奴らはいったい何者だ?   作:Shigy20250620

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海風の香る村

 イタリア中部はティレニア海沿いにその小さな漁村はある。

 大きな村ではないし、村のはずれを通る幹線道路から村へ続く道への分岐には、矢印と地名が書かれただけの小さな標識があるだけ。

 村のはずれにヴェント家が営むラ・ルーチェ・マリーナという一軒の小さな飲食店がある。

 その小さなバールが私の目的地だ。

 ミシュランガイドの創設期、1926年に出版されたイタリア語版を担当した調査員が残した手記に「ティレニア海の忘れられた漁村に奇跡のスープがある。 魚を知り尽くした東洋の魂が、イタリアの海で静かに花を咲かせている」とこの店のことが記されている。

 日中は漁師たちがパンとチーズをつまみ、夜にはワインを片手に、塩焼きの鯖やトマト煮のイカに舌鼓を打つ。

 そんなイタリアのどこにでもありそうな、特に変わったところのない素朴で静かな店だ。

 しかし、その店は他と違うものがある。

 それが店の目玉料理、ズッパ・ディ・アルガ・ジャッポネーゼ。

 旨味が舌の奥に残り、後味は軽やか、日本から取り寄せた海藻と地元で捕れた新鮮な魚介類、鯛、アサリ、ムール貝などを使った、素朴な見た目からは想像が付かないほど味わいが深く広いスープだ。

 活締めした新鮮な蛸を薄くスライスし、村で採られたオリーブオイルにビネガーと柑橘類の果汁を加えたソースで絡めた前菜に続いて出されるそのスープは素晴らしいの一言に尽きる。

 今でこそイタリアでも当たり前のように行われる魚のアラでスープを取ったり、一度、燻製にして乾燥させた魚の身を削って料理に使う調理法は、このラ・ルーチェ・マリーナのズッパ・ディ・アルガ・ジャッポネーゼから広まったといっても良い。

 この店の名物料理であるこのスープが世に出たのは、遥か昔、1924年の春。

 私は「なぜ日本風と言うのか」と訊いたら、3代目店主のアントニオ・ヴェントが、23年の秋に日本の首都を襲った未曽有の大災害、その復興の手助けになれば、との思いで作りだした料理であるという。

 第一次世界大戦が終わって数年、ムッソリーニが首相となり政策の後押しもあって景気が上向ていたとは言え、当時のイタリア人にとって日本は遠い異国の地であり、極東の島国に意識を向ける人は多くはなかった。

 アントニオがズッパ・ディ・アルガ・ジャッポネーゼを作り出したとき「俺は料理ぐらいしか取り柄が無い。だから日本から珍しい食べ物を取り寄せてみたんだ」と語ったという記録が残っているが、その時アントニオは弱冠17歳、父の元で修行をしている見習の料理人だった。

 またアントニオが「味の秘訣は海藻にある」と種明かしをし「日本とは水が違ってね、出汁が上手くとれない」と言った記録もある。

 1杯のスープにどれほどの試行錯誤が込められているのか、私には想像すらできない。

 スープの他にも、この店に来たら是非とも試してほしいのが、海老を舌触りも味も柔らかい衣に包んで揚げたフリッテッレ・ディ・ガンベリ・アッラ・ジャッポネーゼだ。

 メニューでは「テンポーラ」との表記もされているが、これは300年も昔に日本に居たポルトガル人たちが四旬節に食していた野菜の揚げ物、それがテンポーラという名で広まった、という説にちなんでいるそうだ。

 このフリッテッレにはバリエーションがある。

 衣にパン粉をまぶしカリカリになるまで揚げたガンベリ・フリャーイだ。

 こちらも絶品だ。

 イタリアでは今でこそ過去にブームなどもあって、日本食の知名度はあがっている。

 そのブームのはるか昔に「和食」の技法を取り入れていたのが、ズッパ・ディ・アルガ・ジャッポネーゼにフリッテッレ・ディ・ガンベリ・アッラ・ジャッポネーゼだ。

 是非ともこの2つは自身の舌で味を確かめてほしい。

 

 最後に、3代目店主のアントニオ・ヴェントについて、少しばかり語ろう。

 アントニオが店の調理場に立つようになったのは15の時だという。

 村で絞られたオリーブオイルと、村で水揚げされた魚介類、先祖代々受け継がれた地元の料理、これに拘り、そして工夫を加え「和食」の技法を徐々に取り込むことで新たな料理を編み出したという。

 ニキビが残る年頃の少年が、大の大人をも黙らせるほどに見せた、妥協を許さぬ食への追及、食への執念。

 アントニオ少年が繊細にして美しい「見て美味しい」という概念を実現した料理は、村人や、たまたま立ち寄っただけの旅人たちを魅了した。

「アントニオが作るイカのスープは、心まで温まる」と評判になり、週末には隣町からも昼食に訪れる人が現れるまでになった。

 そんなある日、北仏から来たミシュラン社の調査員が、偶然その村を通りかかる。

 幹線道路が整備され、ガイドブック向けに“未発見の味”を探していた矢先だった。

 調査員はアントニオ少年に「君にとっての料理はなにか」と問いかけた。

 アントニオ少年は、気負いもなく、ごく自然体に「人生そのもの」と、まるで老練な料理人のような雰囲気で応えたという。

 村の北東、海を見下ろす丘の上にある彼の墓碑には、生前に彼が遺した言葉、「一椀に海の声を」と刻まれている。

 1杯のスープにどのような声を込めているのか、どのような声を聞いていたのか。

 料理人ならぬ私には想像すらできない。

 しかし、私にはどうしても分からない疑問がある。

 アントニオ・ヴェントは優れた「板前」、和食の世界におけるシェフ・ド・キュイジーヌに当たる料理人だったことに疑いはない。

 だが、アントニオ・ヴェントが日本を訪れたという記録はないのだ。

 

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