遠野誠は営業の持ってきた話しに顔をしかめた。
四国出身者であるが、社内では第一人者とまで言われるほどに雪道に詳しい青年で、奇抜な発想をすると評されることも多い変わり者だった。
その遠野が顔をしかめるほどに、営業が持ってきた話は前例がなかった。
「機銃で撃ち抜かれても走れるタイヤだ?」
遠野の言葉に陸軍の営業担当者はため息まじりに答えた。
「ほら、山形駐屯地の装輪装甲車用の雪タイヤ。あれが成功したでしょ」
遠野も九五式軽戦車の車体を流用して改造された実験機の話は聞いていた。
75ミリ砲を搭載して、従来のキャタピラ式の車両の数倍の速さで展開できるという機動力を実現している高機動な戦闘車両。
「矢田部隊長があのタイヤすっごく気に入っちゃってさ。ウチに言えば作れるだろって感じで言ってきたんだ」
営業担当の言葉に遠野は不機嫌に答えた。
「オレは青狸じゃねーっての。ポケットからひみつ道具をポンポン出せるわけじゃないぞ」
「でも、できるんでしょ?」
縋るように訊いてくる営業に苦笑を返すしかない遠野。
「3年以内にグッドイヤーが2重構造のタイヤを発表するはずだよ。とにかくアイデアはあるんだ。今の技術力で作れるかどうかはわからないけどね」
遠野の言葉に引き気味になる営業担当。
「アイデアはあるんだ・・・」
「原理は難しくないんだよ、チューブの空気が抜けても形を保てる構造にするだけだ。ただなぁ」
「ただ?」
「軍用車両ってのは乗用車向けとはワケが違う。荷重は文字通りに桁違いだし、走る場所も選べないからな」
「できそうなら草案まとめてよ。それもって時間とお金もらいに行くからさ」
遠野は営業の言葉に頷くしかなかった。
矢田部大佐はタイヤメーカーの営業が差し出した書類に目を通す。
技術者のラフスケッチらしきものを見て真剣な顔つきになる矢田部。
「イシバシさん。このスケッチは?」
営業担当は矢田部の示した図を見る。
「あーっと。ウチの技術者が、こういう配置にするなら可能、ということで書いたラフですね」
車体の両側に4本づつ合計8本のタイヤが配置された車体のラフが描かれている。
正面の装甲が傾けられた上下方向につぶされた砲塔の、キャタピラの代わりにタイヤをつけたような戦車だ。
その戦車につけられたタイヤのサイドに斜線が引かれ、その部分を強化してタイヤの空気圧が0になっても短時間なら走行可能にする、という内容の書き込みがされていた。
「ランフラットって、今の技術で作れるんかね?」
矢田部はスケッチに赤ペンで書き込みをする。
「うちの要望は、こんな感じだ。タイヤを一回り小さく、2割ぐらい厚みを増してくれ。強度が確保できないならダブルタイヤにしてくれ。道を選ばずに走れるだけの性能が必要だ」
営業は渡されたスケッチを不思議そうに見る。
この軍人は、どうしてタイヤについての要求がこうも煩く厳しいのだろうか。
「あと、寒冷地用のものと、熱帯雨林でつかうものと最低2種類はほしい。欲を言えば地域も気候も選ばないのが理想だが、オールマイティを求めて中途半端になるぐらいなら用途を絞って性能を確保したい」
「はぁ・・・伝えますけど、時間も予算もかかりますよ?」
「カネは小出しにしていくしかない。まずはトラックだ。輸送部隊と民間の運送会社。そいつらのトラックに採用させてデータを取ろう」
「は?」
矢田部はニヤリと笑う。
「機甲部隊といえど、予算は限られているのでね。実績がある製品なら主計も嫌だとは言えんさ」
普通の軍人なら、民間に広めてテストをさせるような真似は思いつかない。
営業は、目の前の軍人が「奇行の矢田部」と呼ばれる変わり者であることを再度、認識した。
「研究費の補助ぐらいはしてもらえるんでしょうね?」
「もちろんさ」
自信たっぷりに言う矢田部大佐。
営業は気づいていなかったが、彼らの会話を聞いていた矢田部の副官が静かに、しかし、深いため息をついていた。
矢田部の無茶振りに応えたタイヤは走破力がありそのタフさから「理想のタイヤ」とまで言われる製品に仕上がり、長いあいだトラック用のタイヤの世界シェア1位を揺るぎないものとするほどの人気を博すことになる。