その夜、風は静かに吹いていた。
焚き火の揺らめきが岩壁に影を落とし、星々が雲の切れ間から覗いていた。
セレンは膝を抱えて火を見つめ、向かい側のエレンにふと尋ねた。
「ねぇ、エレン。どうして……あんなに剣がうまいの?」
エレンは少し黙っていた。焚き火の薪をひとつ足すと、低い声でぽつりと言った。
「……昔、ドラゴンに乗っていたの。私も、あなたと同じ竜騎士だった」
セレンの目が大きく見開かれる。
「え……ほんとに?」
「セフィナって名前の、赤い鱗の竜だった。おとなしくて気高くて、空に溶けるような美しい声で鳴く子だった」
風がふっと鳴いた。エルが遠くの木陰で丸くなって眠っている。
エレンは続けた。
「私は帝国軍に所属していたの。まだ皇帝が即位する前……もっと、帝国がまだましだった頃。
帝都の竜騎士隊。そのなかでも特別な部隊の一員だった」
「……そんな過去、どうして誰にも話さなかったの?」
「話しても、信じられないと思ってたし……なにより、痛かったから」
焚き火が小さく爆ぜる音が響いた。
エレンの瞳が、微かに揺れていた。
「私には、仲間がいた。剣を交え、空を飛び、背中を預けられる、信頼する戦友。
その中に……“イウヴァルト”という名の男がいたの」
「イウヴァルト……?」
「……そう。黒いドラゴンに乗って、カリュナスの村を焼いた、あの騎士よ」
セレンの顔色が変わる。
「嘘……エレン、あの人と知り合いだったの?」
エレンは目を閉じ、頷いた。
「……ただの知り合いじゃなかった。彼は……私の恋人だった。
一緒に未来を語った。笑い合った。……愚かだった」
「ある日、彼は変わった。彼は私のセフィナを殺した」
焚き火の明かりが、エレンの顔を照らす。
そこには、深い怒りでも、激情でもない。
ただ、ひとつの傷があった。
「私は彼と戦えなかった。愛していた。信じていた。
でも、セフィナの血に染まった彼を見て、私は、軍を抜けた」
「……それで、反乱軍に?」
「ああ。そして今でも、彼は皇帝の懐刀として生きている。帝国の剣として」
セレンは焚き火を見つめたまま、小さくつぶやいた。
「じゃあ……父を殺したのは、エレンの……」
「私がかつて信じた男、私が止められなかった過去の象徴。だから、私の戦いは、今もずっと終わっていない」
「…まだあるでしょ? 秘密。エレン、隠してる顔があるときは、目がすこしだけ右に傾くの」
「……鋭い子だな。……実はもうひとつ」
エレンは、小さな布を取り出した。中には折られた古い紙片と、黒い金属でできた細い輪。
「私には、弟子がいた。名はリィカ。
私の剣を受け継ぎ、竜には乗らなかったけれど、とても優秀でまっすぐな子だった」
「その子は……今?」
エレンの瞳が苦しげに曇る。
「帝都の地下に囚われているはずだ」
セレンはしっかりと拳を握った。
「助けよう。……リィカさんも、わたしたちの仲間になるなら」
「……ありがとう、セレン。そう言ってもらえるだけで、私はまだ前に進める気がする」
夜空に星がまたたく。
遠くで竜の寝息が微かに震え、風の音が草を渡っていった。