デイビッド・モーガン中尉は担当の裁判の資料を目の前に積まれてため息をつく。
ロースクールを出て弁護士になるべく勉強中に陸軍に徴兵され、ドイツが降伏して戦争が終わり、さぁ除隊して社会復帰だ、と思ったところあっさりと退役を拒否され逆に3か月の詰め込み教育で弁護士資格を取らされ戦後裁判に駆り出されていた。
すっかり人生設計が狂ったモーガン中尉は、連日の激務の疲れもあって本来持っているエネルギッシュな雰囲気はすっかり鳴りを潜めていた。
助手のマリー・テイラーは冷たい視線でモーガンを見つめ、モーガンはしぶしぶと資料の山に手を伸ばす。
被告はワルシャワ郊外、ジトワニ村出身のポーランド人、ヤシュ・ボロナ。
モーガン中尉が良く担当する「ナチス・ドイツに協力した罪」で起訴された戦争犯罪者の一人だが、MI6からの補足の資料が付いていた。
MI6は「グラーショヴィ・グレムリン」とコードネームまでつけて彼の動向を探っていたようで、「物資の紛失」をはじめとしたいくつかのサボタージュの常習犯だったらしく彼が行った「反ナチス運動組織への協力」のリストは数ページに及んでいた。
資料を見ていくと、モーガン中尉の表情がだんだんと真剣なものになっていく。
バインダーに入っていた調書には彼がどのようにしてナチスに協力するに至ったのか、ナチスに協力しながら何をしたのか、などが記されている。
そのなかに「彼は意図的に嫌がらせになればと思って小さな妨害をしただけ」と供述したという一文があった。
「どこが『小さな妨害をしただけ』だよ」。
MI6が添付してきたリストの長さを見てモーガン中尉は自分が担当することになった被告がどれだけのことをしでかしたのか興味がわいた。
リストを目で追っていけば、武器弾薬や燃料などの重要な戦略物資の配送ミスはないが、食料や医薬品の紛失、物資の多重配送や宛先間違いなどのミスによる補給の妨害が続く。
「普通なら銃殺されててもおかしくないぞ、これ」
モーガン中尉は。ドイツ陸軍の失策の隠ぺい体質があって命拾いしたな、と少しばかりズレた感想を抱く。
リストを最後まで読めば、『我々が把握していない件がどれほどあるか不明』と記されていた。
「情報部が把握しきれないって、どこの凄腕の工作員だよ」
モーガン中尉は他にもバインダーに挟まれていた『グラーショヴィ・グレムリン』のオフィスから押収されたメモを広げた。
メモには走り書きされた数行の文章があるが、モーガン中尉に読めたのは『Starobilsk』『Starokostyantyniv』『350m』という意味不明の単語だけだ。
「マダム、これ、どこの言葉だと思う?」
モーガン中尉は助手のテイラーに見せる。
「日本語です。どこでこれを?」
「今度の被告の持ち物さ」
すんなりと読めた自分の助手の才媛さに感謝しながら冗談半分で訊いてみた。
「読める?」
「『7月5日は日曜日、対応が遅れる可能性あり』『待避線は350メートル』と書いてありますわ」
「待避線?」
「スタロビリスク駅(Starobilsk)からスタロコンスタンティノフ駅(Starokostyantyniv)に貨物列車を送るメモのようですね」
「マダム、このメモの翻訳を頼む」
「これを?」
「たのむ、一人の英雄の未来が変わる重要なメモなんだよ」
ものの数分で翻訳が終わり、モーガン中尉はそれを読むと地図室へ向かった。
彼には確信があった。
『グラーショヴィ・グレムリン』はスタロビリスクからスタロコンスタンティノフに列車を走らせようとしたのではない、スタロビリスクに行くはずの列車をスタロコンスタンティノフに送り込んだのだ。
軍に入る前、弁護士を目指しながら恩師の事務所で助手として働きながらも時々感じた事件の真相へ迫る確信。
モーガンは今、それと同じものを感じていた。
地図室に入ると担当者に手短にスタロビリスク駅とスタロコンスタンティノフ駅の構内図を用意するように頼む。
ほどなくして2枚の図面が届き、それを見比べるまでもなくモーガン中尉はなぜスタロコンスタンティノフを選んだのか理解した。
スタロコンスタンティノフ駅の待避線に入りきれないほど長い列車が居たら、手詰まりになる。
予定外の列車1本が居るだけで、その幹線は1日は完全に止まるだろう。
「7月5日」
無意識のうちに日付をつぶやく。
そのころ、ドイツ軍は快進撃を続けていたのだ。
連合国もバクー油田が狙いなのは判っていたが、対応できるかはぎりぎりだった、その時は。
翌週、ドイツ軍の足が鈍り、さらに1週間後、完全に進撃が止まった。
鉄道輸送のミスから補給が滞ったからだ。
モーガン中尉は図面の写しを貰い、執務室に戻る。
テイラーがモーガン中尉の机の上に大量の紙の束を載せていた。
「あー、マダム、これは何かね?」
「あなたが担当される被告の裁判に必要になる資料です」
「なんて?」
「英雄の未来がかかわっているのでしょう?」
冷たく言い放つテイラー。
いつもはどこか醒めた目で世の中を眺める年齢不詳の女性が、不機嫌さを隠そうとせずに言う。
「どうせ追加であれが欲しいこれが欲しいと言い出すんですからあらかじめ持ってきただけです。今日明日はそれで我慢してください」
「なんで?」
「そろそろ退勤時間です。今日は何曜日でしたっけ? わたし、明日は出社しませんよ?」
テイラーに言われてモーガン中尉は時計を見る。
そろそろ17時になろうとしていた。
「よい週末を」
テイラーは用意していたのか、ハンドバッグを持つと颯爽とオフィスを出ていく。
そして、テイラーが残したメモに気づく。
『英雄のやらかしを時系列で並べてみなさい』と、何時ものようにブロック体ではなく、流れるような達筆で残されたテイラーの忠告。
「やれやれ、残業確定かな」
モーガン中尉は椅子に座ると灰皿を取り出し煙草に手を伸ばした。
助手の忠告の通りに時系列に『グラーショヴィ・グレムリン』の妨害工作を並べていくと、違和感と困惑が生まれた。
地方の補給担当者、それも頻繁に小さなミスを繰り返すために出世からは縁がなく、役職も低く権限も責任もない取るに足らないはずの小役人。
その筈だ。
「どういうことだよ、これは」
『グラーショヴィ・グレムリン』の「ミス」で多いのが物資の誤配、その次に数量ミス。
発注ミスによって余剰品が出て破棄したり民間企業に保管を委託するケースが目立つ。
廃棄された余剰品は「民間業者に廃棄を委託」とあるが、MI6が付けた資料によればそのまま現地のパルチザンの手に渡っている。
「民間業者に保管を委託した物資」も監査では倉庫にあることになっているが実際はパルチザンの手にわたっていた。
それが何度も起きている。
誤配も誤配で、どこに荷物が行ったのかを追いかけていけば、幹線道路の渋滞を引き起こしたり、間違った駅に着いた貨物列車がダイヤを乱して、影響が数日から半月ときには1ヶ月近く続いたり。
それらがドイツ軍の攻勢の直前、あるいは攻勢が始まった直後に集中している。
だが、手配されている日付はさらに前。
1週間や1か月以上前からドイツ軍の動きを予想し、かつ効果的な妨害を行っている、と言われたら信じてしまいそうなタイミングばかりだ。
そして「7月5日」に「名前が似ている別の駅」に「待避線より少しだけ長い編成の貨物列車」を送り込んでいる。
予定外の貨物列車はまる1日、線路をふさぎその影響はドミノ倒しのように広がっていった。
スタロビリスクに届くはずだった医療品、痛み止めや消毒薬や包帯といったファーストエイド用品を載せた列車が着いたのは名前が似ているスタロコンスタンティノフ。
前線では将兵の負傷の初期対応が滞り動けなくなる人員が増え、ダイヤが乱れた鉄道は計画通りに物資を運べず補給計画は大きく狂い、ドイツ軍は広い範囲で戦闘力も移動力も失った。
その影響でバクー油田を狙ったドイツの大攻勢は失速し油田確保に失敗、ドイツの敗北へとつながっている。
完全犯罪の証拠を見つけた時のような興奮と、それを感じてしまうことへの違和感。
そして『グラーシュ・グレムリン』の計画性への恐怖がモーガンを襲う。
「いったい、何者だよ」
モーガン中尉はネクタイを緩め大きく息をする。
「これ、狙っていたとしたら、とんでもない英雄じゃないか」
かすれた声で漏らしたモーガン中尉の独り言を聞いているものは居なかった。
デュークス・バーのカウンターの隅にその二人は居た。
ゆるやかな、喧騒とは言えない他の客たちの声に遮られ、二人の会話は他の者たちの耳には届かない。
届いたとしても、二人の間で交わされる会話を理解できる語学力の持ち主はその場には居合わせていなかったが。
「中尉はたどり着いたと思うかい?」
落ち着いたダークブラウンのスーツに身を包んだ紳士が、グラスを傾ける。
「さぁ、どうかしら。でも、裁判には間に合うと思うわよ」
ハイネックのセーターにジーンズ姿のテイラーはマティーニグラスからオリーブを取り出し、口に含む。
「彼は、グラーシュのおじさんはよくやったと思うか?」
「やりすぎでしょ。たった1本の貨物列車でドイツの敗けを確実なものにしちゃったんだから」
オリーブの種をコースターに載せ、グラスを口につけるテイラー。
「ブラウ作戦があんな形で不発に終わっておかしいと思ったのよ」
「自分の思い違いとは考えなかったのかい?」
「歴女を舐めないで。これでも、近代史専攻だったのよ」
「結核もちの剣士が絡んだ退廃的なカップリングばかり追い求めているのが歴女だと思っていたよ」
「その認識は改めるべきね」
グラスを干したテイラーはにやりと笑う。
「ちょび髭とあご張り男のカップリングや血まみれ皇帝の・・・」
「わかったわかった。君が近代史に詳しいことは理解したよ」
紳士はテイラーの言葉を遮り、グラスを干す。
それを見て楽しそうに笑うテイラーに、紳士はそっとため息をついた。
一度死んだぐらいでは、歪んだ性癖は治らないのだ、と。