1970年、夏。
世間は大阪万博の話題で盛り上がっていたが、秋葉信一は大阪を素通りして兵庫県に足を延ばしていた。
大学で教鞭をとる友人が、猫の手も借りたい、と冗談半分に大学に寄贈された旧呉海軍工廠関係資料の整理を手伝わないか、と声をかけてきたのだ。
秋葉は二つ返事で承諾し、時間を作っては大学を訪れ様々な資料を調べ分類していた。
その奇妙な図面を見つけたのはそんな生活が半年になろうというときだった。
木馬型強襲揚陸艦の名と『草案第二版』の文字。
世界初の強襲揚陸艦である天馬型の知名度に隠れているが、天馬型の発展改良型である木馬型は世界初の『ビーチング可能な強襲揚陸艦』としてミリタリー系の知識がある人には知られている。
目の前の草案は実際の木馬型とは違いすぎた。
ウェルドックは前級の天馬型から採用されているが、それの装備があまりにも『未来を先取り』し過ぎていた。
「“車輪付きの平底艇を、リフトとレールで艦内に運び、20秒以内に再装填可能”……?」
秋葉はつぶやきつつ資料を改めていく。
上下分割式の油圧で開閉する上下分割されたハッチと人力を使わずに揚陸艇が発進させられる レール搬送システムを備えたウェルドック。
そのウェルドックと船内の格納庫を上陸艇を高速で移動させる油圧式の搬送機構。
上陸艇は最短20秒間隔で発進可能、つまり2分かからず船内に用意している上陸艇をすべて発進させられる。
歩兵だけなら1個中隊を展開させられる能力を持っていることになる。
「まんまLCACじゃないかよ。これ、本当に戦前の図面か・・・?」
資料を改め、青焼きではあるが青焼きされた日付のスタンプを見つけて、図面が戦前のものと確認する。
秋葉が困惑したのは図面を描いた技師が残しただろういくつかの走り書き。
日本語やドイツ語、英語などいろいろな言葉で書かれている。
その中の2つが秋葉に違和感を覚えさせていた。
『Operational turnover > 3x standard speed.』
『Assault before countermeasure begins.』
普段の秋葉なら、効率を考える技術者なら思いつくアイデアを書き留めただけ、と見逃しただろう。
「戦前の日本人が、こんな文章を書くのか・・・?」
まるで図面そのものが、どこか別の時間軸から紛れ込んできた記録のようだった。
「……誰がこれを、描いたんだ?」
秋葉の問いに答えるものは、居なかった。
1978年、秋。
兵庫の大学で妙な図面を見つけて既に8年。
秋葉は仕事の傍ら、ときどき思い出したかのように調査を続け、一人の男にたどり着いた。
たったそれだけのことに8年もの時間がかかったのは秋葉が片手間だったからだ。
「ここか・・な?」
秋葉は一軒の洋館の門前に立ち、表札を見る。
晩秋の鎌倉はそこここに植えられた落葉樹が葉を赤くし、夏とはまた違う趣を見せていた。
筆書きを削った石板の表札には『村岡』の文字。
他に村岡姓の家は無かったので、この洋館が目当ての人物が隠棲している家なのだろう。
決心して、手入れが行き届いた庭に足を踏み入れ、ドアまでたどりつくとノッカーを鳴らした。
しばらく待つと一人の女性が姿を現した。
秋葉はプライベートで使っている『歴史研究家』としての名刺を差し出し、用件を伝えた。
それだけのやり取りで応接室に通された。
ほどなく、家の主であり、秋葉の目的の人物が現れた。
海軍工廠で設計監督を務めていた村岡泰三その人だ。
当時、海軍の技術部門では一部の機密計画に関わっていたと言われているが、戦後は一切語らず、戦史研究者の間では「沈黙の村岡」と呼ぶものも居る。
「どうも、お時間いただき恐縮です」
簡単に挨拶をかわし、秋葉は1冊のバインダーを取り出して村岡に見せる。
村岡は手に取ったバインダーをめくりだした。
「これはまた、珍しいものを持ってきたね。現物が残っていたとは驚きだよ」
木馬型の草案のコピーを見るなり苦笑を浮かべる。
「詳しい経緯は知りません。神戸にある大学へ寄贈された資料のなかに紛れ込んでいたものです」
村岡は黙ってバインダーを机に置き、窓の外を見やった。
「この図面、当時の技術水準を超えすぎてます」
秋葉は村岡に静かに問いかけた。
「同じ思想のものが現代になってようやく出てきました。なぜ、この図面が戦前にあったのか。理由を知りたくなったんです」
しばらく時間が流れ、村岡は再びバインダーを手に取る。
「長坂、という男を知ってるかね?」
「いいえ」
「勉強不足だな。造船の鬼、と呼ばれるぐらいには有名だぞ」
岡村はバインダーを開き、図面の隅を指さす。
かかわったものの名前が記されている欄を人差し指が抑えていた。
「この『長坂参技』が長坂忠だよ。長坂は、技術力も高かったが、発想力が常軌を逸していた」
村岡は懐かしそうに続ける。
「天馬も木馬も設計者の名は別だが、実質は長坂が設計したようなものだよ」
「なぜ『長坂』の名が残らなかったのです?」
「長坂が書いた図面そのままでは当時の建造技術では実現が難しかった」
秋葉が怪訝そうな顔をしたのを見て村岡は面白いものを見つけたように笑顔になる。
「彼の図面は未来過ぎたんだ。だから、当時の技術で作れるものにリファインする必要があった。そして書き直した者の名前を残したのさ」
村岡はソファの背もたれに体重を預け、楽な姿勢を取る。
「長坂が描いたのは“先に人員を送り、即座に次を出せる艦”だった。時間との戦いに取り憑かれていたよ。何度も作戦が始まる前に制圧を終えるつもりなのか? そう疑ったね。それほどに彼は『戦力が移動する速さ』を求めていた」
「一介の技師が?」
「長坂は常に実践的な視点だった。『創作物の受け売りだ』と嘯いていたが、必要な場所、必要な時、必要な戦力があれば戦争に勝てる、とね」
「“戦は、早さで決まる”って、このメモ……」
「長坂がよく口にしていた言葉だよ。それが設計方針そのものだった。だが……あまりにも異様すぎて、誰も付いていけなかった」
秋葉は身震いした。この図面がただの奇策ではなく、計算された戦術思想の塊だったことが、いま確信に変わった。
「長坂という男、どういう人物だったんですか?」
村岡はしばらく答えず、コーヒーに口をつけた。そして、低く言った。
「……彼は常に未来を見ていた。あの時代の先にあった“何か”をな。私たちは彼の背中を見ていただけだったよ」
秋葉は、紙に記されたただの線が、時代の外側から引かれた線であるかのように感じた。
「長坂の話しを聞きに行くなら、来るのが半年ほど遅かったね」
村岡は静かにコーヒーカップをソーサーに戻す。
「彼の菩提寺は静岡市だよ」
村岡の言葉に、秋葉は黙ってうなずくしかなかった。
1981年初夏。
厚木は都心に比べれば風に涼しさを感じるが、日差しは強く体で感じる暑さは都心とさほどの違いはない。
大和駅からバスに乗って移動し、厚木基地に尋ねたのは元海兵隊情報将校ハロルド・クレイン中佐。
今は日本に住み、極東地域の戦略研究に携わっている。
「パラオの話しを聞きたい、なんて言われたのは何十年ぶりかな」
笑いながらクレイン中佐が切り出した。
「日本軍が最初に上陸したときの様子を、実際に居た人の話しを聞きたくて」
秋葉の答えにクレインは一呼吸置き、苦笑しながら語り出した。
「俺たちは日本軍の上陸を見てはいないんだ」
「見ていない?」
「そう。俺は仲間と一緒に、コンクリート製の小屋の中から海を見ていた。怪しい小舟一隻見逃さないように、ね」
身振り手振りを加えて、陽気にクレインが風光明媚で天候も良く、戦争でなければ最高のピクニック日和だったんだ、と語る。
「ところがだ。伝令がやってきて“日本軍が来た、島から撤収する”って言われたよ。俺たちがのんきに海を見張ってた時にはもう、制圧された後だったんだ」
秋葉はメモを取っていたペンを止めた。
「制圧された“後”?」
「ああ。こちらの斥候が接触した現地民からの証言だ。連絡が入ったときには、島に敵はいなかった。戦闘もなかった。迎撃する暇もなく、制圧されてたんだ」
彼は遠い目をして、笑う。
「おかしいだろ? 日本軍はジャングル戦に慣れてきたくらいで、上陸戦も正面突破する力押しでくるはずだった。だが、あの作戦からそれがガラリと変わったんだ。先に兵がいた。後から船が来た。音もなく。跡もなく。まるで“降ってきた”ようだった」
秋葉は、小声で確認する。
「それが“木馬級”……」
クレインはうなずいた。
「我々はマイクロ強襲戦術と名付けた。しかし、あの時期に分隊単位で自律的な上陸・通信・制圧するというのは例がなかった。他国が本格的に模倣しはじめたのは、戦後も1960年代に入ってからだ」
彼は少し体を乗り出し、声を潜めた。
「君は、戦後、どれだけの国が『あの時代の日本軍』を参考にしてるか、知ってるか?」
秋葉は目を見開いた。クレインは続ける。
「アメリカやソ連だけでなく今でも多くの国の陸軍の局地戦マニュアルがあの時代の日本軍の戦術を取り込んでる」
沈黙が降りた。
秋葉は、カバンの中から図面のコピーとメモ帳を取り出し、机の上に広げた。
「長坂。海軍の設計技師です。その長坂が書いた木馬級の草案です」
クレインが紙を手に取り、読み進めるうちに目つきが鋭くなっていく。
「……これ、本当に?」
「はい、第二次世界大戦以前に書かれたものです」
「これは・・・10年前に書かれたと言われても違和感がないぞ。これを日本が50年も前にやってたなんて。ありえない」
秋葉はゆっくり言った。
「でも、やってたんですよ。未来の知識を持った人物が、そこにいたんです」
クレインは紙を返し、無言のまま立ち上がった。そして一言。
「信じるかどうかはともかく。その人間、本気で時代を変えるつもりだったんだな」
秋葉は、冷えたファイルを抱きしめながらうなずいた。
「そして、俺たちはそいつに完敗したんだ」
寂しそうに続けたクレインの目がかつての戦場を見ているように、秋葉には思えた。