ジョン・ブロンコ・トラガー少尉はパールハーバー基地の警備員詰所で、壁に貼られたオワフ島の地図を睨みつけながら眠気と戦っていた。
日本帝国がアメリカ合衆国はじめとした連合国に宣戦布告したのは6日前、日が昇れば1週間になる。
それからの6日、日本軍はハワイどころか太平洋に展開するアメリカ軍の誰にも姿を見せず、どこに隠れているのかも分からなかった。
情報部は10日前に呉、佐世保、舞鶴から合計22隻の艦船が出撃しているのを確認しているが、それらも4日前にロストし、現在、パールハーバー基地の半径500マイル以内に日本軍が居ないのは確実視されている。
「軍曹、日本軍は本当に戦争をする気ですかね? 奴らが狙うのは戦艦じゃなくて輸送船ばっかりだ」
部下のビル・ハーケン伍長がガムを噛みながら言う。
宣戦布告されて最初の2~3日は皆、緊張を保っていたが4日目からは疲れが見え始め、7日目を迎える今日では気が抜ける将兵たちが半数を占めるほどになっていた。
警備部も例外ではなくトラガー少尉自身も部下たちも緊張を保てなくなっていた。
「日本は貧乏だって話しだからな、船を動かす油が無いのかもしれんぞ」
小隊付き軍曹であるソー・ハリマン軍曹が冗談めかして答える。
父方の祖父がコンゴ生まれのフランス人、祖母がトルコ人、母方の祖父がフィンランド人で祖母がスペイン人という複雑な過程で生まれたソーは6か国語を操る語学の天才である。
3人は電話機のある狭い詰所に籠っているが、トラガー少尉率いる警備小隊の兵士のほとんどは風当たりが良い波止場の担当地区をパトロールしている。
トラガー少尉はぬるくなったコーヒーを飲み干して立ち上がる。
「軍曹、しばらくここは任せる。ビル、ひと回りしてくるぞ」
「イエッサー」
二人の声がはもり、伍長は自分の分とトラガー少尉の分のカービン銃をロッカーから取り出す。
「軍曹、0600にはマーザをよこす。文句を垂れるだろうが、聞き流せ」
「了解です。文句が止まらなければ『文句なら少尉殿に言え』ですよね?」
にやりと笑うハリマン軍曹に、笑顔で応えたトラガー少尉はハーケン伍長の差し出すカービン銃を持ってドアを開ける。
目の前に、目以外を隠したマスクをした男が立っていた。
黒ではなく、濃い藍色の、日本陸軍の戦闘服を改造したような服装で、背中に日本刀を斜めに着けている。
「忍者!?」
トラガーの口から思わず叫びのような声が出て、同時に体が動いていた。
手にしていたカービン銃のストックを下から突き上げるように振り上げ、目の前の男のあごを狙う。
男は半歩後ろに下がるだけで攻撃を避け空振りしたカービン銃がトラガー少尉の手からすっぽ抜けた。
「動くな!」
鋭い言葉と同時に目の前に銃口を突き付けられたトラガー少尉はおとなしくゆっくりと両手をあげた。
「動くと少尉の顔に3つめの目ができるぜ?」
南部訛りの強い男の言葉にハーケン伍長もハリマン軍曹も動けなくなる。
トラガー少尉をすり抜けるように部屋の中に音もなく3人の、同じような格好をした兵士が入り込み、慣れた手つきでハリマン軍曹とハーケン伍長を武装解除していく。
トラガー少尉は横目でそれを追うが、突き付けられた銃が狙いを外さず、動くこともできない。
「お前たちは、何者だ?」
「我々は日本帝国陸軍、特殊部隊GEKKOHだ」
トラガー少尉は芝居めいて応えた男の言葉に顔をしかめる。
『拳銃は最後の武器じゃなかったのか?』
日本語で聞いたトラガー少尉の言葉に、目の前の男は一瞬、驚いたような表情を見せ、そして静かに日本語で応えた。
『拳銃は最後から2番目の武器さ』
『・・・。最後の武器はなんだ?』
トラガー少尉は怪訝そうに聞く。
『そりゃ、核兵器だよ』
からかうような、茶化すような男の言葉。
『まだ実用化してねぇだろうが!』
思わず突っ込んだトラガーに、ハーケンもハリマンも、彼らを取り押さえてる3人の男たちもトラガーのほうを不思議そうに見た。
1941年、12月15日、日の出直後にパールハーバー基地は日本軍の侵入を許してしまった。
そして、侵入者たちは目的を果たすと影のように消えた。
キンメル准将は周囲に立つ男たちに尋ねた。
「損害は?」
「施設に大きな損害はありません。けが人はいますが、死者ゼロです。基地は正常に機能しています。侵入者を逃したこと以外は」
部下の報告を受けキンメルは1枚の紙を手にもち、ひらひらと揺らす。
「奴らは音も静かに入り込み我々の枕元に挑戦状を置いていった。誰一人殺されることなく」
「我々は油断していませんでした。我々は普段通りに目を開き耳を澄ませていました。でも、このザマです」
副官が怒りを抑えるように言う。
「わかっている。奴らがその気だったなら我々は今ごろ天国でバカンスを楽しみ、将兵たちが地獄に落とされていた」
キンメルは目と目の間を2本の指でマッサージする。
「緒戦は我々の完敗だ。だが、本部に敵を侮るな、というのは無理だ」
「でしょうね」
副官も落胆を隠そうともしない。
「彼らは本気を見せました。ですが、一人も死んでいませんし、船も沈んでません。日本軍が手ごわい相手だとホワイトハウスに伝えたところで笑い飛ばされておしまいでしょう」
キンメルは副官の言葉にうなずいた。
司令部の大テーブル、海図が広げられているそこにピンで止められていた1枚の紙。
それは、日本海軍、いや、日本政府からの声明だった。
簡潔で短いその文にキンメルは、虎の尾を踏んだ愚か者たちの尻拭いをさせられる気分を、どうしてもぬぐえない。
「ジャップどもが宣戦布告してから1週間。奴らは輸送船を襲って荷物を奪っていくだけだ」
副官は表情を変えない。
「今はまだ油も食い物もある。だが日を追うごとに余裕が消えていく。我々は、苦しい戦いを強いられることになる」
キンメルは投げやりに、手にしていた紙片をテーブルに放り出した。