花影堂という、個人経営の古本屋は繁華街のメインストリートから1本入った小さな雑居ビルの1画でひっそりと営業していた。
自動ドアもなく、電子マネーやクレジットカード対応のポップもない、知らない人はかんたんに見落としてしまう質素な店構えの小さな店だ。
その小さな店の中で田所レンは気になる本を見つけ、手に取った。
『奇人たちの記録』
表紙を見ると『世界を変えた偉人たち』と副題がついていた。
紙質はざらつき、フォントもデザインも古いもので時代を感じさせる。
微妙に印刷がズレたカバーの裏には、バーコードも、昔の本によく見る数字とアルファベットの羅列、ISBNコードもない。
レジに持っていき、年季の入った眼鏡をかけた店主に尋ねる。
「これ、どんな本なんですか?」
店主は眼鏡をずらしながら、苦笑まじりに答える。
「いわゆる“トンデモ本”だよ。20世紀の初めに、未来の知識を持った連中が何人も現れて、世界を変えた……って話し」
店主は本を手に取り、レジ横に置いてあった布で拭き埃りを落とす。
「ほら、オカルトとか陰謀論の棚にあっただろ?」
レンは口を閉じたまま、黙って続きを待つ。
店主は苦笑しながらも、なぜかその本を丁寧に撫でてこう続けた。
「アメリカで映画産業に大金突っ込んだ男。戦艦の全盛期に最初から“最適解の空母”を造った英国技師。メンテナンスという概念を塗り替えたドイツの機械屋。二つの国で英雄になった日系アメリカ人。ナポリの名物料理を変えた変人シェフに世界大恐慌のドイツで日本料理を広めた夫婦」
レンには店主がどこか遠くを見ているように思えた。
「作者はな、こう言ってる。“みんな普通じゃなかった”って。“時代が彼らに追いついたんじゃなく、彼らが未来を置いていったんだ”ってさ」
それから少し黙って、ひとこと。
「生涯かけて、そういう話を追いかけた……暇人の、まぁ一種の記録だね。信じるかどうかは、読む人しだいさ」
レンは数瞬考え、財布を取り出した。
帰りの電車で本を開いたレンは、冒頭の人物紹介に目を留めた。
〈長坂 忠 - 帝国海軍技術者。艦船設計思想を変えたとされる人物。曰く、
“必要な人間が拾えば、それでいい”〉
ページの端には、かすれた鉛筆書きで誰かのメモが残されていた。
“彼らは奇人だった。だが、未来を知っていたとは言いきれない。未来に向いていたのだ。”
レンは思わず笑った。
「なによ、それ……かっこつけ過ぎよ」
レンはゆっくりとページをめくり始めた。