その都市は、風の音がよく響く場所だった。
帝国の影がまだ薄く、反乱軍の協力者も潜む港町ベルメルド。
セレンたちはここで数日の補給と情報収集のため、滞在していた。
市場の匂い、船の汽笛、石畳を走る子どもたちの声。
少しの間でも、穏やかな日々が戻ったように思えた。
だが、その平穏は唐突に破られる。
——影が落ちた。
空を裂くような甲高い声。街の上空に現れたのは、巨大な黒い翼を持つ鳥だった。
その背にまたがるのは、灰色の髪を靡かせた、少女。
「エレン=ローヴァ! 帝国の命により、貴女を拘束する!」
少女の声は澄んでいて、どこか哀しみすら孕んでいた。
その背後、周囲の屋根から帝国兵たちが次々と現れた。
セレンはとっさにサーベルを抜く。
「誰!?」
エレンがその姿を見て、目を見開いた。
「……リィカ?」
そう、空に浮かぶその少女こそ、エレンのかつての弟子——リィカ・ノール。
柔らかな顔立ちと整った輪郭、灰銀の髪に、かつての面影が残っていた。
だが、その目はもうエレンを師とは呼ばぬ者のそれだった。
「なぜ…」
リィカは答えなかった。
大鴉のような飛禽が地上へ滑空し、帝国兵たちが一斉に剣を抜いた。
「戦うしかない!」
エレンが叫び、セレンと並んで剣を抜いた
石畳の広場で、戦いが始まった。
エレンの剣はなお冴え、流れるように帝国兵を切り倒していく。
セレンもサーベルを手に、敵の懐を斬り裂いた。
だが、リィカは動かない。
空から彼女はただ、すべてを見下ろしていた。
そして、ふいに指を鳴らした。
次の瞬間——黒い鳥が再び舞い上がり、一直線に地上へ。
リィカの身体が、羽のように軽やかに宙を舞い、エレンの背へ向かって落ちてくる。
「リィカ!」
エレンの叫びとともに、刃が交差した。
リィカの槍が、エレンの胸を貫いた。
時間が止まったようだった。
エレンは血を吐き、何かを言いかけて、崩れるように倒れた。
「エレン……!? エレン!!」
セレンの叫びが、裂けるような風にかき消される。
リィカは静かに地に降り立ち、倒れた師を見下ろしていた。
その瞳に、涙はなかった。だがその指先は、わずかに震えていた。
怒りで震えるセレンが飛びかかろうとしたそのとき。
——空から、白金の翼が風を裂いた。
「セレン!」
エルだった。炎を吐き、帝国兵をなぎ払いながら地上へ滑空してきた。
セレンは涙をこらえながら、倒れたエレンを見た。
エルの背に飛び乗り、翼がひと振りで風を巻き起こす。
リィカは追おうとしなかった。ただ、空に消えるセレンの背中を見つめていた。
その唇が、かすかに動いた。
「ごめんなさい、先生」