1943年秋。英米情報部の高官たちが集まり、日本軍の戦闘傾向に関する報告会が開かれた。
「損害率35%。我々の部隊なら壊滅と判定される数字だ」
英情報部主任アナリストのマシュー・グレイン中佐が、机上の資料を指差す。
「だが、日本軍のこの中隊はそれでも撤退せず、その後さらに6時間交戦を継続した。最終的な損耗率は72%。最後まで組織的な抵抗が観測された」
会議室に沈黙が落ちる。
アメリカから来ていたOSSのデニス・ヘイワード少佐が、訝しげな目でグレインを見つめた。
「つまり……その中隊は、全滅するまで戦った?」
「はい。しかも、それが異常ではないらしい」
グレインが次に示したのは、ビルマ戦線・ソロモン諸島・ガダルカナルなど複数戦線の戦闘記録を要約したグラフだった。
「こちらをご覧ください。一定の損耗率を超えても、日本軍の部隊は平均で18時間は継戦可能です。指揮官が戦死したケースでも、下士官が即時に指揮を引き継ぎ、統率が維持されている」
「代わりの指揮官が即座に立つ? 予備の命令系統が前もって整っているのか?」
「もしくは、下士官・兵士レベルで次に何をすべきかを明確に理解している。教育と訓練が徹底している証拠です」
ヘイワード少佐は顎に手を当て、言葉を選びながらつぶやいた。
「我々の部隊は、損害が3割を超えれば戦闘不能になる。指揮官を失えば混乱する。だが、日本軍は、どれだけ損害を受ければ戦いをやめるんだ?」
「問題は、それです」
グレインが資料を閉じる。
「これまでの交戦例から言って、彼らが戦意を喪失して降伏するケースは、ほとんど見られません。撤退も組織的、かつ、最後まで持ち場を離れる者がいないケースが多数報告されています」
「つまり、全滅するまで戦うってわけか?」
「実際、我々が壊滅させたと考えていた部隊の残兵が、数日後に別の戦場で再出現した例もあります。彼らの壊滅の定義と我々のそれは違う」
会議室が一瞬凍りついた。
やがて、アメリカ側のもう一人の将校、ラトナー大尉が、口元を引きつらせて呟く。
「こりゃあ、やばいな。どこかで致命傷を負わせるか、戦争自体を止めさせないと・・・共倒れになるぞ」
グレインは静かに頷いた。
「日本軍の継戦能力は、戦略爆撃で都市を焼く程度では崩せない可能性がある。根本的に、戦争をやめる意思を持たない軍隊と、我々は戦っているのかもしれません」
ホワイトハウス地下執務室
「日本軍を皆殺しにしなければ戦争は終わらない、だと? こんな報告、真に受ける必要はないな。黄色い猿の化け物話にでも騙されたのか?」
ロバート・W・クラウリー大統領補佐官は報告書を机に投げつけた。
提出したのは南太平洋戦線から戻った海兵隊の情報将校で、現地での常識外れの日本軍の継戦能力について詳細に記してあった。
「死んだはずの部隊が再び出現した? 損害9割でなお抵抗を? こんなの、冷静な分析とは思えない」
補佐官の前に立つのは、元大統領顧問ジョセフ・アーヴィング。
老齢ながら、かつてルーズベルト政権で外交戦略の影の立案者として重きをなした男である。
アーヴィングは補佐官の冷笑的な態度に、皮肉な笑みを浮かべた。
「今頃気づいたのか」
「なに?」
「日本人は、戦争とは全滅するまでやるものだと思っている民族だ。降伏も、妥協も、交渉も、勝つための手段としてしか見ていない。終戦の条件に壊滅が含まれている相手と戦う覚悟が、アメリカにあるのか?」
「ばかな。理性があれば、常識があれば・・・」
「常識? 君の言う常識とは、ヨーロッパ的な価値観にすぎん。あの民族は、根の部分から違う」
アーヴィングは静かに、だが冷酷な響きをもって語った。
「君たちは、勝った後の世界をどう管理するかを考えている。だが、彼らは死ぬ前にどうすべきかを全員が訓練されている。兵士も、将校も、国民も。そういう国家相手に勝つというのは、どれだけの意味を持つのかね?」
補佐官が言葉に詰まった。
アーヴィングは机の上の報告書に目もくれない。
「アメリカはもう引き返せない。日本と共に滅びるかどうかは、大統領が滅びる一歩手前で立ち止まる勇気があるかどうかで決まる。その決断を君たちができるならまだ未来はある。できなければ・・・」
アーヴィングは真剣なまなざしで補佐官を見つめる。
「地獄を見るだけだ」
アーヴィングはそれだけを言い残して部屋を出ていく。
補佐官は、机の上に投げ出された資料を眺める。
報告書の最後には、現地将校の手書きの一文が添えられていた。
「彼らは我々が軍と呼ぶ存在とは違う。死んでも命令を遂行しようとする意志の集合体だ。我々は人間と戦っているのではないのかもしれない」
補佐官は報告書を再び手に取り、沈んだ声で呟いた。
「我々は、どこで間違えた……?」
1945年初頭、ルーズベルトの後を継いだ新大統領ハリー・S・トルーマンは、状況の悪化に頭を抱えていた。
東南アジアでは物量で押しているものの、最前線では補給線が各所で寸断され、孤立した部隊が、熱した鉄板に当てられた氷が溶けるように消えていく。
太平洋では制海権の掌握が進まず、拠点攻略も一進一退。
作戦は膠着し、被害だけが増えていく。
大統領は、太平洋艦隊で戦闘を指揮した海軍中将サミュエル・K・ウィルソンと、ビルマ・マレー方面の陸軍部隊の指揮官、陸軍少将ジョン・T・マクドゥーガルをホワイトハウスへ呼び寄せた。
二人とも現場をよく知るということで選ばれ、呼ばれたのだ。
「閣下、私は海軍士官として、全ての命令に従って戦ってきました。しかし、ここまで追い詰められてから、ようやく現場の声を聞こうとされるのですか?」
海軍中将ウィルソンの声は穏やかだったが、怒気がこもっていた。
「ですのでお尋ねします。日本軍は本当に、そこまで強いのか?」
トルーマンの問いに、マクドゥーガル少将は即座に答えた。
「その質問は、3年ほど遅いですな。今になってそんなことを聞かれても・・・」
マクドゥーガル少将が皮肉な微笑を浮かべた。
そして言葉を続ける。
「『寝言を言うな馬鹿野郎』としか答えようがない」
会議室は静まり返った。
「あなた方は戦うためにここに戻ってきたのではないのですか? 我々が勝利を求めていることを、忘れてはいないでしょうな?」
声を荒げたのは、若い政治家の一人。共和党系のタカ派で、強硬論の急先鋒。
しかし、軍人たちは一様に静かだった。
「まずは勝利の定義を明確にしていただきたい。あなた方が欲しているのは旗を立てることなのか、それとも国民を守ることなのか」
ウィルソン中将が冷酷な視線を向ける。
マクドゥーガル少将が子供に言い聞かせるかのように、ゆっくりしゃべる。
「戦地では、勝利とは明日を生き延びることを意味します。あなた方の言う勝利は、紙の上で血を流さずにすむ、空虚な記号に過ぎない」
沈黙が会議室を支配する。
トルーマンがその沈黙を破った。
「では、どうやって勝てばいい?」
マクドゥーガルはあっさりと、ランチのメニューを決める時のように答えた。
「勝てません。少なくとも、これまでのやり方では」
ウィルソンが後を続けた。
「私たちは、作戦を実行するが、日本軍は生き残りのシステムとして戦争をやっている。勝つには、日本が戦う理由を失わせるしかない。それができなければ、共倒れですな」
軍人たちがあまりにも平然と勝てないと口にする事態に深刻さを理解したトルーマンは、深く息を吐いた。
「戦争を、どう終わらせるか、か」
大統領の口から、辛うじて聞き取れるだけの声が漏れた。
「あなたたちは変わってしまった」
大統領の、独り言のような、力がこもらぬ言葉にマクドゥーガルが答えた。
「日本軍が変えたのです。我々を、戦う機械にではなく、生存を前提とした戦士に。それも、血と泥と飢えの中で、毎日次は自分の番だと思いながら生きる兵士に」
マクドゥーガルの言葉でトルーマンは思い出す。
ルメイ准将。焼夷弾の無差別爆撃を「民間人の士気低下に意味はない。かえって敵の覚悟を強める」と冷静に拒否した。
マッカーサー元帥。かつて「私は戻ってくる」と言った英雄が、今は「フィリピンを諦めろ」と進言してきた。
ミッチャー提督。空母部隊が壊滅的損害を受けたとき、黙って資料を差し出し、「これはこれからの戦いに必要な犠牲だった」とだけ言った。その直後、更迭された。
政治家たちも軍人たちの目を見て思った。
彼らは、もはや戦争を勝ち抜くために戦っていない。戦場と言う地獄から少しでも多くの部下を連れ帰るためにのみ戦っている。
トルーマンは椅子にもたれ、深く息を吐いた。
「戦争を、どう終わらせるか」
大統領の「勝ち方」の探求は、その日を境に「終わらせ方」へと変わった。