1937年7月2日、日本海軍の補給艦神威は奇妙な命令を受け取った。
カロリン諸島の東側の海域で、綾波、磯波と3隻で洋上補給訓練を行っていたが通信士から渡された用紙をみた艦長は即座に命令を下す。
「訓練は中止だ」
副長に通信用紙を回しながら艦長は言った。
「アメリア・イアハートとその相棒が消息不明だそうだ。我々は、彼らの探索に参加する」
副長は渡された通信用紙に目を通す。
「この『イアハート機の推定航路に沿って重点的に捜索、特に南南西方面を丁寧に確認せよ』ってなんです?」
副官が不審を口にすると、艦長は煙草を取り出しながらこう答えた。
「まずは言われたとおりに探すさ。綾波と磯波にも訓練中止を伝えろ」
紙巻煙草をくわえ、マッチ箱を手にして当番兵に命じた。
「機関長をブリッジにあがらせろ」
航海長がテーブルに海図を広げている間に、大柄で筋肉質の大男がブリッジに入ってきた。
「越智機関長、補助エンジンの様子はどうだ?」
大男に艦長が問いかける。
「機械そのものは正常ですが、燃料が20時間分しか残ってないです」
越智と呼ばれた大男は仏頂面で応えた。
「司令部からの命令で我々はフェニックス諸島に向かうことになった。補助エンジン、可能なかぎり使ってどれぐらいの速度が出せる?」
越智は自分の腕時計を見ながら、指を動かし空のソロバンをはじく。
「26ノットか27ノットってところでしょう」
「30ノットだと?」
「15時間もてば御の字でしょう、機嫌を損ねなければ」
越智が不機嫌そうに言う。
「アメリア・イアハートが行方不明だ、司令部から探索に協力しろ、とのお達しで我々も駆り出されたんだよ。速さが要るんだ」
「プリウスミサイルならぬ神威ミサイルをやれってことですか?」
「まぁそう言うなって」
「分かりました。努力はしますが期待はしないでください。ガスタービンってのは発展途上な技術なんですぜ」
「加減して使うしかないってことか」
「自分は機関室にもどります、あのじゃじゃ馬を若手だけに面倒みろってのはむりですから」
「たのんだよ」
越智は敬礼をするとブリッジを出ていく。
「通信士、イギリス領事に連絡だ、イアハート探索のため領海に立ち入る、とな。綾波と磯波にも『補助エンジンの使用を許可する』と伝えろ」
艦長は言いながら艦長席に座る。
「取り舵、進路をフェニックス諸島に向けろ」
「あい、さー」
操舵手が舵輪をまわし、船が傾きゆっくりと向きを変える。
船の向きが変わったのに合わせるかのように、神威は速度を上げ始めた。
「大佐、イギリス軍からの連絡です。日本軍が捜索に加わるそうで、現在こちらに向かってるそうです」
ウォルター・ローリー大佐は司令部からの連絡を受けた通信士の言葉に怪訝そうな顔をした。
「ふん、何が狙いだ?」
「それは知らされていません。明日にもアヤナミ、イソナミ、カモイが来るとのことです」
「そうか・・・ん?」
ローリー大佐は引っ掛かりを感じた。
「カモイってあの甲板がひろい輸送船だろ? 近くにいたのか?」
「カロリン諸島でアヤナミ、イソナミと訓練中だったそうです」
ローリー大佐は頭の中で少し計算をする。
「カモイの速度はどれだけだ?」
「公称では巡航速度11ノットで、最高速は計測してないのでわからない、と言うことですね」
「カロリン諸島から? それで明日にはこっちに来るって? 赤道逆流に乗っても30ノットは出てるぞ?」
「噂の原子力動力ってやつが載ってるのかもしれませんね。無補給で地球を何周もできるとか眉唾ですが」
副長が嘲笑を込めて言う。
「そうはいってもあの日本軍だぞ、どんな奇天烈なメカを作ってるかわかったもんじゃない」
ローリー大佐は言うが、副長は笑う。
「黄色のサルにそんな知恵があるはずないじゃないですか」
「ふむ、どうやら命拾いしたようだよ」
フレッド・ヌーナンはいつものように控えめに、落ち着きを見せていた。
「だといいけど・・・」
アメリア・イアハートは弱々しく答えた。
愛機が無残な姿を晒す浅瀬からこの砂浜まで2マイル近くも水の中を歩くのは至難の業だった。
太ももほどの水深がある遠浅の海を、穏やかでも波がある海を歩いて渡りきったときには全身の筋肉はすでに悲鳴を上げていた。
「まずは少し休もう。それから、今日寝る場所を確保しよう。明るいうちにね」
40代も半ばの、自分より5歳年上のヌーナンがまったく平然としているのをイアハートは釈然としない気持ちで見た。
「天気が回復してくれればいいが、期待できそうにない。満天の夜空を見ながら優雅な一夜を過ごすのは次のチャンスに持ち越しだ」
自分よりも多くの荷物を持って、同じ道を歩いてきたのに、こうやってジョークを飛ばす余裕まである。
「そうね。シャワーを浴びて潮水を流したいけど、濡れっぱなしなのは気が滅入るものね」
イアハートも軽口を返し、小石と漂着している流木や小枝が散乱する浜を奥に向かって歩き出す。
「ここ、どこだと思う?」
「もしかすると、フェニックス諸島のどれかかもしれない。君は?」
「あなたに分からないのが、私にわかると思う?」
「頼られて悪い気はしないけど、冒険家としてそれはどうなんだい」
「パートナーを信頼してるのよ」
二人は軽口を言い合いながら砂場をあるき、木が生えているところまで移動する。
そしてヌーナンがポケットからブリキの缶を取り出した。
「なにそれ?」
「出発前にね。飲み仲間から貰ったお守りさ」
冗談を言い、さらにウインクまで付け加えるヌーナンに呆れるイアハート。
「なかなかよくできてるんだぞ。こんなに小さいのに、ロープ、ナイフ、火打石他にもいろいろと揃ってる。これ1つあれば今みたいな状況だとすごく役立つ」
「あなたの飲み友達って、占い師かなにか?」
「ビクターだよ。スポーツデイリーの」
イアハートは彼ら2人の記事をよく書くスポーツ新聞の記者を思い出す。
妙に教養があるが自身はハイスクールを落ちこぼれで卒業した、と笑いながら話すが、イアハート自身も装備やルート選びに悩んだ時にビクターという記者に助けられたことが何度かある。
本人は運動は苦手だという割に冒険に詳しい、奇妙な青年である。
「あなたのポケットにキャンプ用品を! だそうだよ。面白そうだからもらってきたんだ。しかもこれ、1ポンドしないんだぜ、値段も重さも」
「あきれた。1ポンドも余計な荷物を持ってたの?」
「その分、ウィスキーを置いてきたよ」
「お腹の中に入れてきた、の間違いじゃないの?」
「はっはっはっ」
2人は軽口を言い合いながら、ブリキ缶の中に入っていたロープと銀色のシートを使って雨がよけられる空間を作る。
「この銀色のシート凄いわね」
「薄い合成樹脂のフィルムでアルミ箔をサンドイッチしてるんだって。寒冷地だったら毛布のように体に巻き付けると体温を逃がしにくくて寒さを一時的にしのげるんだそうだ」
「お金かかってるじゃない。ほんとに1ポンドしないの? 10ポンドの間違いじゃない?」
イアハートは目を丸くする。
「種明かしするとね、これは日本製なんだ」
「え?」
「あの国の製品はイギリス経由だと安く買えるからね。アメリカでこれと同じものを買おうとしたら関税のせいでそれこそ50ドルはしちゃうよ」
「ハイテクな製品はなんでもメイドインジャパンね」
イアハートは小さくため息をついて座り込んだ。
ヌーナンは拾ってきた石と流木を組みあわせて即席の竈をつくる。
そしてナイフで流木を削った木くずを作り、そこに缶からとりだした金属片をナイフで削って、削りかすを載せた。
「なにそれ?」
「着火剤だってさ。こうして火花をちらせば、ほら!」
ナイフの背で石を叩き、火花を散らせたとたんに木くずに火が付いた。
息を吹き着かけながら小枝などを足していき、あっという間に焚火に火が付く。
「すごいわね、1分しないで火が熾せちゃったわ」
「科学の力だね」
ヌーナンは立ち上がる。
「水を汲んでくる」
「入れ物は?」
「布バケツってのがあるんだよ」
ヌーナンは手のひらに収まるサイズの布の塊を見せ、それを広げて見せた。
2クォートは入りそうなバケツになる。
「布で水が汲めるの?」
「これ、水を通さない布だそうだよ」
「さすがメイド・イン・ジャパンね」
イアハートのつぶやきは皮肉のようにも、呆れたようにも聞こえた。
ローリー大佐は部下からの報告を受けて地図に探索済みのしるしをひとつ増やした。
担当地区の地図には探索済み、発見できなかった印、がいくつも書き込まれ、時間とともに増えていた。
「そろそろ日が暮れるな」
「航空機は引き揚げさせました。哨戒艇の巡回を増やさせています」
「運よく焚火をしてくれて、運よく炎が上がっていて、運よくそれを見つけられれば、か。運だより過ぎる」
「雲が多いのがせめてもの救いですね。星と焚火を見間違える可能性が減ります」
副官の言葉にローリーは頷いた。
「救難信号は出てる。我々は間違った方向に進んではいないし、彼らが海に沈んでいない証拠でもある。あとは見落とさないようにするだけだ」
ローリー大佐は難しい顔をして地図を睨みつけていた。
そして部下からの報告でまたひとつ、地図にしるしを追加した。
「綾波と磯波からです。救難信号の方位です」
通信士が差し出す用紙を艦長は「おう」とだけ答えて受け取った。
海図に2艦の位置の点を打ち、それぞれの方角に向けて定規を当てて線を引く。
「フェニックス諸島ですか。怖いですね」
「怖い?」
副長の呟きに艦長が海図から視線をあげる。
「まるで預言者が司令部にいるみたいじゃないですか。我々が向かえ、と言われた方向の真正面から救難信号が飛んでくる。そして、左右に分かれた綾波と磯波で三角測量ができ、距離まで割り出せる」
「あぁ、そうか。言われてみればそうだな」
艦長は声を漏らしながら背筋を伸ばす。
どこにも緊張感がない。
「米軍も英軍もハウランド島近辺を探してる。我々はその外側から手を付けるだけ。たまたま司令部の読みが当たったって訳だな」
「本当にそうでしょうか? 指向性アンテナも我が国だけ技術が突出してます。あの『補助エンジン』にしたって10年前には考えられませんでしたよ」
副長の顔色は悪い。
「おいおい、副長。いつから陰謀論者になったんだ? 陰謀論者がいうには我々が陰謀を企む張本人なんだぞ」
艦長のからかうような言い方に副長は少し気分を害したようだ。
「陰謀論を信じたくもなります。偶然というには色々なものが重なりすぎてますからね。我々が演習をしていたことも含めて」
「まぁそうだとしても、肩の力を抜いて周りを見回すんだ」
艦長は副長の顔を覗き込むような姿勢になる。
「我々軍人の使命はなんだ? 最終目標は民間人の命を守ることだ。それができるなら超能力者でも預言者でもなんでも利用するんだ」
「利用、ですか?」
「そうさ。司令部に預言者が居る、そいつが冒険家の居場所を言い当てた。なら、俺たちはそれを利用するだけだ」
艦長が芝居じみた口調でしぐさまでつけて言う。
そこに航海長が口をはさんだ。
「預言者を利用するのはいいですけどね。どこの島に居るかで多少変わりますが、この船じゃせいぜい近づけて5マイルですよ。ボートにのってオールを漕いで行くつもりですか?」
「え?」
「フェニックス諸島はどれもこれもみんな遠浅の島なんで、陸地に近づこうなんて思って下手に突っ込んだらハラ擦って動けなくなってこっちが助けを呼ぶ羽目になります」
航海長の言葉に副長は小さく肩をすくめた。
「補給訓練だって言って本当に重油を詰め込んできたのがアダになりましたね」
「預言者も万能じゃないのか。はーツッカエ」
艦長はつまらなそうにキャプテンシートにどっかりと腰を下ろした。
「暇な奴らを今のうちに休ませておけ。現地に付いたらのんびり飯を食う暇が無いかもしれんぞ」
「あいさー」
副長は不機嫌を隠そうとしない艦長の態度に苦笑いした。
「艦長も寝てください。あと8時間はやることがないですよ」
「邪険にするなよ」
「後々こき使う予定です。今のうちに寝ててください」
副長に強く言われた艦長はしぶしぶ私室へ引き上げていった。
陽の光がイアハートを射抜いたとき、すでにヌーナンは起きだしていた。
一晩中燃え続けていた焚火に、割った流木を足して火を強くして、海水をろ過して作った水を沸かしてた。
そこに消毒薬を入れるとわずかに塩素の匂いが残る水が1クォートほどできあがる。
個別包装された、口に入れるとパサつくのに妙に甘いビスケット。
ビタミン強化されているという、柑橘系の果汁の味がするキャンディ。
それがイアハートたちの朝食だった。
「このキャンディ。最後に食べるのが正解ね。口直しになるわ」
「食べ過ぎないほうが良さそうだ。これ、スニッカーズ並みにカロリーがあるぞ」
ビスケットの包装紙にかかれていた注意書きを読んでいたヌーナンが驚いたように言う。
「普段、食べたくなるものじゃないわね。今みたいな緊急時だけよ」
「まぁそうだな。満腹感はないけど体は動かせる」
ヌーナンは包装紙をたたむとポケットに収めた。
「濡れてる流木を燃やそう。煙が上がる」
「若木でなくて?」
「目立てば何でもいいんだよ、こういう時は」
茶目っ気たっぷりにヌーナンがいい、イアハートはつられて笑ってしまった。
そして二人は、生き残る可能性を高めるために動き出した。
ローリー大佐は難しい顔をして地図を睨みつけていた。
当番兵がもってきた手のひらサイズほどに大きいジンジャークッキーとアメリカ軍伝統の「泥のような」コーヒーだけの簡単な食事をとる間も机の前を離れていない。
調査済み、のマークはハウランド島からだんだんと広がっているが未だにイアハート発見の報告は入っていなかった。
「日本艦から連絡?」
通信士の声にローリー大佐は顔をあげる。
「可能性がある、というレベルらしいです。救難信号の発信源がフェニックス諸島の可能性が高い、と」
「どうやって調べたんだ?」
「三角測量だそうです。アヤナミとイソナミが距離を取って三角測量したとのことです。ただ精度が悪くてあくまでも可能性だ、と言ってます」
「それで受信した位置と方位をこっちに教えてきた、と?」
ローリー大佐は日本軍の伝えてきた情報を確認する。
「ですが大佐。この位置が本当ならアヤナミもイソナミも、昨日の昼からずっと30ノットを維持してることになります。そしてカモイも」
通信士の疑問にローリー大佐は一瞬、考えた。
「隠しごとをしない。つまり、彼らはそれだけ本気ということだ」
「嘘だとは考えないんですか?」
「日本が嘘をつく理由がないからな」
ローリー大佐は地図に日本軍が伝えてきた情報、アヤナミとイソナミの位置と信号を受信した方角、の線を書き込んだ。
「しかし大佐!」
「職務に戻れ。考えるのは俺の仕事だ。君の仕事は耳を澄ませておくことだろう?」
通信士は何かを言いかけたが「分かりました」とだけ答えて通信機の前に戻った。
ヌーナンとイアハートがキャンプ地に戻ってくると焚火が消えていた。
「まぁこういうこともあるよ」
ヌーナンは手早く燃え残っていた流木の配置を直し、そしてナイフと着火剤の金属片を使ってあっという間に再び焚火に火をつける。
5分と掛かららず、水分の多い流木と若木に火が移り盛大に煙を吐き出すようになった。
「さっきも思ったけど、あっという間に火が付くのね」
「マグネシウムが配合されてるみたいだね」
「そういうのはドイツがお得意だと思ってたわ」
「水でも飲んで一休みしよう」
ヌーナンはコップを用意した。
「そのキャンプ用の缶、これからは5個ぐらい載せるのがよさそうね、あなたのウィスキーを減らして」
「クッキーとキャンディが気に入ったのかい? 太るぜ?」
茶化すヌーナン。
イアハートは軽く蹴りを入れるしぐさで応えた。
二人は朝と夕方の明るく涼しい時間帯以外は設営したキャンプの日陰で休むことにしている。
アルミ箔をつかったシートは小さかったが熱を反射するので影にいるだけで体力の消耗がかなり防げていた。
その邸宅は国鉄荻窪駅からあるいて15分ほどのところにあった。
屋敷のダイニングでは新聞を読みながらコーヒーを楽しむ青年、山縣つかさが居た。
新聞には「アメリア・イアハート遭難」の記事が躍っているが山縣はそれを愉快そうに読み進めている。
国防省の中堅職員である山縣は、職権乱用ぎりぎりの綱渡りなことをやって、神威と2隻の駆逐艦を派遣させた張本人だった。
「これで、上手く言ったも同然だな」
ゆっくりと新聞をたたむ。
コーヒーを飲み干すと立ち上がる。
「お富さん」
女中に声をかけると、すぐに初老の女性がダイニングに顔を見せる。
「今日は遅くなるかもしれないです。私の食事の準備は無しで。外で食べてきます」
「はいわかりました。無理しないでくださいね」
「わかってますとも」
山縣はカバンを持つと家を出た。
気分よく通勤していく。
まだ彼は、自分の机には現場から「水深がなくて島に近づけない」という報告が届いていることを知らなかった。
ローリー大佐は難しい顔をして地図を睨みつけていた。
遠目に煙が上がっていた、と言う報告を受けたが、距離を確認する前に煙が消えてしまい方向は判ったが距離が分からないままだ。
煙が確認された方向は救難信号と同じ方向だったので、遭難した二人が生存しているという希望が強くなった。が、それだけだった。
「いっそのこと、フェニックス諸島まで観測機を飛ばしますか?」
副官の進言にローリー大佐は首を振った。
「同じことを言ったら、本部長がダメだと。今まで通りに一歩一歩進んでいくんだ、それが本部の決定だ」
副官はなにか納得できないようだが、黙ってうなづいた。
その日も、連絡が入るたびにローリー大佐が地図のしるしを増やし、眉間の皺を深する時間がじりじりと流れていた。
神威がフェニックス諸島まで50マイルのところに迫った時、太陽が水平線の下へと姿を隠した。
「陽が沈んだが、飛べるか?」
艦長が飛行隊の隊長に訊く。
「飛べます。満月ですからね、それに慶雲は電波着艦誘導対応ですから戻っても来れます」
飛行服を着た男の言葉に艦長は即決した。
「飛んでくれ。冒険家たちは、脱水症状になってる可能性が高い」
「了解」
飛行隊長は短い敬礼をしてブリッジを出ていく。
「艦、風上!」
副長の声で操舵手がゆっくりと舵輪を回す。
「手すきの奴は周囲の監視だ、焚火の炎を見逃すな」
艦長の声で、艦内に人が移動する音が増える。
10分後、九五式艦上偵察機がエレベーターに乗って甲板にあがってきた。
誰が名付けたか、コードネームが慶雲。
マルチロールの偵察機なんだから目出度い名前だろ、という主張がされたという嘘か本当か分からない話しが伝わっているが、大出力のエンジンにバカでかい翼を持った偵察機は日本軍の艦艇に一番多く載せられている、とまで言われる傑作機だ。
折りたたんだ翼を広げ、飛行状態になるとエルロンやフラップなどの動作確認をして、飛び立つ。
1機、また1機と。
「慶雲、あれでまた歴史がまた変わりますな」
ブリッジにあがってきた越智がつぶやいた。
艦長は越智を横目でみて、すぐに視線を外に向ける。
「陰謀たくらんでるだの預言者だの色々言われるが、役に立ってりゃそれでいいと思わんか?」
「艦長はご存じないかもしれんですが、慶雲なんて偵察機は無かったんですよ。しかも航空機として5年は先を行ってる」
「5年? そんなもんなの?」
「技術の蓄積ってのは一朝一夕に積み重なるもんじゃないんです。慶雲についてる空戦フラップ。あれ本当ならあと3年は出てこないんす」
艦長はだまって越智の言葉を聞いている。
「神威だってだいぶ変わってる。ガスタービンエンジン、何年前倒しだとおもってんですか? ズルだのチートだのと言われても言い返せませんぜ」
ジト目で睨まれた艦長は露骨に目をそらした。
「変わりすぎたのか、変え過ぎたのか分かりませんが」
越智はゆっくりと、言い聞かせるように言う。
「浮かれてると足元をすくわれる。あっしはそう思ってます」
艦長は表情を変えないが、何かを考えこむ。
最後の慶雲が飛び立ってから静かに答えた。
「肝に銘じておこう」
2時間後、燃料が心もとなくなって帰投コースにのった1機が、焚火の明かりを見つけたのは偶然に近かった。
ローリー大佐がここ数日で初めて呆けた顔になった。
「なんだと?」
「だから、日本軍が焚火を見つけた、と。航空機で上空をとんだら明らかにSOSを発したそうです」
通信兵が通信用紙を差し出してくる。
「ガードナー島、だと?」
「喫水の関係で接近できないそうです。航空機から食料と医薬品の投下はしたそうですが、接触はしてないとのことですよ」
「一番近くにいるのは・・・ちがう、一番早くつけるのは誰だ? 急行させろ!」
ローリー大佐は通信兵に命じた。
ガードナーに駆け付けた沿岸警備艇が座礁する、などのアクシデントがあったが夜明け前には二人の冒険家はアメリカ軍に救助された。
ビクター・ヒューゴはアメリア・イアハートとフレッド・ヌーナンが救助されたという記事が掲載された新聞を読み、にんまりと笑った。
ラエでも指折りなホテル・セシルのラウンジには彼のように新聞を読み、安堵の表情を浮かべている紳士の姿は散見できた。
だが、ヒューゴが笑ったのは彼らとは違う理由からだった。
「小さな変化。だけど、これでよかったのさ」
日本語でつぶやいたヒューゴは手帳を取り出し、次の記事にするためにヌーナンに質問する内容をメモし始めた。