奴らはいったい何者だ?   作:Shigy20250620

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命の価値

 海軍省の執務室、夏の夕暮れの光が斜めに差し込んでいた。

 壁に掛けられた大西洋の海図にその光が淡く当たり、ノックス長官の顔半分が赤銅色に染まる。

 正面の革張りの椅子に座るキンメル提督は、その光の中でも微動だにせず、背筋を伸ばしていた。

 ノックスは書類の山から一枚の紙を抜き取り、無言でそれを机の上に置いた。

「辞表ですか」

 キンメルの声は静かだった。

「そうだ」とノックスは答えた。

「これは命令ではない。要請だ」

 ノックスの言葉に、キンメルは表情を動かした。

 何かを見透かしたような、呆れと諦め、そして悲しみと憐れみが混ざった視線がノックスに向けられる。

「理由をうかがっても?」

 どこか、からかう様な響きがこもった声でキンメルが訊く。

 ノックスは目を細め、静かに答えた。

「世論が揺れている。君が記者に語ったとは言わない」

 机に肘をつき、顔の前で手を組んだノックスは静かに続けた。

「あの絶妙ともいえる奇妙なタイミングでの、太平洋の補給不足を政府の怠慢だと糾弾する記事。彼は、あれで支持率がかなり落ちるとみているよ」

 キンメルは楽し気なまま、ノックスに続きを促す。

 ノックスは不満げに言葉を紡いだ。

「大統領は君の言い分を参考にすると言っているが、同時に秩序も維持しなければならないと考えている」

「私の言動が、秩序を乱すと?」

 キンメルが面白い物を見たときのように、目を開き片方の眉をあげて見せた。

「軍人の言葉が世論を揺らせば、そう見なされる」

 ノックスは静かに、面白くなさそうに言う。

「政府の方針に対する批判は、越権と取られても仕方あるまい。軍人は政治に口出しするな。それが原則だ」

「補給が滞り海でも陸でも兵は満足に戦えず倒れている」

 キンメルは一拍置いて、ノックスの目をまっすぐ見た。

 直前までとは打って変わった、軍人の表情で。

「今この瞬間にも、赤い血を流して、祖国を呪いながら、犬死している」

 ノックスは微動だにせずキンメルの言葉を聞いている。

「だから、必要なモノをよこせ。でなければもっと多くの命が無駄になる、と私は事実を大統領に伝えたのだ」

「奇妙なものだな。君ほどの階級になっても、命の重さなどと口にするとは」

 ノックスは薄く笑った。

「紳士ぶる必要などないだろう? 相手は黄色いサルだぞ」

「私は敵の人種より、兵の血の色を重視する。赤い血を流すのに、国籍も肌の色も関係ない」

 ノックスの目が細くなった。

「君は海軍の将としては優秀だが、政治に向いていない。現実を受け入れろ。君を更迭すれば、一つの物語が終わり、別の物語が始まる。それが必要だ」

「ならば、私の辞表は良い幕引きになるでしょう」

 キンメルは愉快そうにいい、机に手を伸ばして辞表を手に取る。

「私の首ひとつで、五万人の兵が生き延びるなら安いものです」

 ノックスは無言で立ち上がった。

 窓の向こう、議事堂のドームが夕陽に照らされていた。

「この戦争のあと、君は歴史にどう記されると思う?」

 キンメルは辞表にサインを入れ、ノックスの方に押しやる。

「どう書かれるか、あまり興味はありませんね。ですが、戦場で死んでいった兵たちが私の判断を見てくれると信じます」

 ノックスは背を向けたまま、肩越しに言った。

「君のような人間が、いちばん危険だよ。正しさを信じて突き進む軍人は、政治にとって迷惑な存在だ」

 キンメルは立ちあがる。

「私の後任には満足な補給が無くても『黄色いサル』に勝てる超人が就けることを望みますよ」

 キンメルはノックスの背中に向けて短く敬礼し、扉へと歩き出す。

 扉に手をかける直前、ふと振り返った。

「歴史は、誰の言葉を信じるでしょうね」

 ノックスは窓の外に視線を向けたまま答えなかった。

 振り返り、キンメルを見たくないのか、自身の表情を見せたくなかったのか。

 扉が静かに閉まり、執務室には沈黙が戻った。

「君の後任はニミッツだよ、キンメル君」

 ノックスはつぶやいた、

「他に適任がいない、妥協して、だがね」

 ため息をつき、そして振り返る。

 机の上には署名が入れられたばかりの辞表。

「太平洋か。テコ入れが必要とはね。舐められたものだ」

 不満そうに言いながらノックスは椅子にすわった。

 

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