「数値は全部メートルにしろだと? またかよ、ふざけるな!」
部下の報告を受けたパトリック部長が怒鳴り散らす。
フィリピン、マニラ郊外の新しく橋を架ける工事の入札に書類選考で落とされたという報告にパトリックはキレていた。
ユタ・ブリッジ&コンストラクトカンパニーの対外営業部のサンフランシスコ・オフィスは広くはない。
その広くないオフィスがパトリックの怒声で満たされるのは、よくあることだった。
「部長、相手の要求は図面はすべてメートル法で書けってことです。1か所でもヤード・ポンド法の数値があったらダメだと」
営業担当のフレディ・インガルスが繰り返した。
「何度目だ? 車道の幅が9フィートでなにが悪いんだ?」
「2.75メートルでないとダメだの一点張りですよ」
仏頂面なまま表情を一ミリも変えないアイルランド人を睨みつけ、そしてあきらめたようにため息をつくパトリック。
「9フィートと2.75メートル。違いは0.22インチ、6ミリだぞ。道路の幅が0.22インチ、千分の6メートル違うだけで我々は入札を拒否されたんだぞ」
「相手はお役所ですからね」
パトリックは机に置かれた封筒を手にして立ち上がる。
「こいつはメートル法に書きなおすように、設計部に言ってくる」
「聞き入れますかね?」
「ダメなら失注して奴らの仕事が無駄になるだけだ」
パトリックは突き返された図面が入った封筒を手に、オフィスを出ると設計部門が入っているビルに向かって歩き出した。
サンフランシスコの町なみは汚れたままだ。
世界大恐慌と呼ばれた市場崩壊が残した爪痕はサンフランシスコの街並みに深々と残っている。
空き部屋が多いテナントビル、窓に木の板を打ち付けたままの商店、片付けるものがいない路上に置かれ錆が浮いたブリキ製のごみ箱。
それらを視界にいれながらも認識しないまま、パトリックは5分ほど歩き、小さな、家賃の安いテナントビルに足を踏み入れた。
階段で虚ろな目をしたまま大麻たばこを吹かす男がパトリックを見て視線を逸らす。
パトリックは黙って男の横を抜け階段を上がった。
「インガルス。これ、失注かな?」
空のパトリックの席を見ながら、インガルスの同期が訊いてきた。
「さてね」
「なんでフィリピン政府はメートル法じゃないとダメだなんて言うんだ?」
「それはだな」
インガルスは自分の席に戻って座る。
「結論を言えば日本のせいだ」
「日本の?」
「フィリピンだけじゃない。オーストラリアもインドシナもマレーシアもビルマも、あのあたりの国は全部メートル法を使ってる」
「なんでだよ?」
「合理的なんだ。俺たちが普段使うインチ。これの25分の1が1ミリ。インチの25倍の精度をもってるんだ」
「それだけか? 使いやすいっていうには弱いぞ」
「1000ミリで1メートル。1000メートルで1キロメートル。判りやすいだろ?」
「そうか? 俺はインチ、フィート、ヤード、マイルと少しづつ大きくなっていくほうがわかりやすいと思うけど」
同僚がスケールを取り出して指をあててサイズ感を確かめる。
そのスケールを眺めながらインガルスは静かに続ける。
「俺たちは5フィート8インチのように背の高さをいう。1.9ヤードとは言わない。だがそれが地面に書かれた線の長さだったら、5フィート8インチとは言わずに1.9ヤードと言う。同じ長さでも俺たちは使う単位を変える。だが、アジアではメートルひとつで済ませてる」
インガルスが言葉を切ると同僚が無言で先を促す。
「日本は皿の直径も、隣町までの距離も、背の高さも服のサイズもなにもかも、メートルでいう。そしてアジアには日本で作られた製品が溢れている。メートルがすべての基本になってる」
「12インチで1フィート。3フィートで1ヤード。1760ヤードで1マイル。確かにメートルのほうがわかりやすいな」
同僚はスケールを引き出しにしまった。
「日本人ってのは、合理性を人間の形にしたような生き物なんだ」
インガルスが静かに言う。
それには実感がこもっていた。
コーデル・ハルは部下がまとめた資料を見ながら不機嫌を露わにしていた。
「ドル建て決済ではなく、ポンドか円で取引しているのか?」
「その通りです。そしてインフラ事業ですが、橋も道路も鉄道も、アメリカの企業が書類選考で落とされる事例が増えています」
「理由はなんだ?」
「書類不備です。異常な数値のため、ということですね」
「どういうことだ?」
ハルは部下をにらみつける。
「フィリピンへ売り込みをかけたアメリカ企業はどこも橋も鉄道もダムもビルもなにもかも経験豊富で実績があるのだぞ? 異常な数値になるはずがない」
「ヤード・ポンド法で書かれてますからね。数字の部分だけを取り出せば、長さなら1割の狂いがでます。重さなら2倍以上の誤差になります。1キログラムは2.2ポンドですから」
「ふん? 我々を締め出す方便にすぎんな。バラはなんと呼ぼうとバラだ」
ハルは椅子の背もたれに体重を預ける。
「これは是正しなければならん。アメリカのために」
決意を込めてハルは言いきった。
アダムはお気に入りの場所である、雑居ビルの階段に座り大麻葉巻をゆっくりと楽しんでいた。
そして、そろそろだ、と思い立ち葉巻をくわえたまま立ち上がる。
同時に怒声とともに扉が破られるような勢いで開く音。
「ふざけるな! 世界はヤーポンで動いちゃいないんだぞ! お前らのくだらないプライドなんて捨てちまえ!」
3階という距離を突き抜けて、ビルそのものが揺れるかと錯覚するような大声が響いてくる。
アダムは怒声を背に受けながら、人気のすくないサンフランシスコの街並みを歩き出す。
「元気がある奴が居るうちは、アメリカは希望がありそうだな」
アダムは1年以上、中のケーブルが動かないままの溝を踏み越え歩いていく。
立ち止まり、寸前までいた雑居ビルへと向き直る。
階段の出口から封筒を手にした大男が現れるのが見えた。
「くたばれ、ヤーポン!」
大男は体格にあった大声で罵り、坂道を上がっていく。
アダムは静かに苦笑して、次のお気に入りの場所へと歩き出した。