昭和18年 夏。
大本営は海軍作戦課。
窓の外は霞んだような夏の陽射しに満ち、扇風機が無意味に回る室内で数人の将校が資料と格闘していた。
作戦課の主務参謀、三井中佐は頭を抱えていた。
紙の上でだけ実現する「高速駆逐戦隊」構想が、現実の予算で絞殺されようとしていたからだ。
「島風、やはりあれは夢だったな。カネも資材も人手も、どれも足りん。あれ一隻が限界とはなぁ」
隣で冷やし茶をすするのは真壁大尉。
階級こそ下だが、異様に話が通じる男である。
「そりゃまぁ。でも中佐、戦術の主眼を当てて沈めることに置いてるうちは、米軍には勝てませんよ。奴らもレーダー使うようになって命中率バク上がりですからね」
「レーダーねぇ。目に見えぬ眼か。困ったものだ」
「いっそ当たらなくする方向で考えましょうよ。レーダーってのは電波で位置を把握して、射撃するでしょ? なら、別の場所にいると見せかければ、向こうは空を撃ちます」
「何を言ってる? そんな魔法のような手段があるのか? 電波吸収塗料は予算的に厳しいぞ」
三井中佐が湯飲みに手を伸ばす。
そのとき、通信兵が一つの通達を運んできた。
試験依頼:「新型対電探欺瞞装置」
発信:装備調達本部
内容:電探に対する反射欺瞞装置の試験協力要請。試作型1号の搭載候補艦を選定のこと。
真壁は渡された資料を目に通していく。
そして興奮した様子で立ち上がった。
「中佐。これ、です。これが神の一手です」
「は?」
「いやね、これはもう神の差し手ですよ。ECMですよ、初期型の。まさか日本でこんなものが・・・」
三井はその熱量に、少し呆れた顔で答えた。
「お前、嬉しそうだな」
「だって、これがあれば高機動で回避する島風型の利点がそのままレーダーを欺いて回避する艦に応用できますよ。速力じゃなくて電波で回避! 島風が無理なら、電波島風を作ればいい!」
「あー・・・。なるほど。相手の視界を騙す、か。まるで海の忍者だな」
「そう、欺瞞と機動の融合です。火力よりも、生存性。これぞれぃ、いや昭和の新戦術!」
三井は鼻を鳴らし、電報をもう一度見た。
「まあ、試すだけならな」
呆れ半分、しかし内心は、何かに賭けたいという気持ちが芽生えつつあった。
後にこの試作装置は、改良を重ねて「対電探欺瞞装置・三式」として少数の艦艇に実装されることになる。
昭和19年秋。
戦況が激しさを増す中、ほんの一夜限りの休息が許された。
佐世保湾にほど近い料亭「花水木」の座敷に、複数の駆逐艦・巡洋艦の艦長たちが揃っていた。
湯呑の中に酒を注ぎ、肴に箸をつけながらも話題は当然「次の戦闘」と「新兵装」に。
「いやぁ、おかげで今回は先頭を堂々と走れたよ。対電探欺瞞装置、あれはすごい。敵の射撃が明後日の方向へ飛んでいくんだ」
そう自慢げに語るのは岩村少佐。
声も大きく、語りも熱い。
「『敵はこちらの位置を誤認している』って報告が出てさ、もう笑いが出るほど外れてんの。そんでこっちは逆にガンガン命中させる。まさに『見えない優位』ってやつさ」
「ふん」
盃を口に運んでいた同じ艦隊の石田中佐が鼻で笑った。
「だがなあ岩村、計算では散布界の外にいるはずだったお前の艦、思いっきり一発もらってドック入りしただろうが」
場に笑いが広がる。
「アレはな、敵の弾道計算が下手すぎたんだ。おかげで逆に我が欺瞞装置が想定してた誤認角よりズレてて、結果的に当たっちまった!」
「つまり、敵が下手すぎたら装置の意味がなくなると?」
「まあ、そうとも言えるな」
また笑い声。
岩村も苦笑しながら杯を干した。
この日、岩村艦長は日誌に記している。
対電探欺瞞装置は極めて有用である。
ただし、すべての技術には表と裏がある。
表は「撃たれずに撃てる」優位性。裏は「油断を誘う」心理的脆弱性。
人は見えぬ力に頼るとき、己の眼と判断を手放しがちだ。
装置があるから大丈夫ではなく、装置があっても慎重であれこそ、心得とせねばなるまい。
時は流れ1980年代。
米国海軍戦術研究センターのオフィスでジェフ・カルホーン少佐は、古い日本の資料を前にため息をついた。
戦術研究家として学生時代から第2次世界大戦の戦闘を調べ、キャリアを積んでここ数年は機密情報に触れる機会も増えていた。
その機密指定されている資料のひとつ。
「これがその欺瞞装置搭載艦の艦長の日誌か……」
翻訳された文書には、あの岩村艦長の名前があった。
『有用だが、すべてには表と裏がある』
カルホーンはコーヒーをすすりながら、天井を見上げた。
「20年……いや、下手すりゃ30年は先取りしてる発想だぞこれ。しかも裏があるって冷静に自己批判までしてる……」
苦笑しながら独り言のように呟いた。
「悪いところがあるって? バカ言え、悪いのはコストだけだよ。あとは全部正解だろうが……くそ、日本の奇人共め」
彼は日誌のコピーを、現在進行中の電子戦装備評価報告書の資料の山にそっと追加した。