霧が晴れると、カリュナスの大地は銀色に濡れていた。朝露に濡れた草原の向こうに、砕けた石碑が立ち並ぶ丘がある。誰も近づかない死者の丘——その禁じられた場所に、セレンは今日も足を踏み入れていた。
金色の髪が朝日を受けて輝く。小柄な体には布地を繋いだ粗末な服。だが瞳は大空のように澄み、希望のかけらでできているようだった。
「変なの。昨日まではなかったのに」
丘の奥、裂けた岩のそばに、何かが倒れている。
男だった。
黒衣に身を包み、腹部に深い傷を負って動かない。肌は青白く、すでに命はないように見えた。
彼の腕に抱かれていたものを見て、セレンの呼吸が止まった。
「……た、たまご?」
それは滑らかで、白金に輝く卵だった。人の頭ほどの大きさ。表面に不思議な模様がうねっている。何よりも、見る者に威圧と崇高さを同時に与える、存在そのものが異質な気配を放っていた。
セレンはそっとしゃがみこむと、死んだ男の顔を見つめた。若い。苦悶の表情もなく、むしろ穏やかな眠りのようだった。
風が吹いた。卵が微かに光る。
「こんなとこに置いてっちゃ、狼にやられちゃうよ」
卵を抱きかかえる。ずしりと重いが、不思議と温かい。セレンは村に卵を持ち帰った。
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カリュナスの村の外れ、風の強い丘に、小さな石造りの倉庫があった。家畜の餌や農具をしまうだけの、誰も近づかない古びた建物。
セレンはそこに、あの卵を隠していた。
死者の丘で拾った白金の卵。それは目を離せない不思議な輝きを放っていた。父には言えなかった。村人たちにも、決して見せられなかった。
セレンの父、ガルスは無骨な鍛冶屋だ。真面目で厳しいが、セレンを誰よりも大切に思っている。それでも、あの卵を見せたらきっとこう言うだろう。
「変なものを持ち込むな」と。
だから、誰にも言わなかった。
倉庫の奥に古毛布と干し草を敷き、温もりを逃がさないように土の中に穴を掘った。小さなランプを灯し、朝晩ごとに火をくべる。
「今日もぬくぬくしててね」
セレンは毎日卵に語りかけた。
春が過ぎ、夏がきた。
彼女は草原の花を摘んでは卵のそばに供えた。詩を歌い、こっそりと父の鍛冶場から持ってきた小さな鉄屑を並べる。誰に教わったわけでもない。ただ、そうしてあげたくなったのだ。
夜には夢を見た。
星が渦巻く空に、白金の竜が羽ばたいていた。
背に乗る自分を見て、目覚めるたびに胸が高鳴った。
秋が訪れたころ、卵が初めて鳴いた。
音ではない。心の奥に、かすかに響く鼓動のような感覚。
それからの数日は落ち着かなかった。
鍛冶場の手伝いも上の空で、ガルスに「ケガするぞ」と叱られる。
夜中にこっそり抜け出して倉庫へ行くと、卵は淡く、淡く輝いていた。
まるで、呼んでいるように。
そして——その夜。
冷たい風が吹く満月の晩、セレンは再び夢を見た。
燃えるような空。崩れ落ちる塔。そして卵の中から差し出される、小さな爪の先。
目を覚ますと、倉庫の扉がきしんでいた。誰も触っていないのに、開きかけていた。
「……!」
慌てて中に駆け込む。
卵が震えていた。
光が、強く、明るく、ぬくもりを増している。
ひび割れが走る。最初は小さな線。すぐに蜘蛛の巣のように広がり、ぱき……と音がした。
セレンは息を飲み、両手を口に当てた。
ひびの間から、光があふれ出す。
卵が——割れた。
中から現れたのは、翼をたたんだ、小さな生き物。
白金色の光沢の鱗。淡い青の瞳。ひと鳴きして、ふらりと首を上げた。
小さな竜が、彼女の手のひらに頭をすり寄せる。
ぬくもりと心音が、ふたつにひとつに溶けあった。
夜は静かだった。
世界でただひとつの秘密。
誰にも知られない、セレンと小さな白金の竜の、最初の夜だった。