規律の家に生まれたリンドは、周囲から品行方正、公平無私の理想を体現したエルフとして知られていた。
リンド自身も、周囲の同胞からの期待に応えようと努力を欠かさない。
その努力の甲斐もあって、若手のエルフの中で最も将来を嘱望されるまでに成長を果たした。
そのような評価をされていることがリンドの誇りであり、存在意義であった。
だから、許せなかった。
「——アリス長老、話とは……?」
数十分前。
リンドは冷たさを幻視させる伸びやかな声で、目の前にいる半裸の女性に声をかけていた。
「おお、待っていたぞリンド。お、見ないうちに大きなったなぁ!ほれ座れ座れ」
煙管《キセル》を吹かしながら胡坐をかき、リンドを見るのは『放蕩』の長老アリスゼアリスだ。
長いのでアリスと大々的に略称を許している、名を大事にするエルフにとっては稀有な人。
リンドはその服装といい、その大雑把な性格といいエルフらしからぬ佇まいに溜息をつきながらアリスの対面に正座する。
「それでアリス長老、話とは?」
「いや~本当に大きくなってー。あ、お菓子いるか?人間の国から仕入れてきた高級品らしいぞ!私も食べたが、めちゃくちゃ美味しかった!なんていうの?さくさく~ってか、もちもち~ってか……新触感、人間は短い生なのに本当に面白いもんつくるよな~」
「……話とは?」
目頭を押さえながら、リンドは自分を呼び出した理由を問う。
いちいちアリスに付き合っていたら、明日どころか本題を離し始めるのは来月になるだろう。
アリスは暖簾に腕押しと言う言葉が似合うリンドをみて、不服そうにに頬を膨らませながら煙管を床に置く。
コン、と言う硬質な音が部屋に響き渡る。
「……世界樹が半焼してから、十年か」
「……?そうですね」
突然変わったアリスの様子に、リンドは首を傾げる。
どうして今、その話題を出したのだろうか。
雑談ではない。
彼女は雑談で頑なにこういった話題に触れないから。
「あの日の事を、リンド……君は覚えているか?」
「は、はい。確か……」
「あの日生まれたばかりの赤子が、エルフの森を……そして我らが守っている世界樹を半焼させた」
アリスも、リンドも同じく遠い目をする。
あれは何よりも衝撃的な事件だった。
「事態を重く見た私ら長老は、その赤子を牢屋に入れ、封印をすることにした」
「それは……」
リンドの刺すような非難の視線に、アリスは両手と首を振って否定を示す。
「いや、違う違う。封印をしたのはあの子の力だ」
「力?」
「ああ、通常の魔術や物理的現象の炎では、本来焼けぬはずの世界樹を焼いた力をだ」
そういえば、と。
エルフは森と共に生きる種族ではあるが、火を使う機会はよくある。
だが、火事になったことはリンドの記憶にはない。
エルフの森の植物はみな、強い耐火性を持っている。
その大本である世界樹がただの火で燃えることは、あり得ない。
そんな所業ができるのは、まるで。
「プロムズ……」
「——火を盗んだ太古のエルフか……言い得て妙だ。まさしく悪魔の子だな」
リンドはその声に驚いて顔を上げる。
今の声はアリスではなく、後方の扉付近から聞こえてきた。
「アリス長老、準備が整いました」
「おおそうか。まだリンドとの話の途中だったのだがな……」
「事情は私が追って説明しますので」
アリスは心なしかかしょんぼりとしている。
「アリス長老、この方は?」
リンドは入ってきたエルフの名を知らない。
顔面を含んだほとんどの肌を露出させず、頭部にはベールのようなものを被っている。
かろうじて声から女性であることが分かる。
「私は貴女と同じ『規律』の家の者です。規定により名は伏せさせてもらいますが、現在は石牢の番人を務めさせてもらっていいます。呼ぶならば、番人、と」
「石牢……確か、特殊な事情のある犯罪者を収容しているという……」
番人はこくりと頷く。
リンドは嫌な予感が頭によぎった。
「そのような人がなぜ……?」
「……時にリンド君。出世に興味はあるかね?」
会話の輪に入れていなかったアリスが、再度煙管を吹かしながら言う。
アリスはリンドの言葉を待たずに言葉を紡ぐ。
「いやもちろん、あるよねあるよね。じゃあ、君に仕事があるんだよ。拒否しないよね!」
「え、ちょ、ちょっと」
アリスの畳みかけてくる言葉に、リンドは当惑する。
「受ける?受けるよね?出世できるよ?」
「は、はぁ……流石にどういう仕事か分からないと何とも言えないんですが」
アリスは目を逸らす。
その動きが、リンドを不安にさせた。
「……あ!外の世界を見て回ることができるよ!君、小さい頃は外の世界を見て回りたいって泣き喚いていたじゃないか!」
「別に泣き喚いてなど……え、外の世界?……いやでも」
先程とは違い逡巡するリンドの姿を見て、きらりと光る眼光。
「今ここで、首を縦に振れば良いんだ。そうすれば君は、外の世界に行ける」
「…………」
静寂が、煙と同じように部屋の中に充満する。
「……分かりました」
長考の末、導き出したのは同意。
「——!そうかそうか!じゃあ、番人君、あとはよろしくね!
「……承知」
リンドはこの時はまだ知らなかった。
この先に待っている、己に課せられた仕事というものを。
結論から言って、リンドはこの先後悔することになる。
己が変わるほどの出来事が待っていたのだ。
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―――——―――
―――——
「——これ、は……!?」
やや強引なアリスから、番人についていくように言われたリンドは目を疑った。
やけに分厚く重い扉を開け、その中にいるエルフを見て。
リンドは驚愕の表情を浮かべ、エルフと番人を交互に見る。
両腕をやけに厳重な手枷で縛られ、両足には鉄球と鎖によって行動を制限されている。
【
そこには、
あり得ない。
エルフは悠久を生きる妖精、と揶揄されるほど長い寿命を持つ。
その姿は人型でありながらも、人間はおろか獣人や魔人とは隔した
長い寿命を有している種族は、獣人や魔人にもいる。
だが、そんな彼らでも口を揃えてエルフは異質だという。
――エルフは歳を取らない。
より正確に言うならば歳は取るものの、その取り方が生物として異質なのだ。
通常の生物は、肉体の摩耗により歳を取る。
赤子から、乳幼児、子供、青年、大人、老人といった風に、細胞の……肉体の摩耗により年を取っていく。
だがエルフの場合、肉体による摩耗は起こり得ない。
であれば、どう歳をとるのか?
魂だ。
精神と言い換えてもよい。
精神の在り様によって、エルフの体は変化していくのだ。
男性の精神を持つものは男性に、女性の精神を持つものは女性に。
幼い精神を持つものはそれ相応の幼い容姿に、反対に老人のような精神を持つ者は老人の姿に、と。
だからこそ、信じられなかったのだ。
目の前の存在が。
――どうして大人の姿になっている!?
長寿を誇るエルフは、それだけ魂の摩耗が起こりにくい。
成長も老化も、極めて緩やかなものだ。
だが、目の前にいるエルフは違う。
森が焼けてから十年。
つまりこのエルフは十歳なのだ。
普通のエルフならば、まだ物心がついたころくらい。
成長が早いと言われたリンドですら、二百の歳を越えてようやく大人の姿になった。
普通のエルフならば、三百から四百の間に大人の姿へと変容すると言えば、分かりやすいだろうか。
異質な種族であるエルフの中でもなお際立つ異質。
信じられぬものを見るような目で、リンドはプロムズを見ていた。
「起きろ、【
番人が、悪魔の子に向かって言う。
その声はリンドやアリスに向けるものとはまったく別種の冷たさ……憎しみにも似た感情が含まれている。
ゆっくりと、悪魔の子は面を上げる。
退廃的な何も映していない瞳。
頬はこけ、唇は乾燥し、髪は汗で汚れている。
だが、それでもわかる魔性の美貌。
何から何まで、気味の悪さを感じさせるエルフだ。
「!!」
見た。
その黒い瞳孔が、リンドを捉えた。
視線は固定され、リンドから外れることはない。
なぜリンドを見ているのか、何を思っているのか、その光の無い瞳は教えてくれることはなかった。
代わりに、言葉を紡ぎ出す。
口を震わせゆっくりと。
「っぁ……」
長く声を出していないのか、声が掠れている。
何度も、何度も掠れた声を出して慣れさせる。
そうしてようやく紡ぎ出した言葉。
下手くそな笑みを浮かべ、リンドを見る。
「——君、好きな女の子っている?」
「……………は?」
は?だ。
このエルフは何を言っているのだろうか。
好きな女の子?
なぜそんなことを聞いてきたのか?
いや目の前にいるエルフは、世界樹を燃やした悪魔の子だ。
であるのならば、言葉の裏に隠された真意があるのだろう。
そうでなければ、こんな馬鹿みたいなことを聞くわけがない。
「…………」
リンドは冷や汗を掻きながらも慎重に答えなければいけないと、悪魔の子の真意を読み解かなければならないと頭を回していた。
「御託は良い」
リンドは思索から俯いていた顔を勢いよく上げる。
番人が、リンドを怒りに満ちた形相で見つめていた。
「お前を、この石牢から出す」
「……!どういう風の吹き回しだい?ずっとここから出してくれなかったじゃないか」
視線は外していても話だけは聞いていたのだろう。
石牢から出ることができると聞いて、ようやく悪魔の子は番人の方を見た。
「貴様の世界樹を焼いた罪は重い。本来、一生をここで過ごすことだったろう」
「そう聞いていたね」
「だが、事情が変わったのだ、出ろ」
番人はそれ以上話したくないように、嫌悪感を隠さない。
それもまあ、当然のことだろう。
目の前にいるのはただの犯罪者ではなく、世界樹を燃やしたエルフなのだから。
「……痛いな、もう少し優しくできないのかい?」
「黙れ」
悪魔の子の足枷を外し、無理やりに立たせる。
その身長は、一般的な身長のリンドよりも二回り程度大きい。
「これは外してくれないのかい?」
「当り前だ」
見せつけるように、悪魔の子は両腕につけられた手枷を持ち上げる。
「残念、取り付く島もないや」
声は残念そうな声色であったが、その顔は満面の笑みだ。
「何を、笑っている」
「いや別に?久しぶりに百合の波動を検知しただけだよ」
その瞳は、やはりリンドに向けられていた。