奴らはいったい何者だ?   作:Shigy20250620

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星条旗を降ろすな

 強い雨が窓を叩く。

 夜の真珠湾は、灯火管制で海と空の境が曖昧だった。

 ランプの光が机上の海図に島影と等深線を浮かび上がらせる。

 赤いピンがいくつも、青い糸で結ばれていた。

 執務室の扉が控えめに叩かれ、伝令が銀色の筒に入れられた電文を差し出す。

「ワシントンより緊急。暗号解読済みであります」

 ニミッツは頷き、封を切る。

 文面は短く、明確だった。

『総力戦を命ず。日本艦隊を撃滅せよ。トルーマン』

 文字の列の向こうに、疲労と焦燥を押し隠した政権の顔が見える気がした。

 

 時計が二十三時を指す頃、参謀たちが順に入室した。

 スプルーアンス、レイトン、補給担当のマクロイ。

 皆、声を潜めていたが、靴音は濡れた甲板の上のように乾いていた。

「閣下」

 スプルーアンスが敬礼し、視線で電文を問う。

 ニミッツは紙を伏せ、椅子を勧めた。

「座ってくれ。夜は長い」

 最初に口を開いたのはレイトンだった。

「敵情です。こちらが撃沈したはずの輸送船の代わりが、思ったより早い」

 レイトンは落ち着いて話しはじめた。

「日本側は数量で劣るはずですが、前線に現れる艦の燃料と弾薬は常に満タンです。我々の想定を超える再編成をしているか、あるいは……」

「あるいは?」

「こちらの動きを先に読んで、必要箇所へだけ資源を絞っている。統制の密度が異常に高い運用です」

 マクロイが控えめに咳払いした。

「対してこちらの補給は、閣下、良くありません」

 レイトンは落ち着いているが、諦念、絶望、嫌悪、様々な負の感情がこびり付いた声だった。

「輸送船を倍にしても、途中で半分は消えます。護衛を厚くすれば港で燃料が足りない。海は広いのに、我々の航路は日に日に細くなるばかりです」

 レイトンはニミッツを見据える。

 その顔は厳しく、ニミッツに決断を迫っているようにも見えた。

「戦艦はあっても、燃料がない。航空機はあっても、弾が足りない。兵は来ても、経験が積めない。経験を積めた貴重なパイロットは大西洋に連れていかれる」

 スプルーアンスは目を閉じる。

 しばし、考えて、口を開いた。

「敵は決戦を避け、補給線だけを突く。こちらを海上で疲れさせるつもりでしょう。直接戦闘の機会がなければ、我々は、若さを保ったまま老いることになります」

 ニミッツは電文に指を置いた。

「大統領から、総力戦の命令が来た。大統領は勝利を求めている。政権は勝ち癖を求めている。だが・・・」

 言葉を区切る沈黙が、雨の音で少し柔らかくなる。

「我々は、勝てないとわかっている」

 誰も反論しなかった。

 反論できない種類の言葉だった。

 レイトンが静かに海図を指した。

「こちらが敵の潜在的決戦海域です。島影を盾にこちらの偵察をかわされる。加えて、我々の燃料事情では、ここまで出るだけで呼吸が荒くなる」

 マクロイが頷く。

「戻る燃料まで確保しなければ、艦は鉄の箱に変わります」

「では、どうするかだ」

 ニミッツは椅子を引き直し、背筋を伸ばす。

「命令は命令だ。だが、命令の解釈には幅がある」

 スプルーアンスが眉を上げる。

「解釈、ですか?」

「総力戦とは、艦と艦をぶつけることだけを意味しない。国家の持ち物すべてを“戦い続けるため”に使うのも総力戦だ」

 ニミッツの言葉にレイトンが小首を傾げた。

「表向きには決戦準備、実際には補給線の防衛と、敵の手を鈍らせる欺瞞・・・といったところですか?」

 ニミッツは微笑に似たものを一瞬だけ浮かべた。

「言葉が過ぎるな、レイトン。しかし、方向はそう遠くない」

 机上のベルを鳴らし、通信士を呼ぶ。

「ワシントンに回答を送る。文面は私が口述する」

 通信士がノートを開くと、ニミッツはゆっくりと言葉を刻んだ。

「『命令了解。全艦隊に動員準備を指示。決戦日程は補給可能量および天候等に依存、最短を期す』」

 通信士が走り去る。

 スプルーアンスが小声で問う。

「最短は、いつです?」

「最短は、いつでも『明日ではない』」

 ニミッツは即答した。

「ただし、旗は降ろさない」

 レイトンが地図の別の海域を示す。

「敵は我々の“総力戦準備”に反応して、前線の圧力を一時的に弱めるかもしれません。決戦の臭いが濃くなると、彼らも補給を温存せざるを得ない」

 マクロイは計算尺を取り出し、数字を走らせた。

「その間に、こちらはタンカーの往復回数を一往復だけ増やせます。わずかですが、艦一隻の命が延びることになる」

「わずかでいい」

 ニミッツはランプを少し上げ、影の角度を変えた。

「海は大粒の砂時計だ。砂粒一つで時間が延びるなら、拾う価値がある」

 電話が鳴る。

 通信士が顔色を変えて戻ってきた。

「ホワイトハウス直通です」

 部屋の空気が、雨の止む前のように静まる。ニミッツは受話器を取り、言葉を待った。

『ニミッツか』

 声はくぐもっていたが、疲労は隠しきれない。

「はい、閣下」

『国民は、終わりを見たがっている。長く続くほど、支持は細る。強い、誰が見てもはっきりとわかる強い一撃が要る』

 ニミッツは机上のピンを一本、親指と人差し指でそっと挟んだ。

「閣下、強い一撃は、強く振りかぶれば出るものではありません。振りかぶった腕が空を切れば、次の一撃はもう打てない。我々には、一度しか大きく息を吸えない肺があります」

 受話器の向こうで短い沈黙。

 アメリカの全てを背負う男の声が受話器から流れる。

『時間を稼げるか』

「はい。ただし、旗は降ろしません。旗を見せ続けます。敵にも、味方にも」

『・・・。国民の目から旗が消える日を作るな』

「その約束は、海の神にも聞かせましょう」

 通話が切れると、部屋の空気が少しだけ軽くなった。

 スプルーアンスは深く息を吐いた。

「我々は、何を見せ、何を隠しますか」

「見せるのは、決心。隠すのは、予定だ」

 ニミッツは答えた。

「出港準備、演習、上空の護衛を増やす。観艦式まがいのことも良いだろう。写真と数字は丁寧に世に出す。ただし、燃料は倉に入れ、弾薬は乾いた場所に積む。出港線の手前で、徹底的に整える」

 レイトンが控えめに笑った。

「敵は決戦に備える我々を見て、決戦を避けるでしょう。ならば、彼らの矛先は補給線から一時的に離れる」

「離れたその瞬間、我々は補給線を太らせる」

 マクロイが続ける。

「一往復が二往復になるかもしれない。砂時計の砂が、もう一つ落ちないで済む」

 スプルーアンスは腕時計を見た。

「部隊にはどう伝えます?」

「正直に」

 ニミッツは言った。

「我々は負けないために動く。負けないことは、勝つための最初の条件だ。撃つべき時は来る。だが、今は撃つ時ではない」

 雨が弱まり、遠くで波が砕ける音が聞こえた。

 レイトンが窓に近づき、黒い海を見やる。

「閣下、日本側は、こちらが慎重であるほど、苛立つかもしれません」

「海は急ぐ者の味方をしない」

 ニミッツは穏やかに首を振った。

「急げば、見落とす。見落とせば、沈む。我々は海の速度で進む」

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 時計の秒針だけが、音を刻んだ。

 ニミッツは引き出しを開け、古びた羅針儀を取り出した。

 若い頃、別の海で使ったものだ。

「方位は、いつも一つだと思っていた。しかし、海には流れがある。針が北を示しても、船は流される。だから操艦が要る」

 彼は羅針儀をそっと戻し、赤いピンを一本抜いた。

 地図の上に小さな穴が残る。

「この穴が今日の決定だ。誰かが後で見たら、そこに何があったか分からない。だが、我々は覚えている」

 スプルーアンスが立ち上がる。

「各部に伝えます。表は賑やかに、裏は静かに」

「頼む」

 レイトンも立ち、メモ帳を閉じた。

「偵察の網を広げます。見つけてはいけないものは、見つけない。見つけるべきものは、必ず見つける」

 マクロイが計算尺をポケットにしまう。

「燃料庫は夜通しで積み直します。漏れを止め、段取りを変える。砂一粒でも拾います」

 三人が出ていくと、執務室に独りになった。

 ニミッツはランプの芯を少しだけ上げ、影の輪郭を柔らかくした。

 机の隅には、古い写真が一枚、額に入っている。

 穏やかな港、笑っている乗組員たち。

 ニミッツは古い仲間たちが写るその写真に視線を落としつつ、思案を巡らせる。

 窓の外で雨が完全に上がり、雲間から月が顔を出した。

 ニミッツは帽子を取り、額に手を当てる。

「勝てない戦は、しない」

 彼は独りごちた。

「だが、負けない戦はできる。負けない時間を積み上げれば、やがて勝てる」

 ランプを少し絞ると、海図の青が深くなる。

 ピンの穴は変わらず、静かにそこにあった。

 やるべき手順が頭の中で列を作る。

 誰にどの順番で声を掛けるか、どの数字をどの紙に載せるか、どの写真を世に出し、どの写真を引き出しにしまうか。

 海は広く、時間は短い。

 だからこそ、穏やかに正確に、針路を刻む他ない。

 扉がまた控えめに叩かれた。

 通信士が顔を出す。

「閣下、ワシントンより受領。『旗を見せ続けよ』との再確認です」

「分かった」

 ニミッツは小さく笑い、ランプの火を守るように手で囲った。

「旗は、風があれば揺れる。風がなければ、我々が歩けばよい」

 通信士が去ると、部屋は再び静かになった。

 彼は海図を丸めず、そのまま机に広げておいた。

 夜が終わるまで、針路はここにある。

 月明かりが窓枠を白く縁取り、秒針が日付の境をまたいだ。

 新しい日が始まる。

 その日もまた、総力戦の名の下に、戦わずして戦う一日になる。

 

 ニミッツは椅子を引き、背を預けた。

 海は遠く、しかし執務室のこの静けさの中に、そのすべてが折りたたまれている。

 彼は目を閉じ、ほんの少しだけ眠りに落ちることを自分に許した。

 朝には、旗を揚げる音がするだろう。

 旗は風を受け、船は動き出す。

 海の速度で、負けないために。

 

 

 

ハワイ攻略戦 -Wikipediaより-

 

 ハワイ攻略戦(ハワイこうりゃくせん、英語:Battle of Northwestern Hawaiian Islands)は1945年3月9日から3月18日にかけて北西ハワイ諸島に展開したアメリカ海軍と日本海軍の間で行われた一連の戦闘である。

 太平洋戦争の転換点と言われ、この戦闘で敗北し太平洋艦隊を喪失したアメリカ合衆国の軍事的な敗北を決定づけたと言われている。

 1945年3月、アメリカ軍は北西ハワイ諸島の浅海チョークポイント帯に罠を張り日本軍を誘引する作戦を開始する。

 日本軍は大和を旗艦とする連合艦隊を派遣し囮に使いつつ潜水艦部隊によるハワイへの補給線に攻撃を集中させた。

 同時にジョンストン方面から空母6隻(阿蘇、生駒、那須、岩木、乗鞍、身延)を中核とする空母機動艦隊にて強襲、ニミッツがとった島嶼圏で待つ作戦を完全に逆手に取り、行動の自由を奪われたアメリカ軍はアイオワ級戦艦4隻、ワスプ級空母2隻はじめ出撃した主力艦をすべて喪失する一方的な結果に終わった。

 停戦交渉を有利に進める意図をもってトルーマン大統領がニミッツ提督に命じられたこの作戦は、停戦後に無謀だったとの声が上がり、トルーマンの退陣の原因のひとつになった。

 

 戦場の霧が多いことでも知られるこの戦いでは、アメリカ軍のレーダーに存在しない艦艇が大量に映っていた、日本軍の偵察機が高度4万フィートを巡行していた、などの証言があるとされている。

 それらのうち、いくつかは機密解除され対電探欺瞞装置によるゴーストであることが明らかになっているが、日本軍の優れた連携がとれた理由は現在も明かされていない。

 

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