イボイノシシは男の浪漫。
でも、その浪漫が残すものは・・・
堀越二郎は陸軍からまわってきた要望書を見て顔をしかめた。
わかりやすく言えば「丈夫でちょっと撃たれた程度じゃ墜落しない、空飛ぶ機関砲を作れ」という無茶振りどころではない内容だった。
その要望書を見て「イボイノシシが来たー!」と嬌声を上げる同僚、中嶋雄二を見る堀越の表情は理解不能なモノを見つけた学者のようだった。
「これはもう、イボイノシシ作るしかないな。いや、その前の大砲鴉から手を付けるべきか?」
次世代水上偵察機、後年に九五式水上偵察機と呼ばれる機体の設計が手を離れ、一息つけたところで飛び込んできた無茶振りだっただけに、中嶋の喜び様は堀越の理解の範疇になかった。
「どう作るんだ?」
堀越は中嶋に訊いてみた。
「35ミリか40ミリ機銃に揚力のでかい翼をつけて、双発に仕立てて対地攻撃機にするよ」
あっさりと答える中嶋。
「バスタブアーマー、あー、装甲板をヨーロッパ風の湯舟のような形状にして下から撃たれた場合の保護をして、ちょっと撃たれぐらいじゃ落ちずに攻撃が続けられるようにするんだ」
「低空低速で侵入しろってあるけど、視界の確保はどうするの?」
「水平飛行状態で、機首と機銃が10度から15度ほど下を向くようにするよ」
堀越は中嶋がポンポンと答える様子から、すでに察していた。
こいつの頭の中にはすでに完成品があるな、と。
つまり、いつもと同じだった。
後日、中嶋が主体で行った設計が陸軍に提出された。
それは「三菱案」として提出されたが、川西と川崎の2社も陸軍の要望に応えており、3社が提出した「支援攻撃機」のコンセプトは非常に似たものだった。
大口径の機銃に翼を付け、砲身の上に乗員を守る鋼鉄の箱で作られたコクピットを配置し、低速で飛べて旋回性能が高く、そして安価な双発機。
最初は談合が疑われたが、乃木保典中将が「我々の要求がひとつならば、似たモノが出てくるのは当然だろう?」の一言でお咎めなしとなった。
そして三菱が3社の設計の良いとこ取りをした機体を九八式支援攻撃機として作ることになる。
九八式支援攻撃機はその分類名から過小評価されていたが、羽根を持った30ミリ機銃が群れで現れ地上にある目標を、人でも戦車でもトーチカですら、一様に破壊し去っていくその様から中国兵は天蝗と呼んで忌み嫌い、ベトナムやフィリピンで現地採用された兵は「アスワン」「バクナワ」と悪霊に例えて恐れ、欧米出身の将兵は「死の大鎌」「悪魔の槌」と絶望の視線を向けた。
すぐに連合軍は「戦力を分散させて被害を抑える」という方法を編み出し、九八式支援攻撃機は過剰な火力として運用が控えられるようになった。
出撃頻度が落ち、後継機の開発も行われなかったため、戦争史に現れる多くの兵器たちの中に紛れ忘れられていくことになる。
九八式支援攻撃機の攻撃から生き延びた兵士たちの忘れようのない記憶を除いて。