1936年、永田町、海軍庁の庁舎の一室で岡村は製図版に向かって居た。
艦政本部の第4部に移って早くも3年、専門は潜水艦と言えるようになってきた、と自負する岡村は攻撃型潜水艦の設計を進めていた。
排水量3500トン以下の航続距離も8000海里という小さめの潜水艦だ。
この潜水艦は設計が進む巡潜3型の発展改良型の補佐的な位置づけで運用する前提だった。
モーター周りの構造に蹴りがついたところで、凝りをほぐそうと肩を回しかけて背後に長坂が立っていることに気づく。
「先輩、どうしたんです?」
腕を組み、じっと図面を見る長坂へと声をかける。
「モーターの保持の仕方がよくないな。これだと振動がひどい」
長坂は指で岡村が書いたばかりの図面を指でなぞる。
岡部は戸惑った。
長坂は艦船構造のエキスパートだが、専門は水上艦のはずだ。
「振動は音になる。音は水を伝わって“敵の耳”に届く。つまり、見つかる」
「モーターですよ? エンジンじゃありません」
「そうだ、モーターだ。だが、この保持の仕方だと―――」
長坂は図面のあちらこちらを指しながらここの構造が、とか、ここが共鳴して、などと問題点を指摘していく。
「――と、今指摘できるのはこんなものだな」
岡村は長坂の言葉に、もはやなにかを返す気力は全くなかった。
「そもそもの形状が水中推進に適していないというのもあるがな」
「そこまで音にこだわる必要あります?」
「ソナーの性能はあっというまに良くなるからな。今の潜水艦は『必要になったら潜れる船』だ。常に水中に居ることが前提になってない。水中を動いたらちんどん屋のように煩くなる」
長坂はつまらなそうに言った。
「潜ってるときは戦うときだ、海の忍者がちんどん屋のように目立っては役に立たない」
岡村は長坂の表情を見て、何も言えなくなってしまった。
「ま、とにかく、静かに動かなきゃならん時に静かに動けるように設計すればいいだけだ」
「潜水艦にも詳しいんですね」
「独学だがね」
長坂は冗談めかして言い、自席へと移動していく。
岡村はだまって製図台に新しい紙を貼りなおした。
1943年9月。アメリカ海軍、バックレイ級駆逐艦ジョン・モンゴメリー・ワードはカナダからイギリスへ物資を運ぶ輸送船団の護衛でリバプールまで来ていた。
大規模上陸作戦が噂され、ヨーロッパ方面への支援が強化されて輸送船団の往来が増えており、J.M.ワードはアメリカとイギリスをこの1か月で2往復している。
「提督から、当艦の入港は後回しだと、連絡が入りました」
通信士が用紙を差し出してくる。
「だろうな。了解だ」
用紙を受け取り、目を通した艦長のウッズ少佐は不機嫌を隠そうともしない。
同じ船団護衛についていた、バックレイ級駆逐艦ジョゼフ.P.ケネディJrは湾内に居て、補給と合わせての半舷上陸が許されていた。
「錨を落とせ。ボイラーの火は落とすなよ」
命令してからキャプテンシートへ腰を落とすウッズ。
「ケネディJrはどうして狼を狩れたんだ? 太平洋から来て直ぐだぞ?」
ウッズ少佐は葉巻を取り出すとイラつきを隠そうともせずに吸い口を嚙みちぎって乱暴に火をつける。
「まったくどうして、我々と何が違う?同じバックレイ級だ」
副長は口をへの字にして言う。
「単純に経験の違いでしょうね」
「経験、か」
ウッズ少佐は忌々しそうに煙草の煙を吐き出した。
「初めての航路でいきなり4隻もUボートを仕留めたなんて、言われただけで誰が信じる? 俺なら信じん」
「私もです。この目で見てなければね」
「まったくだ」
ウッズ少佐は大きく煙を吸い込み、静かに吐き出す。
気分が落ち着いたのか、ゆっくりな口調で言った。
「我々も見習う必要がある。ケネディJrに負荷かけて航海の途中で対潜装備を使い切らせて遊兵にするとか、愚の骨頂だ」
「ケネディJrには同期が居ます。対潜のノウハウをレクチャーしてもらうように、交渉しておきます」
「頼んだぞ」
ウッズ少佐は葉巻を灰皿に押し付けて火を消し、停泊作業の指示をするため窓際に移動した。
マシュー・ストリートに軒を並べるパブの1軒にウッズ少佐は駆逐艦ホイットマンの艦長のロジャース中佐と共にケネディJrの艦長を呼び出して、話しを聞いていた。
「潜水艦の見つけ方に秘訣でもあるのか?」と切り出す。
ケネディJrの艦長が苦笑した。
「秘訣なんてないさ。あれだけ煩ければ誰だって気づくだろ」
「音か?」
ロジャースが怪訝そうな顔をする。
「日本の潜水艦に比べたら、Uボートは煩いよ。スクリュー音がはっきり聞こえるし、モーターの駆動音だって喧しい。それに集団で来るからマーチングバンドかタウン・クライヤーのように遠くからだって判るよ」
ウッズ少佐は呆れた。
「おいおい、マジかよ」
「マジだよ。日本の潜水艦、見たことあるか? Uボートと全然違うんだぜ」
ケネディJrの艦長が紙にUボートと日本の潜水艦の横から見た形状を並べて書く。
「まるでクジラかサメのような形だな」
ロジャース中佐が感想を漏らす。
「水中で音が小さくなるための工夫だそうだ。スクリューも小さくてブレードの枚数が多い。それだけ音が小さい。そこまで奴らは音に気を付けてる」
ウッズ少佐も、ロジャース中佐も、表情が険しくなった。
「太平洋じゃ、魚雷の走行音で初めて潜水艦が居ることに気づくなんてしょっちゅうだ」
そして、ソナーをどういう調整すれば良いのか、どのような音に気を付けるか、などを説明していく。
「こっちも動いてるんだぜ、そんなに上手く聞き取れるのか?」
「意外といけるよ。1分ぐらい録音しておいて、速度を変えて再生するのも効果ありだ。ウチのソナー手がやり出したんだがUボート相手じゃ効果ばっちりさ。Uボートはプロペラノイズのピークのひとつが60ヘルツから80ヘルツ辺りにある。それを探すのが手っ取り早い」
ケネディJrの艦長はエールでのどを潤す。
「あとは、奴らが止まったら潜望鏡を探せばいい。狙いを付けようと浮いてくるから、逆にそれを狙ってヘッジホッグを叩きこむだけさ」
「マジかよ」
ウッズ少佐は呆れてしまい、それだけしか言えなかった。
戦後、1950年代後半――ロンドン郊外の海軍技術研究所。
とある展示で、旧日本海軍の潜水艦設計図が机に広げられていた。
それを見た英国技術者がぽつりとつぶやいた。
「どうりで……日本の潜水艦が見つけにくいわけだ。
モーターの絶縁と振動吸収が徹底されている。異常なレベルだ。こんな精度、普通は要らん」
隣で聞いていた通訳兼調査員の男、岡村は静かに目を細めた。
「それが普通だろ?」
英国人は笑いながら首を振った。
「いやいや、そんな常識はこっちにはない。君、よっぽど神経質な設計者に仕込まれたんだな」
岡村は答えず、長坂の顔を思い出していた。
モーターの音から潜水艦の未来まで、何十年も早く見抜いていた男。
(……あの人、本当に何者だったんだ)
その疑問だけが、戦争を越えて岡村の中に残り続けていた。