谷を越え、森を抜け、セレンたちは北に進んでいた。
しかし、野を越え、山を越えるには、ある準備が必要だった。
「セレン……背中、ちょっと痛い」
エルが不満そうに尾をぱたぱた振った。まだ成竜ではないが、飛行は短距離なら可能になっていた。セレンが乗って空を移動できるのは、大きなアドバンテージだった。
だが問題は、乗り心地だった。
「ごめんね、干し草を詰めた布じゃ、やっぱりすぐに擦れちゃうか……」
エレンとの2人乗りはさすがにきつかった。
どうしても股に痛みを感じる。後であまり人には言えない場所に塗り薬を塗ったほうがいいかもしれない。
「しっぽの根元がこすれる。あと、セレンのひじがたまに……」
「……言わなくていい!」
というわけで、一行は途中の山間の村に立ち寄ることにした。
帝国の目が届かない、孤立した交易村。年老いた皮職人がいることで知られていた。
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村の外れ、干し革の並ぶ屋根付きの作業小屋で、セレンはたっぷり交渉して、上質な山羊革を数枚手に入れた。使っていない工具も譲ってもらい、夜には村はずれの野営地で鞍作りに取り掛かっていた。
「うまくできそう?」
エルがぺたりと腹ばいになりながら、横目でセレンを見つめる。
「ちゃんと見てなさいよ。うちの父は鍛冶屋だったの。革細工も教えてもらってたんだから!」
セレンは針と糸を巧みに操り、しっかりとした座面、滑り止めのついた背当て、エルの鱗にフィットする曲線を一つ一つ調整していった。加えて、飛行時に体を固定するためのベルトも取り付ける。
「ほら、できた!」
夜明け近く、完成した山羊革の鞍を取り付けると、エルは感動したように翼をばさりと広げた。
「すごく楽! セレン、天才!」
「ふふん。もっと言っていいのよ?」
「大好き!」
「……そこまで言われると照れるってば」
風が吹いた。朝の冷たい空気の中で、ふたりは笑い合った。
その日の昼、セレンはエレンに呼び出された。
村はずれの草原、風が流れる場所にエレンは立っていた。腰にはいつもの弓と……見慣れない、細身の刀剣があった。
「君にあげる」
「え?」
差し出されたのは、鞘に入った一本のサーベル。鋼のように輝く薄刃。優雅な曲線を描く、戦場の剣とは思えないほど軽やかな印象。
「これは……細いね」
「その分、鋭い。そして、速い」
エレンの瞳が真剣になる。
「セレン。あなたは、強くなりたいと願っているだろう。でも男には体格では敵わない。力でも劣る。でも、それでいい。かわして、刺す剣を学べ」
エレンは剣を抜き放ち、風の中を流れるように舞った。
半回転、踏み込み、ひねるように突き、また舞う。
その剣筋は一切の無駄がなく、まるで花びらが落ちるような美しさだった。
「君には私の剣技を教える」
セレンはサーベルを受け取った。しっくりと手に馴染む。重くない。振るうたびに、風が撫でる。
「これであの黒騎士とも戦えるかな」
「技は武器ではない。道だ。あなたが歩く道の先に、剣を使うときがあるだけだ」
「難しいよ」
「でもあなたなら、きっと理解できる」
それからの日々、セレンは空いた時間で、剣の舞を練習するようになった。
右に回り、滑るように後退、地面を蹴って、連続の突き。腰を捻り、刃を返す。
最初はついていけなかった身体も、日に日に軽くなっていった。
エルはいつも森の端でそれを見守り、たまに口を出す。
「そこ、回りすぎ。風に乗るみたいに!」
「ドラゴンに言われたくないんだけど!」
「でも、セレンかっこよかったよ」
「ふふん…まぁ、ありがとう」
ひとつずつ強くなっていくのが、セレンにとって前に進んでいる証だった。
父を失った悲しみは消えない。村が燃える夢を見る夜もある。
けれど今は、一緒に眠るエルの鼓動が、そっと彼女を現実へ連れ戻してくれる。