クロエが育児で四苦八苦している間に、木星船団公社は地球圏で保育士を雇用していた。
木星で生活した経験のあるクロエと情報交換をしながら、ミライの保育を分担する。
ベルナと名乗ったその女性は、コロニーの専門学校で保育士の指導もしていたベテランだった。
クロエからすると、クロエが持っている情報が何か役に立つとは思えないが、ベルナは「地球圏と何も変わらないとしても、それも貴重な情報です」と答えた。
ヒカリもそこそこ産休を取れているが、要所要所で潜らなければいけない。
そして、そのデータがゾックの次の改修につながっていく。
またそうした情報が連邦や旧ジオンに漏れないように十分に配慮する必要もあった。
連邦は全く関わっていないわけではないが、この新しいゾック計画を知る人間は一部の上層部に限られる。
そして計画の秘匿はその上層部の判断でもあった。
一年戦争が終結して以来、なぜか未だにモビルスーツ&モビルアーマーの開発競争は続いている。
今、木星船団公社が必要としているゾックは水陸両用兼宇宙用で且つ大気圏突入&離脱能力有りという前代未聞の化け物で、コストパフォーマンスがとても悪い。
しかも、宇宙で白兵戦を行っているモビルスーツの大半が、推進剤の補給を旗艦からこまめに受けながら活動するのに対して、この改修ゾックは無補給での異常に長い活動時間を必要としている。
これが開発競争に乗ると、開発競争そのものが倒れかねない。
木星船団公社はシロッコが地球圏での戦乱に加担した負い目があり、そのシロッコがまさに高コストモビルスーツ開発競争の寵児のような存在であった。
地球連邦は開発競争に疲弊しているのだ。
リックゾックの運用の経験から、この改修ゾックも両方の掌に補助的な推進器が付いていて姿勢制御が可能になっている。
あくまでも探検用となっているが、前後合計8門のメガ粒子砲と頭部砲門は健在だ。
これは氷床を破砕して進むためであると同時に、氷の中でスタックした時に全方向の氷を破砕するために使われる予定だ。
メガ粒子砲がライデンフロスト現象のせいで氷塊に対して大きなダメージを与えられないのは、元々カリストの基地建設の時に得られた知見だそうだが、粉砕を目的とせずにじっくり融解させるのにはさほど不都合ないらしい。
ただし、メガ粒子砲は弾切れを起こすため、木星衛星探査のために頭部砲門を超音波砲とでも言うべきフォノンメーザー砲に換装して、行方を阻む氷の粉砕にはそちらを主に使う。
このフォノンメーザー砲は大気中や水中でなくては使い物にはならない為、宇宙戦用のリックゾックには搭載する必要がまったくないブツだ。
さて、この衛星探査用のゾックがテスト潜航によって得られるデータはもう限界だと開発陣は考えていた。
「やはり、実戦経験しかないか……」
遠く離れた木星船団公社の評議会でも、その話は議題に上がってきた。
リシュモンは調査用のゾックに実戦経験が必要であるかどうかについてはかなり疑問だったが、議決権を持たない保安部長としての参加なので強く反対することができない。
しかし、昨今地球圏で流行っている「脱出ポッドにもなるコックピットユニットを用いる」条件を提出するところまでは踏ん張った。
木星船団公社は火星由来の攻撃隊を撃破する経験は持っているが、その折に保安部に優秀な人材を吸い取られ、軍艦まで建造させられた上に、貴重なタグボートを8隻失っている。
これはあくまでも外敵が悪いのであって、そのことで保安部やリシュモンが責められることはない。
なんなら、リシュモンですらその吸い取られた「優秀な人材」だからだ。
しかし、木星圏全体をみると、保安部に対してやや批判的な立場の人間も存在する。
外敵を退けた今、膨れ上がった保安部を維持する必要はないのではないか?という考え方だ。
しかし、先のシロッコの離反ともいえる行動を評議会は重く受け止めていた。
あの独断専行がありうるならば、地球から木星にやってくるジュピトリス級の艦長が離反して、木星船団公社に喧嘩を売る可能性もある。
その場合、戦闘艦に改修されたジュピトリス級を迎撃できる打撃力は絶対に維持しなくてはいけない。
ちなみに、評議員たちはこの件に関しては、程度の違いはあれ全員で全く同じ危機感を抱いている。
親連邦派のはずのマイラ・パルトロまでもがジオン公国軍の残党だけではなく連邦過激派による木星侵略に怯えているフシがある。
少し気になってリシュモンはカリスト宙域評議員のマイラ・パルトロに直接尋ねてみた。
「パルトロ評議員は連邦派だと伺っておりましたが……」
そこまで言ったところでパルトロがため息をついた。
「私が支持していた連邦は、まだ残っているのか……むしろ保安部長ならご存じかと伺いたいぐらいです。」
リシュモンは地球連邦軍の混乱については承知していたが、マイラ・パルトロのような古参の連邦派が愛想を尽かすほどだとは考えていなかった。
パルトロ評議員はそんなリシュモンの顔を見てため息をつく始末だ。
地球圏の木星船団公社支社では評議会のそうした空気を読み取ることはできなかった。
木星船団公社との渉外は、已然、穏健派とも言うべき連中が行っていたからだ。
そのルートは軍閥に追いやられて委縮している地球連邦政府の文官たちが握っている命綱でもあった。
そのルートが崩れるとエネルギーの枯渇が起きる為、穏健派のスペースノイドですら全て蜂起せざるを得なくなる。
そうなると木星船団公社の船とスペースノイドは直接交渉をすることになり、今度は地球圏へのエネルギー資源供給が絶たれかねない。
これは、連邦の将校たちは何度も学校でシミュレーションを見せられて学ばされている為、よほどのバカでも踏み越えないラインだ。
というより、エネルギーに限らず資源の供給を断つことを交渉で使った結果、地球にコロニーが降ってきたと言う苦い経験もある。