グラスゴー、アーガイルストリートの一角にそのパブはあった。
今、グラスゴーは世界で最も造船が盛んな地域のひとつで、店があるアーガイルストリートも平日なら造船所で働く者たちが通りをにぎやかす。
しかし今日は日曜日ということもあり、通りは閑散としていた。
リチャード・ハースト海軍中佐は車を降り、その人通りの少ない通りに立った。
「迎えはどうします?」
運転席から部下が尋ねる。
「タクシー拾うよ。無理そうなら店から電話する」
「了解です」
車は走り去り、リチャードはドアを押し開けパブに入り、店内を見回す。
目的の人物がテーブル席でひとり静かにグラスを傾けているのを見つけ、声をかける。
「やってるな」
声をかけた相手、ノーマン・ハーストは顔をあげ、笑顔になってグラスを掲げた。
「素面でできる話じゃなさそうだからね、先に始めてるよ」
「穏やかじゃないな」
ノーマンの向かいに座りながら、リチャードは手を挙げてウェイターを呼ぶ。
「ビターを、ハーフパイントで」
簡単に注文するとウェイターは静かに立ち去る。
「叔父さんは元気かい?」
「まぁね。今日も君と飲むって話したらここまで送ってくれたよ。帰りに迎えに来させる約束をさせなきゃ、今ごろ俺たちは親父の酒の肴さ」
「相変わらずか」
二人は従兄で、リチャードが呼び出したノーマンはそろそろ中堅からベテランと呼ばれるぐらいにはキャリアを積んだ腕のいい造船技師だ。
「ヒロの事を知りたいんだろ?」
ノーマンが顔の前でグラスを回しながら確かめるように聞く。
「ああ、そうだ。お前さんの会社から提案された新型空母、あれの図面を調べた連中全員が何を意図して設計されたか気づいたときに悲鳴を上げたんだぜ」
リチャードは身を乗り出し、静かに聞いた。
「あの図面を描いたやつ、いったいどんな男なんだ?」
ノーマンはもてあそんでいたグラスをじっと眺め、そして一息に煽ってからお代わりを頼む。
「常識にとらわれない、変わり者さ。彼は常識を知らないんじゃない。常識を知っていてそれで常識を破るんだ」
新しく届いたエールで唇を濡らしたノーマンは静かに続ける。
「彼は自分の設計を『趣味』と呼ぶ。あくまでも趣味で、仕事と直接関係がない空母の図面を描いた。それがたまたま部長の目に留まり、まわりまわって軍にまで流れ、リチャードが僕を呼び出す羽目になったんだ」
「趣味だって? あの図面が?」
リチャードの怪訝そうな顔を見て、諦めたような、疲れたような様子で応えた。
「そうさ、趣味だよ。彼は趣味で、仕事の間に片手間で、あんなに完成度の高い図面を描いたんだ」
「趣味で軍を動かすかぁ」
リチャードは息2つ分ほど考えた後、確認するように訊く。
「天才か?」
「天才、天才かぁ」
ためいきをひとつ。そしてエールを一息に飲み干す。
「たしかに彼は天才かもしれないけど、普段は馬鹿なんだよ」
手をあげ、ウェイターの注意をひくとお代わりを頼むノーマン。
まったく酔っているようには見えないが、すでに1パイント半のエールを飲み干しているのだ。
リチャードは従兄が酔いつぶれる前に用事を終わらせようと、先を促す。
「普段はほんとうにとんでもない馬鹿なんだ。休み時間にどの船のどこがすごいとかデザインが良いとか、一人で盛り上がってることなんてしょっちゅうさ」
ノーマンは届いた新しいエールを勢いよく喉の奥に流し込む。
「だけど、ひとたび彼が設計を始めたら手を付けられないんだ。材料の形状、強度、重量分配。それだけじゃない。その構造材を、どこでどう繋げたらいいのかから、どの装置をどう配置すれば良いのか、なにからなにまで、運用のことまで考えて図面を引く。最初から誰も文句を付けられない図面を描くんだよ」
「マジかい?」
「君も見ただろう? 将校連中が騙されそうな『夢のある設計』とは全然違う図面を」
リチャードはエールでのどを潤す。
ノーマンは手にしたグラスに視線を落としたまま続けた。
「僕は学校で学位を取って、10年かけて『使える設計』を身に着けた。だが彼はウチに来て図面を引き始めてまだ3年だ。それなのに、それだからかな? いきなり完成形を持ってくる。しかも、毎回違う方向性で、まるでいくつものトラブルを経験し解決したかのような図面をね」
ノーマンはグラスを傾ける。
普段の従兄の飲み方とは違う、明らかにオーバーペースな飲み方が、酔っているようには見えない。
ノーマンのなかにある「何か」が彼の酔いを邪魔している。
「彼が書いた、空母と同時か前後して出されたはずの飛行艇の図面、見たことあるかい? 機体の両側にフロートがついた双発と、翼の上にエンジン4発並べたやつ。あれも、彼の設計だよ」
ノーマンはグラスを空にし、手をあげてウェイターの注意を引くと、新たなエールを頼む。
「フロートもエンジンも、前例がない配置だった。でも、試しにモックを作って風洞実験したら良好な結果になった。部長はその2つも軍に提出することにしたんだ」
リチャードは口をへの字に曲げた。
「ヒロは造船技師じゃなかったのか?」
「彼が手掛けるのは船だけじゃないよ。 飛行艇も自動車も鉄道の機関車も、なんなら冷蔵庫だって設計するよ」
ノーマンは届けられたエールでのどを潤す。
そして、ただ一言、付け加えた。
「趣味で」
リチャードが従兄の酔いを邪魔する「何か」を垣間見える気がした。
「彼はこの世界に新しい航空機、新しい軍艦を生み出そうとしてる。僕らの常識なんてお構いなしに」
リチャードは何かを言おうとし、言葉にできず、数秒、考えた。
そして、言葉をひねり出す。
「たしかに、艦橋だの煙突だのをオフセットさせて甲板を広くするのは判る。だが斜めに着艦用の甲板を用意する意味も、艦の横にエレベーターを外だしする意味も、開放型の格納庫にする意味も、最初は全く分からなかった」
リチャードは手にしたエールで唇を濡らす。
「俺たちは、軍は、あの空母は今までにない、艦載機の運用思想からしてまったくの異質、完全に新しい概念で設計されてると結論付けた。あれは、あの設計は航空機が、艦載機が戦闘の主力を担う前提の戦術と戦略があって初めて成立する設計だ。今の、この1921年のイギリスに降って湧いたように現れて良い考えじゃない」
リチャードが吐き出すように言い、ノーマンは穏やかに応えた。
「彼は遊びの感覚で、新しい兵器、新しい概念を図面に描いてる。僕は彼の図面を見てたびたび思うことがあるよ」
諦めの境地に立つ者のやさしい笑顔でノーマンは続ける。
「彼は未来の戦争を知ってるんじゃないかってね」
従兄があまりにも真剣に、しかし、静かに口にしたその言葉をリチャードは否定することも、肯定することもできない。
心の安定を保つために、手にしたエールのグラスを干した。