小学校の頃だったか。
総合の時間に『自分の将来の夢』をテーマとした授業を受けた。
先生の指示に従って四人班となり、皆で将来の夢について語り合った。
ヒーロー、消防士、パティシエ、モデル、お笑い芸人、研究者、ユーチューバー、サッカー選手、お医者さん。
まだまだ幼かった俺含むクラスメートたちは憧れの職業をあれこれ頭に浮かべて、希望に満ちた未来に胸を膨らませていた。一つに絞れず、各々からたくさんの案が出て、黒板はチョークの白い文字でビッシリ端から端まですぐに埋まった。たまにふざけたことを言って場を笑わせる子もいた。算数や国語の授業と違って比較的楽しい授業だったと記憶している。先生も満足げな顔をしていた。
でも、途中から俺はクラスメートたちの考えを聞いていて終始腑に落ちず、心の内でずっとモヤモヤしていた。
ヴィランから皆を守りたい、美味しいスイーツを作って皆を笑顔にしたい、お医者さんになって元気にしてあげたい。
それらに一貫しているのは、誰かを幸せにしたいという願いが込められているということ。
俺は思った。皆が上げた職業たちでは一部の人しか幸せにすることしかできない、と。
ヴィランから救われた人は嬉しいだろうけど、じゃあヴィランは?
スイーツ好きの人だと笑顔になるかもしれないけど、もしスイーツが苦手な人がいたら?
病気を治せば元気になる、でも病気の無い人は? 健康体の人でも不幸だって思っている人はたくさんいる。
幸せにするなら、いっそのこと皆平等に幸せにした方が良い気がする。
俺は持ってますよ、合理的に皆を幸せにできる将来の夢を。
手を挙げる。姿勢良く、真っ直ぐと、指の先まで伸ばして。
そして口を開き、ハッキリとした口調で意見を述べた。
先生、ぼくは――
***
――吹き具に口を付けて優しく息を吹き込む。
するとフワリと透明な風船が出来上がった。太陽が反射してキラリと水晶玉みたいに光っている。綺麗なシャボン玉。
「何歳児だよガキくせー」
「ピチピチの17歳児です」
いいですか、シャボン玉というのは純真な子供心さえあれば何歳であっても楽しめる魔法の遊び道具なんです。勉強とお世話に明け暮れる俺に癒しを与えてくれる人生の必需品、俺はこんな素晴らしい道具がたったのワンコインで買える事実に感動しました。
「荼毘さんもいつかきっと楽しめるようになりますからね……大丈夫ですよ、俺は貴方を見捨てない」
「死に急ぐのが趣味なのかお前」
荼毘さんがイライラした様子で舌打ちを一つ。怖かったので制裁対策に距離を取ろうと身を引く。しかしそれよりも先に荼毘さんが俺の腕を掴んで強引に引っ張った。
今回そんな気に触れるようなことしてなくないですか……!?
異議申し立てようと「その口は何のためについてるんですか!」と必死に言論での話し合いを訴える。その口は俺が奢ったパンを食べるためだけについてるんですか! 違うでしょ!!
しかし、荼毘さんは俺のことなど目にすらいれず、ただ一言。
「下がってろ」
脈略の無さすぎるわけのわからない返答に、当然ながら俺は頭にハテナを浮かべた。
だが直後、青い炎が勢いよく一直線に放射された。同時に「ぎゃっ」という誰かの短い悲鳴が聞こえる。
あまりの突然の出来事に状況がよく呑み込めない。
少し後ずさりして、なんとか思考だけ死ぬ気で巡らせた。
何があった? この炎は? まさか荼毘さんの個性?
候補はいくらでも出てくる。けれどもそれを本人に確認する程の余裕がないから全ては憶測で終わる。謎と混乱だけが積っていくばかり。
炎の中にあった黒い人影は徐々に身体の外形を崩していき、やがてドシャリと音を立てながら完全に崩れきった。青い炎が止み、そこに残っていたのは黒焦げのナニカだけ。遠くからでも焦げ臭いを感じる、熱気を孕んだ煙がもくもく立ち上っている。
何が起きたかも、何でこんなことになっているのかも、俺には全くわからなかった。
でも、今この時点で一つだけハッキリと言えることがある。
「……ころ、した…………?」
震える声でそう呟けば、荼毘さんは平然と「俺が先週消し炭にしてやった奴の残党だろ、一人で来るとは命知らずな野郎だ」と鼻を鳴らしていた。は、はあ。荼毘さんが、先週消し炭になされた方の残党さんですか……いやいやいやいや。
俺はすぐさま黒焦げとなったソレに駆け寄り、状態を確認する。でもやはり既に手遅れなようで、息をしている様子は無い。形もまともに保てていない、とても無残な有様だ。
その場に膝をつく。
すると荼毘さんは俺の両肩を掴み、体重をグッとかけてくる。
「どう思った」
緊張感に包まれるこの場ではどうにも噛み合わないノンビリとした声音。
俺は息を飲んだ。
逃げるなよ、そんな意思が両肩から伝わってくる。
大して強いわけじゃない、体力テストE判定の貧弱な俺であったとしても頑張れば振りほどけそうなぐらいの力。
俺が逃げないと信じているからなのか、はたまた俺のことを試しているからなのか。
どっちにしろ逃げたらロクなことになりそうじゃなかったので大人しく捕まっていることにする。
俺はまだ、死にたくはないので。
「……可哀想だな、と思いました」
おそるおそるだが、なんとか言葉を紡いだ。
荼毘さんが人を殺したとか、目の前に出来立てホヤホヤの焼死体があるとか、そういうことを深く考えるのは一旦全部後回しにして質問に答えることだけに集中した。多分それ以外のことをしようとしても動揺のあまり上手くできないような気がする。
「この人は焼けて死んじゃったんですよね」
真っ黒の手らしき部分に人差し指で触れる。わりと熱くて一瞬手を引っ込めたが、気合で握ってやった。
表面が驚くほど脆い、力を籠めればボロボロ崩れていきそうな程だ。ついさっきまで本当に呼吸をしていたのか、血を巡らせていたのか、そんな変なことを疑ってしまうぐらいその手は最早手とは言えない、ただの塊そのものだった。
この人は、炎で身体を焼かれて、死んだ。
「ただでさえ夏の日差しが酷いというのに、可哀想」
ポツリと呟く。
俺はこの人の知り合いとかそういうんじゃないけど、ただただ可哀想。
「呼吸もできなかったんだろうな」
喉が焼けて、気道も焼けて、肺も焼けて。想像を絶するような苦しさだったのだろうな。
なんとなく残っている顔の部分は、悲痛な表情を浮かべているように見えた。痛みに、苦しみに、これから訪れる死に、絶望と恐怖を抱いているような、そんな顔。
ああ、心が痛い。
「かわいそう」
この言葉を何度も繰り返し零した。でもご本人はもうお亡くなりになられたので俺の声など全く届いていないのだろうけど。
同情の声も黒い煙と共に空へと消えていく。全てが黒で、塗りつぶされる。
荼毘さんが俺の顔を覗き込んでくる。いかにも「気持ち悪い」とでも言わんばかりに顔を歪ませている。そんな顔をするぐらいならこんなこと聞くなと文句を言いたかった。
「――つまりは人を殺した俺に対しては何も思わないと?」
相変わらず意地悪な聞き方をする。
だが、皮肉なことに言われてみればその通りとしか言いようがなかった。
彼は何かの気の迷いで再びその炎でさっきの人みたく俺を焼き殺すかもしれない。それは嫌だ、殺されたくない、そういった思いはあるっちゃある。
しかし荼毘さんが人を殺したということ自体については然程気にしてはいなかった。
酷い、とか。イカレてる、とか。そういうのは……あんまりない。
わざわざその行為を咎めようとは思わないし、否定しようとも思わない。そういうのは荼毘さんが勝手にやればいいと思う。ただ俺だけは殺さないでほしい、それだけのこと。
人を殺した、それは事実としてそこにあり続けるだけだ。後からとやかく言おうと起こってしまったことは起こってしまったことなのだからどうしようもない。
我ながら結構意味わからんこと言ってると思うけど、これに関しては勘弁してほしい。
「焼け死んだ人は可哀想だと思います。でも言ってしまえばそれだけかな、と。
俺が今更荼毘さんのことを罵倒しまくって何が変わるのかって話ですよね」
荼毘さんは元からそういうところあったんで、驚かないことはないけど受け入れることはできますかね。だって毎晩五人ぐらい人殺してそうな顔してますもん。俺は彼が国際指名手配犯のテロリストと言われてもすぐ信じる自信があります。人殺しだとかテロリストだとかよりも動物愛護団体とかFBIとか真っ当な職に就いているとか言われた方が疑う。荼毘さんをというか、日本を。
「俺は荼毘さんの捻くれた人間性を心の底から信じているからこそこの事態を受け入れることができるんですよ」
「……なんでだろうな。お前と喋っているとどうにも殺意が湧くが、こんなアホに腹を立てている自分に呆れて……一周回って殺す気にもなれん」
「その調子で今後も俺のことは殺さないでください」
すると荼毘さんはガシッと俺の頭を掴んで握りつぶそうとするので「『一周回って殺す気にもなれん』とか言ってたじゃないですか……!」と若干モノマネ要素を加えて訴えると「二周回って殺す気になってきた」と淡々と残酷なことをおっしゃるので俺は泣きそうになった。
やっぱり荼毘さん大人げない。