「……戦闘継続は不可能だ。降伏する」
アンダーソン少佐は、顔に泥をつけたまま白旗を掲げた。
海岸からまだ10キロと離れていない。
しかしすでに味方と連絡は取れない。
まる1日続いた戦闘で、弾薬も底を尽き死傷者多数。
生き残った部下たちは疲労困憊で、もはや戦意はない。
丘の向こう、日本軍の陣地からひとりの士官が現れた。
「イギリス王室陸軍、アンダーソンだ。階級は少佐、この中隊の指揮官だ」
「日本陸軍、小隊長のウェノ少尉です」
英語が母国語でない者特有のゆっくりした発音の英語で名乗り返す少尉。
しかし。容赦のない口調で先を続けた。
「申し訳ないが、降伏は認められません」
アンダーソンは唖然とした。
「は? ……なに?」
「我が国はハーグ陸戦条約には加盟しておりません。」
ウェノ少尉は厳しい表情で言う。
「降伏を認めれば、捕虜としての保護義務が発生する。我々にはその準備も設備もない。上からの命令です。捕虜は、基本的に受け入れるなと」
そこまで言って、少し肩をすくめて、冗談のように付け加えた。
「実のところ各地の捕虜収容所が満杯でして。上からは“入居希望者は追い返せ”とお達しが出てるんです。とんだ笑い話でしょう?」
アンダーソンはしばし沈黙した。
その沈黙を破ったのは、背後に居た一人の兵士だった。
「なんでだよ?」
流暢な、目を閉じていれば日本人が話してると思ってしまうほど自然な日本語だ。
「中国人や韓国人のつくる和食モドキはもうコリゴリだ、オリーブオイルやバターつかった天ぷらの偽物じゃない、本物の天ぷらが喰いたいんだ。本物の味噌汁と炊きたての白米を食いたいんだ」
兵士は狂気とともに言葉を振りまく。
「俺はいつになったら卵がけご飯が食べられるんだ!?」
兵士が天を仰いで両手をかざし叫ぶ。
それは魂の叫び、全身全霊の主張だった。
日本軍の下士官、階級章を見るに軍曹の中年の男性が兵士の元にいき、何かを話し出す。
「あー・・・」
ウェノ少尉とアンダーソンは喚く若いイギリス兵となだめる中年の日本兵のやり取りに、しばし視線を向け互いに向き合う。
「アンダーソン少佐。我々日本軍としては降伏を受け入れることはできません」
ウェノ少尉はなにも見なかったことを選んだようだ。
アンダーソンはそれに合わせることにした。
「……では、どうすればいい?」
「武装解除を認めます。銃器・弾薬をその場に残し、退却してください。その際、こちらからの攻撃は行いません」
無駄に兵士を死なせるわけにもいかない。
アンダーソンは深く頭を下げた。
「感謝する。……ありがとう。だが」
「だが?」
「こんな森の中で銃を置いていくのに問題はないのか?」
「まぁ、何とかしますよ」
「そうか」
アンダーソンはウェノ少尉に敬礼した。
「我々は撤退する」
ウェノ少尉は何も言わず返礼。
アンダーソンが卵掛けご飯が、と叫んでいた兵士に視線を向けると、兵士が大声を張り上げる。
「全員武装解除、銃と弾薬を置け!」
イギリス兵たちはのろのろと動き出し、その場に銃と弾薬を放り出し始めた。
撤退するイギリス兵たちは、身軽な姿でジャングルの奥へと消えていった。
日本兵たちは戦場に残された小銃や弾薬箱を前に、困惑気味に見下ろしていた。
「なあ、これどうすんの? 管理が面倒だぞ」
「置いてっても誰かが拾うしな。どうしたもんか……」
ウェノ少尉は額の汗を拭きながらぼやいた。
「あんな馬鹿な命令を出した奴、ぶん殴ってやりてぇ」
近くの部下が苦笑した。
「捕虜になるな、させるな、受け入れるな、ですからね。日本の住宅事情が辛すぎて草も生えないってやつですな」
ウェノ少尉は口をへの字に曲げる。
「条約にも加盟してないのに、国際的に良識あるふりだけはしようとする。その弊害だな」
遠ざかっていくイギリス兵の背に視線を向け、つぶやいた。
「それでも……戦わずに済んだのは、まあ、悪くないさ」