アガリクス型1号にはすでにそこそこに食料や水、生活物資が積まれている状態で吊り下げられていた。
吊り下げに成功して、なんとか拠点にたどり着いたものの、帰れなくなることを想定してのことだ。
そのため、木星大気圏内のアガリクス1号と大気圏外を連絡する木星型ボール「太岁球」はすでにバックアップ機が3機製造されている。
それとはまた別に、アガリクス1号が上手く木星大気圏内でバランスを取れずに、そのまま吊り下げ作業中にロストする可能性もある。
なので、吊り下げ前から中に人を乗せるのは避けた。
資源採取の汲み上げのベテランたちが、魂を削るような操作をぶっ通しでつづけている。作業開始からすでに24時間が経過し、作業員たちは2度目の交代を終えたところだと思われる。
イェンはボールのコックピットの中で何度も点検を繰り返しながら、そろそろ自分が睡眠することを考えないと……と思いつつ、目と頭が冴えて眠れない。
今回の作戦に失敗したら、同じ作戦を再び試行できるまでにかなりの準備期間が必要になるだろう。
ただ失敗するだけならいいが、失敗の仕方によっては、今、アガリクス1号をぶら下げているこの船自体が木星に落下しかねない。
数名ならボールを使って逃げられるだろうが、全員は助けられないだろう。
命がけなのだ。
木星圏の多くの地味な作業がそうであるように、命がけの作戦なのだ。
イェンは自分の命が惜しいのではなく、自分に賛同した人間たちの命が危うくなるのがひたすらに怖かった。
木星大気圏内に拠点を作ることに成功した場合に受けられる恩恵は計り知れない。
これまで、ポンプでくみ上げた木星大気の濃縮作業は大気圏外で行っていたため、大量の「ゴミ気体」が出ていた。
それらは推進剤として活用されてはいるが、余っている状態で、そうしたゴミを捨てるプロセスが必要な上に、少々の核燃料を採取するために、かなり大量に大気をくみ上げる必要があった。
それがアガリクス1号ならば木星の大気内で24時間濃縮を続けることができる。
小さなゾックが輸送できる量の核燃料でも、十分な収益が見込める上に、計画通り汲み上げ船とアガリクス1号をパイプで接続することができれば、短時間で大量の燃料を供給できる。
木星の大気の流れと大気圏外の汲み上げ船を接続しっぱなしにするのは現状不可能だが、短時間であればドッキングすることは可能だと考えられている。
今回の作戦の「吊り下げに2日間」というのも木星の大気の状態を精密に観測し続けて、比較的、安定した大気の流れを選んでの作業だ。
しかし、今使っている大気の流れがいつまでこのまま維持されるか分からないため、あくまでも観測からの予測を元に建てられた作戦だ。
この大気圏内の様子についてのデータ予測はイェン自身が何度も木星大気圏内に飛び込んで収集したデータが元にシミュレートされている。
これによって、大気圏外から観測した情報から、ある程度の深度までの木星大気の流れが予測できるようになった。
何度も述べるが大気圏外の吊り下げ船と大気の流れる速度は一致していないといけない。
その条件をクリアした上で、吊り下げ船が木星に落下しない条件にも合った気流を選ぶのだ。
今回の作戦でも、船から周りを見回すと、他のいくらかの資源採取船が大気にパイプをおろすのが目視できる。
アガリクス1号拠点を降ろすのに格好の気流は、他の資源採取船にとっても、大気汲み上げの格好の気流になるという事だ。
また、大枢党はそうした気流の情報も率先して提供している。
すべては前述のイェンの木星大気圏内調査の賜物だ。
イェンがボールの中で神経を昂らせていると、誰かが外からノックした。
イェンはゴーグルをかけなおしてボールを降りると、メカニックの一人が端末を手に持って立っている。
「若、木星船団公社からメッセージが来ています。」
イェンは「若」と呼ばれて、そちらも嗜めようかと思ったが、思い直した。
自分は若輩なのだと謙虚な気持ちで改めて受け入れるべきだと感じたのだ。
「ありがとうございます。見せて頂いてよろしいですか?」
イェンは目の前の整備員も自分の夢のために命を懸ける一人だと痛烈に感じていた。
もしかするとこの会話が今生の別れとなるかもしれないと思うと、努めて丁寧に受け答えしようという気にもなる。
端末を受け取りながら、メッセージの内容を確認すると、「同志、大枢党の皆様の偉業に先駆けて、一同、成功と安全を心よりお祈りします。木星船団公社社員一同。」と簡潔なモノだった。
「このメッセージ、もう見られましたか?」
「いえ、まだですが。」
イェンは微笑みながら端末を相手に向けると、向けられた整備士も微笑んだ。
「これ、皆さんにも見せてきます。ありがとうございました。」
イェンは船内で作業をする他のメンツにも見せるべく、その場をあとにした。
心なしか身も心も軽くなった気がしていた。