老人になっても、学校に通うものはおります。」
「……そういうものなのか?」
イェンは頭脳明晰な才人だが、一般常識となるととんと苦手な部分がある。
古株の大枢党員は、イェンを子供の頃に通わせる学校がないために手を尽くしてイェンを教育した経緯を知っている。
彼らは木星に学校がやってくるなど想像もしていなかった。
「大枢党も教育部に全面的に協力して、教育制度の完成に力を尽くします。是非、イェン様には木星圏で初めての学生になっていただきたく。」
イェンは内心「今更めんどくさい」と考えていたが、党員たちの中には涙を浮かべている者までいる。
これは断れないと悟ったイェンは、党員の提言に従って素直に学生になることを承知した。
*****
さて、木星船団公社では教育部長をアザニア基地のリュウに依頼することにした。
「お断りします」
「え?断る??」
公社からの依頼を持ってきたマイラ・パルトロ評議員は肩透かしを食ったような形になった。
「私は政治は苦手なので。一応、地球圏にいた頃に教員免許は辛うじて取得したので、教員という事であれば応じますが、部長はお断りさせていただきます。」
「はぁ……そうですか」
木星船団公社の部長と言えば木星圏でも数少ないイスの一つなのでマイラにそんな話が来たら、すぐに飛びつくだろう。
マイラは研究者の考えは分からない気がしたが、目の前のリュウの話しぶりを見ていると少し分かる気もした。
実は木星圏で教員免許を持っている人間をリストアップした結果、最年長者が サイコバンド製造販売合資会社のリュウだったのだ。
マイラ・パルトロはその経緯を正直に話した。
「なるほど、それで私に……そういうことなら優秀な次長を付けて下さればお引き受けしましょう。」
「なるほど!助かります!」
こうして、木星船団公社に教育部が発足した。
教育部は地球連邦とジオン勢力下の各学校組織と意見を交換して通信教育を中心とした学校の設立を決定した。
アザニア基地内のオフィスビルを丸ごと一棟接収して木星船団公社総合学園=通称JFA(ジェファ)の校舎兼教育部本部とする。
リュウは事前に大枢党の党首であるイェンが入学を希望していると聞いていたので、地球連邦からFB試験の資料を取り寄せた。
FB試験は宇宙世紀以前からある大学に入学するだけの学力があるかどうかを量る地球連邦内の試験だが、スペースノイドにも広く開放されている。
リュウはFB試験の対策講座をFBプレスクールとして開講し、FBに合格させることでイェンを大学生にしようと考えた。
リュウが待っているとイェンは一人でJFAビルにやってきて、一人で説明を聞き、一人で入学手続きをして帰っていった。
リュウは次長を呼んで相談すると、JFAビルの横に学生用のセミナーハウスを作って、遠方から来た学生や教師が宿泊できるように整備することにした。
そうやって着々と作業を進めていると、基地のカーン長官がやってきた。
「公社からなぜか私が怒られたぞ?教育部がカネを使いすぎるって。」
カネとは言っても、地球圏とやり取りするとき以外にはあまり意識されない概念だ。
要するに教育部がリソースを食い過ぎているという事だろう。
「教育ってそういうものですよ。」
「いや、リュウ部長。私もまったくそう思う。ちなみに、その横のビルなんだが、あそこを一回更地にして、病院を作りたい。」
「あーなるほど。アザニア基地のいびつに大きな診療所をこちらへ移転させてしまえば、医学部も作れるって事ですね。」
「そういうことだ。そうなったら私はアザニア基地に辞表を書いて、リュウさんの下で働く。」
リュウはぎょっとした。
「基地長官から降りてですか?」
「基地長官は誰でもできる。木星圏で医師を育てられるとしたら私しかいない。」
リュウはセミナーハウス用の枕を数えながらしばし考えた。
「そんなに若者増えますかね?」
「増えるさ。木星圏で利用されているコンドームの数を知らんだろ?その大半は本当は子供が欲しい夫婦が使っとるんだぞ?」
リュウは手を止めた。
「それは地球圏から産婦人科医と小児科医を呼び寄せた方がいいかもしれませんね。」
「あと保育士だ。先日のカリストの氷床試掘調査でカリストの内海に生命のいる可能性は極めて薄いことが判明しておる。カリストは大々的に水が生産できる。水が作れれば空気だって作れる。」
リュウは今度はシーツを畳み始めた。
「まあ、そこは教育部が関与するところではありませんが、地球圏まで帰らなくても子育てができるのは一つ、木星圏の歴史の転換点かもしれませんね。」
「ところでリュウ部長。そのシーツの畳み方は違う。」
「シーツの畳み方に正しいとか違うとかあるんですか?」
「シーツの畳み方は看護学の基本だからな。宇宙世紀以前から人類が引き継いできた英知だよ。……こうすると、ほれ!広げる時に速いだろ?」
リュウは今更ながらに世の中学べる事だらけだと実感しつつ、木星圏の未来を夢想しはじめていた。