学生時代の話である。
学生だった私は仕送りで生活していたのだが、当然バイトなるものもする訳で。
で、学生相手のバイト照会センターが大学近くにあったからそこでバイトを受ける事に。
その際、ずっと気になっていたバイトがあった。
皿洗い 時給650円 まかないあり
常に残り続けていたバイトなのだが、今にして思う。
あまりに割が合わなくてみんな避けていたのだろうと。
ところが、そんなのを私は読める訳もなく、
「ずっと残っているな……じゃあ、やってみるか」
と軽く応募する事に。
このバイトは卒業までかなーり長く付き合うことになった。
愛媛県松山市道後温泉のホテルの厨房の皿洗い。
給食のおばちゃんがするようなエプロンと長靴と帽子をかぶって週末ひたすら皿洗い。
時はバブル崩壊真っ只中だが、当時の愛媛はしまなみ海道工事でかなり潤っており、工事関係者たちの宴会は他の温泉地の大規模企業客激減のダメージをあまり受けていなかった。
時間は19時から23時までで、最初の19時あたりはやる事もなく、まかないの夕食をモグモグ。本格的に忙しくなるのは20時からで、お盆につまれたお皿を洗剤と水たっぷりのシンクに入れてお盆も洗う。
私は主にこのお盆を洗う役だった。
洗い場の外に出てホースでお盆をジャーって洗って、その後スポンジでごしごし。
そしてそのまま夜風に晒して乾かして、乾いたものから回収。
お盆を洗い終わると、今度は洗い終わった皿の分別。
皿洗いは専属の社員さんがやり、あくまで私たちは補助というのがこのバイトの特徴である。
「朝倉さん。上の片づけお願い」
「はーーーい」
皿洗いのバイトなのだが、実質的な何でも屋である。
そして、私はこの手の何でも屋として呼ばれる事がとても多かった。
エプロンを脱いで、着物を着て仲居さんに早変わりして、宴会場に。
基本は客がいなくなった後の片づけなのだが、配膳が足りなくて手伝う事も多々あった。
もちろん接客をさせるのではなく、食堂から宴会場までの往復である。
エレベーターを使うとはいえ、これがなかなか大変なのだ。
とはいえ、役得も無いわけではない。
「これ、余ったから食べていいわよ」
客が手をつけた食事は基本ダメだが、客が手をつけなかった食事、具体的に言うと団体旅行で一部キャンセルが出るケースがあって、人はいないのに食事は無人の席に置かれるものはバイトが食べていい事になっていた。
これが美味しいのなんの。
私はここの余り物で松山の鯛にゅう麵を知った口である。
あと、季節ごとに果物がデザートとして出たり。
いちごやメロンやぶどうなどフルーツとアイスクリームやケーキが出ていたがある季節になるとほぼフルーツが柑橘系になるのはさすが愛媛県と苦笑した覚えがある。
「ねえちゃん。可愛いな。なんぼや?」
「あはは。ありがとうございます。
そっちじゃないんですよー」
客からのセクハラトークもまだまだあった時代。
何しろ男性団体客相手で酒が入ればそういう系のおねーさんたちも大挙して宴会場に来るわけで。
あの時期のピンクコンパニオンの時給はいくらだったか覚えていないが、間違いなく650円ではないと思う。
「あんたなんで仲居やっているのよ。こっちならもっと稼げるのに」
と何度言われた事か……実際、夜嬢もやる事になったので、あのころからその気はあったのだろう。
皿洗いと片付けが終わればアルバイト終了。
遅くなればその分残業代は出たし、早く終わっても23時分のバイト代は出してくれた上に、更に私的にうれしかった特典がある。
「お疲れさま。温泉入っていいよ」
道後温泉の旅館のお風呂につかれるのである。
これの気持ちよい事と言ったらもぉ!
長湯の私はたっぷり温泉につかって、家に着くのが24時過ぎもよくあった。
女の一人帰りは危ないとはいえ、原付での通勤だから怪しい人に絡まれる事もなく、温泉を堪能したのである。
で、バイト代だが、22時からは深夜割増25%があって……3000円届かない。
今、計算して愕然としたが、食事とお風呂ついても普通のバイトならもっと稼げるよなーと今更なんであのバイトをみんな避けていたのかやっとわかった。
そんなバイトを私はほぼ四年間する事になる。
旅館の方も、こんな鴨葱を忘れる訳もなく、気づいて見たら、
「朝倉さん。今度の週末団体さんが来るんだけど来る?」
「大丈夫ですよー」
そうやって稼いだお金は古本屋にて本に消えていったのである。
年末年始に入った時は、年越しそばにおせちがついて嬉しかったのはいい思い出である。
時代というのは残酷なもので、しまなみ海道全通後に道後温泉はブームが去り淘汰の波が来る。
団体旅行客をメインに考えていた旅館はこの後バタバたと潰れ、その波に私のバイト先も巻き込まれる事になったが、それを知ったのは卒業して福岡に住みだした頃の話。
久しぶりに道後温泉に寄った際に、かつてのバイト先の跡地に行くとこじゃれた個人客専用のホテルが建っていた。
今や時給が1000円を超えるのが福岡でも当たり前になってきた時代。
時給650円で嬉々として働いた女の昔語りはここで終えようと思う。