一人の老婆がアーリントン墓地の一角に独りで立っていた。
目の前にあるのは、第2次世界大戦で命を落とした航空士官たちの墓。
祖父の墓参りを終えて帰ろうとしていたメリッサ・アコード中尉は老婆に声をかける。
老婆は悲しそうな微笑を浮かべ、アコードに話し始めた。
「ここにはね、私の夫が眠っているの」
アコード中尉は墓碑をみる。
同じ日に亡くなった12名が弔われている。
「あなたは知ってるかしら? B-29っていう飛行機のこと」
「日本との戦争で活躍した爆撃機です」
「そうよ。3万フィートの高さで敵国に侵入して爆弾を落とす簡単な仕事だって、夫は手紙に書いていたわ」
老婆も墓碑に視線を向ける。
「それが最後の手紙になってしまったけどね」
老婆は悲しそうに微笑んだ。
「B-29は沢山たくさん、つくられたのよ。でも半分は出撃して帰ってこなかった。日本軍に落とされたのは1000機とも1200機とも言われているわ。でもね、それと同じか、もっと多くが事故で落ちてるの」
老婆が悲しそうに首を振る。
「無理な設計、複雑な機構、それが引き起こす整備不良。事故の原因の多くはパイロット以外の責任で起きているわ」
老婆はアコード中尉を見つめる。
「夫の死を知らせる手紙には、あなたの夫は正義のため、国のために勇敢に戦いました。そう書かれていたわ。でも違ったの」
老婆の言葉にアコード中尉は怪訝な顔になった。
「私の夫が乗っていたのは、整備不良が原因で事故を起こして落ちたうちの1機なの」
アコード中尉は言葉を失った。
昭和20年初春、日本・東京
陸軍法務局に所属する軍属でありながら、どこか浮世離れした男がぽつりと口にした。
「あれだけ墜ちてるB29。あんなのが上空を飛んでたら、下で働いてる兵士も民間人もたまったもんじゃないよね」
「撃墜されて落ちてるんじゃないのか?」
「違いますよ。戦闘時に落ちてるのは喪失機の3分の2、残りの3分の1は非戦闘時の事故です。戦闘時の墜落だってメカニカルトラブルが結構あるんです。防空隊が『火を噴いて煙を引いてて目視が楽だった』なんて報告を上げてるぐらいですから」
「たまったもんじゃないな、空飛ぶ火葬場じゃないかよ」
軍属の男が提案する。
「で、これ、安全配慮義務違反で裁判起こしたら、飛行差し止めになるんじゃないですか? アメリカってさ、訴訟社会でしょ?」
一瞬、沈黙が落ちた。
法務局の軍官僚たちが顔を見合わせ、失笑する者もいた。
だが、法務次官の一人が「だめもとで、やってみろ」と命じた。
1945年、春。
ペンタゴン、夜明け前の当直室。
珈琲の匂いとタイプライターの音が漂う中、若い兵士――ハロルド・D・スレイター伍長は、手にした一通の電報に眉をひそめた。
B29爆撃機の作戦飛行、連邦裁判所の命令により即時中止せよ。対象:全機体、全作戦
命令発効時刻:現地時間0400。無視した場合、軍事行動による損害は司法の対象となる
「……なにこれ、ジョーク?」
スレイターは呟いた。念のため、宛先が正しいことを確認する。
発信元は、ワシントン連邦地方裁判所。
彼は電話を取り、上司へと連絡した。
眠そうな顔をした上司が当直室までやってきて電報を読んだのは5分後だった。
「……今日は4月1日じゃないよな?」
「ちがいます、大尉。今日は3月28日です」
「なんで裁判所が空軍に命令出すんだよ、法律にB29って項目あるのか?」
事態が「冗談じゃない」とわかるのに、そう時間はかからなかった。
電話が鳴り止まず、司令部の廊下が騒がしくなる。
士官たちが走り回り、スレイターの机の前にも次々に上官が来ては「原文を見せろ」「誰が受け取った?」「コピーはあるか?」と詰め寄った。
5時半をまわったときに大統領が不機嫌な顔をして直接やってきた。
「どこから出た命令だ?」「原告は誰だ?」「なぜ日本の迎撃機じゃなく整備不良で裁判が通るんだ?」
次々と質問され、それに答えながらスレイターは内心で「俺が何したっていうんだ?」と愚痴をこぼす。
陸軍の爆撃機基地周辺の軍需工場で働く労働者数十人の連名による訴状が提出されていた。
訴えの趣旨は「B29の機械的故障による墜落事故の頻度は、敵軍の迎撃機による撃墜数を上回っており、爆撃機の存在自体が同一戦場の味方に対する危険を構成している。これは米国陸軍による安全配慮義務違反であり、現場で働く我々の生命を著しく脅かしている」と言うものだ。
労働者たちは爆撃機の飛行差し止めを要求していた。
時間と共に事態は大きくなっていく。
2時間もするとスレイター伍長は傍観者に成り下がっていた。
確かに、訴状が提出され、軍はそれを認識していた。
労働者たちの訴えは最初は冗談と扱われ無視された。
その次に小さなストライキが起こったが、ストライキに参加したものは解雇され、同時に逮捕された。
解雇されなかった彼らの元同僚たちが動いた。
裁判所へと訴えたのだ。
最初は政府の勝利と思われていた。
だが、訴訟に添付された資料の量と緻密さ、そして事故報告書の内部流出により、状況は一変する。
ある報告では、B29が1ヶ月で15機が喪失していたという記録が存在していた。
しかも、その半分が敵の火力ではなく、エンジンが原因、火災や出力低下、あるいは出力が制御不能になるなどの機械的なトラブルだった。
そこに着陸脚やフラップやラダーの動作不良によるものもが加わる。
充分な整備の時間が取れないほどの高頻度の出撃をさせる運用も問題とされた。
これらを受けて、保守的な連邦判事がこう述べた。
「いかに軍用機であっても、味方を危険に晒すことを当然のこととして運用することは許されない。国家緊急権といえど、生命の権利は無視されえない」
そして、飛行差し止めの命令が下されたのだった。
全米のニュースとなり、議会をも揺るがす大騒動となった。
最終的には「国家非常権限」により命令は停止され、B29は再び空に上がった。
しかし、その間に数週間の爆撃中断が発生し、作戦の再調整を余儀なくされた。
後にこの訴訟の背後には、アジア系の若い「法務顧問」がいたことが調査報道で明らかになる。
名前は「タカシ・オオノ」。記録に乏しく、急に現れては数か月で姿を消した人物。
だが、彼の草稿に残された一文が関係者の間で都市伝説になる。
「この国では、軍を止めるより、裁判所を動かすほうが早い」
軍の中では「日本人に裁判で出し抜かれた」という恥辱と混乱が渦巻き、日本軍の間接戦術が最も効果的に働いた事件として記録されることになった。
退役後、保険会社に勤めていたスレイターは、ある日ボストンで開かれた歴史シンポジウムで「戦中、日本の情報戦の真実」という講演を聞く。
登壇者は元陸軍情報部に協力していた日系人の法学者。
彼は一枚の写真をスクリーンに映す。
「これは、1945年春に提出された訴状の写しです。爆撃機の事故率と安全配慮義務違反を組み合わせ、味方を危険にさらしているというロジックで飛行差し止めを勝ち取りました」
そしてこう付け加えた。
「この訴訟は、日本側の非正規情報戦の一環でした。背後には軍属を名乗る、正体不明の人物が関与していたとも言われています。……米軍も当時、困惑したようですね」
スレイターは静かに笑った。
「困惑なんてもんじゃなかった。俺の机の前に大統領が立ったんだ。しかも、この命令は本物か?って、俺に聞いたんだぜ」
その時の緊張が、なぜか誇らしくも懐かしくも感じられた。
「後から知ったけど、日本のあの連中……たぶん冗談でやったんだろうな。だめもとで。けど、本当に止めちまったんだ。空をさ」
彼は帰りの電車の中、窓から見える青空を見ながら、そっと呟いた。
「歴史ってのは、ほんの冗談で、変わることもあるんだな」