「ラウンジご利用ですね?」
「はい。このゴールドカードで」
「たしかに。ありがとうございます」
空港にはラウンジというものがある。
お値段は1000円ちょっとだが、コールドカードを持っていると無料で使えるという所も多い。
使いだしてから、待合室で待つよりもラウンジを使う方が多くなった。
特に羽田空港。
中で待つよりもラウンジで快適にという事でQOLが上がった事を実感する。
格安航空会社を使っていた昔の私からは信じられないだろうが、生活の質を上げると戻せないというのを思い知るのは、私にとっては空港のラウンジになるだろう。
お金を払う事でソフトドリンクつきの優雅な待合室という訳で、このラウンジの使い方を教えてくれたのが、今回初盆に出向くことになった友だった。
福岡から松山まで飛行機で一時間もかからないが、昔の貧乏学生だった私はそんな贅沢ができる訳もなく、松山から小倉までフェリーで一夜かけて行き来したものである。そのフェリーも今年利用低迷から廃止となり、万感の思いをこめつつ飛行機は福岡空港を後にした。
肝硬変だったらしい。
私は酒をたしなむ人ではないのでその死因にいまいちぴんとこなかった上に、福岡でその訃報を受け、葬儀も家族葬だったこともあり、実感というものがわかなかったというのはある。
車を出してくれる松山の友人一人にだけ声をかけてひっそりと帰松。
両親が転勤族で生まれも育ちも九州だが、大学がこっちだった事もあり、私にとっては松山は第二の故郷といっていいだろう。
松山に帰るたびに心が躍ったものだが、今回の帰松は本当に心が躍る訳もなく。お盆の稼ぎ時ゆえに値上げした定宿ではなく、ちがう宿に前日泊して体を休める事に。
翌日。
車を出してくれる友人と待ち合わせてその友の家へ。
両親と来ていたお坊様が出迎えてくれ、手を合わせる事に。
亡くなったすぐ後に私の最新刊の本が出たので遺影にその本を飾らせてもらう。
少し話をして、友の部屋を見せてもらうと、懐かしいものを見つけた。
「あ、これ学生時代に書いた同人誌だ。ほら。ここに私の名前が」
「懐かしいなぁ……」
来た友と二人でそんな話をしていたらご両親がよければ形見分けとして持って行ってくれないかといわれて引き取ることに。
日付を見ると1999年だった。
あれから四半世紀が経過し、私もいまや小説家と呼ばれるようになった。
亡き友は体調を崩す時まで私の本を買ってくれていたらしい。それが嬉しい。
帰りの車の中の会話もなんとなしにそんな話になる。
「さくら。あなたは独身だっけ」
「そうだけど」
「あなたも結婚したら?」
「まあ、こんな稼業家庭もったらできないわよ。そっちはお子さんは?」
「二人。小学生だけどワンパクでね」
「子供の為にも絶対に死んだら駄目よ。私はまぁ、死んでも本が私の名前を記憶してくれるけどね」
今回友人の車は軽自動車だが、子供の為にそろそろ大きなワゴン車を買わないとねーなんて話を聞きながら昼食。
足を出してくれたので私が奢り、ついでとばかりに古本屋めぐりをする事に。
「子供がいるとなかなか来れないのよ。欲しがるから」
「ご愁傷様。こっちは本の置き場所がなくなって電子書に切り替えている。その本の数が3000冊を超えたわよ」
「本は置き場所がすぐなくなるからねー」
そんな話をしながら数冊の本を買って友と別れる。
わが友の初盆の一日はこうして終わった。
松山を去る日。
荷物は宅配便でおくり身軽になって、チェックアウト。
松山空港のリムジンバスの乗る前に時間があるからと松山駅前の温泉に入ることにする。
本来なら、道後温泉で一風呂というのがいつもの私なのだが、やはり今回の帰松はそんな気分ではなかったのだろう。
湯船につかりながらとめどなしにわが友の事を思う。
わが友も創作活動をしており、夢に見切りをつけて社会人になった。形見分けでもらった冊子はそんな彼の創作の思いがこれでもかとあふれていた。
「ラウンジご利用ですね?」
「はい。このゴールドカードで」
「たしかに。ありがとうございます」
松山空港のラウンジに入る。
亡き友と一緒に居た最後の場所である。
小説家になったと報告する為に松山に戻った際に、応援してくれた彼は空港の待合室で話すのではなく空港のラウンジで私をもてなし見送ってくれたのである。
それが最後の姿になるなんてその時の私は思う事もなく。
ラウンジの席に座る。
地方空港のラウンジだから大きくもなく、客もそんなに入っていない。
とはいえ、松山らしいのは、ポンジュースが置かれている事だろう。
少しだけ目を閉じる。
そしてノートパソコンを取り出してこれを書いている。
「ああ。やっと泣けた」
実際に目から涙が出ているわけでなく、ノートパソコンに書かれたこの文章にしっかりと涙が残っている。
小説家として彼の冥福を祈りながら、私はこの文章を投稿した。