奴らはいったい何者だ?   作:Shigy20250620

7 / 47
俺たちの島、Enifei

39年3月15日 晴れ

 キカと一緒に港の桟橋に新しい船が来るので見に行った。

 この島にあたらしい娯楽を持ってくるのはいつだって船だ。

 旭日旗を掲げた軍の輸送船の事もあれば、日の丸の旗を掲げた貨物船の時もある。

 今日は日本軍の舳先が大きな扉になってる『モクバ-クラス』だった。

 この船は見ていて楽しい。

 桟橋の奥の方まで入ってきて岸壁ぎりぎりに止まる。

 それだけでもちょっとした見ものだけど、スロープになってる舳先の扉をゆっくりと前に倒して岸壁とつながるんだ。

 そこからトラックを吐き出して、そしてトラックに続いて人間が降りてくる。

 今日は真新しい礼服を着た若い軍人がいた。どうやらこの島に赴任してきた新人らしい。村長が出迎えていた。

 

39年3月22日 曇り

 もう卒業だ。あっという間だった。

 卒業して何になるかなんて決めてない。

 親父も叔父さんたちも皆、海に出て漁をしている。

 島の胃袋を支える重要な仕事だし、それを続ける親父は俺が誇れる父親だ。

 それは判ってる。でも、俺は漁師よりもっと「別ななにか」になりたかった。

 キカの従兄は軍人だ。去年、兵役を終えて帰ってきたら日本の企業に就職できて、きれいな人と結婚したと、キカが自分の事のように嬉しそうに教えてくれた。

 それを聞いて俺は「別のなにか」が軍人になることかもしれないと思った。

 だから軍人になろうかと思う。

 親父に相談したら「ダメもとで受けてみろ」と言ってくれた。

 お袋は「最初から全力出しちゃダメよ」ともう俺が選抜試験に受かったつもりになってる。

 仕事以外はとことんのんきだ。俺は二人の子供だ、のんきに行こう。

 

39年4月17日 雨

 軍人になるための学校に入ってもう1か月。

 朝、ラッパの音で目を覚ますと忙しい1日が始まる。

 教育係のイズミヤ軍曹が言うには「目が覚めました、とはっきりわかるような目覚め方をしたら命取りになることもある」らしい。

 イズミヤ軍曹は戦場で仮眠を取っていて、起き抜けにあくびをして撃たれた間抜けの話をしてくれた。

 笑いながら話していたので、たぶんジョークなんだろう。

 俺たち訓練生はイズミヤ軍曹の教えを守って外がすっかり明るくなってもラッパが鳴る6時までじっと息をひそめ、ラッパがなったら一斉に起きだすのだ。

 朝飯を食べて、午前中は勉強だ。物理と数学は毎日だ。曜日によって他の科目があるがどれもこれも実践向きだ、軍隊は大学じゃない。学問を研究しない、実践するんだ。

 あまりにも多くの事を教わるので頭がパンクしそうだが、死ぬよりましだ。

 それに、ちゃんと勉強して「らしい」軍人になれば女の子にもてる、とイズミヤ軍曹が言う。

 イズミヤ軍曹は来週の週末に教え子の結婚式に行くので休むから、本当の事なんだろう。

 頑張って勉強するぞ。

 

39年9月10日 晴れ

 ドイツがポーランドに侵攻して、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告した。

 新聞では一面も3面も戦争の事で持ち切りだ。

 俺たちの国は日本との交易で成り立っていると言ってもいい。

 日本と仲がいいドイツが戦争を起こした、日本はドイツと仲がいいから、ドイツが欲しがる軍需物資を売ればしばらくは景気がよくなるだろうけど、戦争が終わったら泥沼だ、世界大恐慌の再来だ、と嫌な記事がいくつもある。

 クリスマスまでには戦争が終わるとかいう奴もいるが、いくらなんでも楽観すぎる。

 日本は参戦するべきか、停戦させるべきか、と言う記事がありどちらにもメリットデメリットあるが、俺は人が死なない分、停戦するほうがマシだと思った。

 イズミヤ軍曹にそのことを言ったら軍曹は難しい顔をしていた。

 そして俺に「本国に研修しにいくか?」と訊いた。

 イズミヤ軍曹が初めて日本人で、日本の軍人だと知った。

 日に焼けてるし、チューク語があまりにも上手だからてっきりトラック島辺りの生まれ育ちだと思ってた。

 俺は日本への研修は保留してもらった。

 

39年9月12日 雨

 いよいよきな臭くなってきた。

 アメリカが日本にも圧力をかけ始めた、新聞を読んでいれば判るぐらいには露骨に。

 どうやらアメリカは、トルーマンかその取り巻きはドイツと戦争をしたいようだ。

 アメリカと日本が戦争になったら巻き添えを喰らうのは俺たちだ。

 今の俺たちが住んでいるところは『日本統治領、ウェノー南洋諸島』と呼ばれてる。

 日本じゃないが、日本が支配者だ。

 日本が来る前はドイツ、その前はスペイン。

 スペインはウェノー南洋諸島は寄港地としてほしかったようで、宣教師が来たぐらいでほぼ放置だったが、ドイツ人は俺たちの島をココヤシ畑とリン鉱山だけにしようとした。

 でも戦争に負けて15年で撤退したので、それは上手くいかなかったって学校の授業で教わった。

 そして日本は・・・日本は俺たちをどうしたいんだろう?

 学校や病院、港を作っている。

 畑ではいろいろなものを作ってるし、海でとれた魚や貝も、缶詰や塩漬けのような加工品にして買い上げていく。そう、ちゃんと金を払って買っていくんだ、ドイツと違って。

 でも、俺たちには選挙権も被選挙権もないし公務員にもなれない。

 学校で教わったことと日本がウェノー南洋諸島でやってることがちぐはぐじゃないか、とイズミヤ軍曹に訊いたら答えはものすごく簡単だった。

「カネがない」

 ウェノー南洋諸島などの日本が統治してる国を日本と同じに扱うのはカネがないからだ、と言う。

 学校を作り、病院を作り、人が増えている、けど、「日本の一部になるほどに国が育っていない」らしい。

「先立つものがないと何もできないのは人も国も軍隊も同じだ」とイズミヤ軍曹が言う。

 予算不足で補給がない戦場ほど辛いものはないぞ、とイズミヤ軍曹が漏らしたがとても実感がこもっていた。

 その話しを聞いて、なぜか俺は「日本での研修」に志願した。

 イズミヤ軍曹は賛成も反対もせず書類を出してきた。

「日本に行っても忘れるな。この島はお前の故郷だ。お前の島だ」

 俺が署名すればすぐに日本に研修生として行ける書類だった。

 

39年12月2日 晴れ

 日本での訓練は今までの訓練が初等教育に思えるぐらい大変だった。

 俺以外にも「研修生」が居て、教師はヤマモト大尉になった。

 大尉に教わるのは俺を含めて20人、多いと思ったが「入隊の時期」がズレているので少ないらしい。どんだけ人口が居るんだよ、日本は。

 朝起きて食事、体操したらみっちりと勉強、昼飯を食ったらとにかく鍛錬。

 なぜか俺は基礎体力育成をすっ飛ばされた。他の研修生にくらべて体が出来上がってるらしい。

 島に居た時は毎日のようにイズミヤ軍曹と追いかけっこをしていたからだろうか?

 

40年1月1日 雪

 生まれて初めて「はつもうで」に行った。

 晴れ着を着た女の子たちは皆、綺麗でかわいい。

 女性が着る着物に振袖があるのは知っていたけど、留袖もあるのに驚いた。

 姉妹で着ているのが違うから、と思って声を掛けたら母と娘だった。

 美人で気立てが良さそうな奥さんと母親に似ている娘。

 素直に旦那さんが羨ましい。

 おれも彼女のような女性と結婚したい。

 

40年4月30日 雨

 今日、俺たちの「研修」が終わった。

 俺はフランス領インドシナに行く。

 中国の内乱の余波、なのだろう、インドシナは暴徒が暴れまわっている。

 インドシナにいる外国人、日本人もフランス人もイギリス人も関係なく暴徒に襲われる事件が多発して、インドシナの警察や軍隊ではもう抑えきれないという。

 だが俺はまだ卵の殻をケツに着けてるような訓練生だ。

 それがいきなり現地に配属、人手不足すぎないか?

 

40年6月3日 晴れ

 このひと月、目を回す暇もないぐらい忙しかった。

 インドシナについたその日のうちに俺はヒグチ少佐率いる中隊に配属になった。

 俺は正直言えば統治領出身の、研修で即席教育を受けただけの卵の殻がケツについてるヒヨコも同然の少尉だ。少なくとも俺は俺をそう思う。

 なのにいきなり小隊を1つ、任された。

 俺の命令で200人の運命が決まる。責任が重い。

 ヒグチ少佐は補佐に軍曹を付けてくれた。

「日本軍でも指折りに優秀な軍曹だ」と太鼓判を押してくれ、俺は正直に「ありがとうございます」と答えておいた。

 

40年7月1日 晴れ

 村に学校ができた。

 集会所のような質素な建物だが黒板と机と椅子、それに簡易的だけどトイレと窯も据え付けた。

 サイゴンで学校の先生をしていたという青年が村に常駐して教えることになるらしい。

 独身だと分かったとたん、村の女性たちの目の色が変わった。

 娘が居る奥様方の。

 俺は他人事だし、気軽に頑張れとだけ励ましておいた。

 

40年7月4日 雨

 頻繁に村を襲ってくる野盗を罠にかけて捕まえてみたら中国人だった。

 国が荒れて居られなくなったので逃げてきたら受け入れられず、国に戻ることもできなくなって野盗になったらしい。

 俺は面倒になったので捕まえた全員に手錠をかけてトラックに詰め込んで本部に送り付けた。

 普段、文句しか言わないエスカルゴ野郎に押し付けただけだ。

 フランスが降伏した後、フランス人の軍人は全員クビになった。

 文句しか言わない奴も再雇用されたクチだが、横柄な態度は変わらない。

 いや、前よりはましになったか?

 

40年12月1日 雨

 村内の水権利の抗争をどうにかしろ、と命令されて地図を見ながら悩んでいる。

 川の水は冷たく、そのまま畑に使うと作物の育ちが悪くなる作物もあるらしい。

 島に居た時には気にしたことが無かったが陸は陸で、陸の苦労があるものだ。

 斜面ばかりでため池をつくる土地もない、と悩んでいたので俺は傾斜に沿って蛇行させた水路を引いたらどうか、と閃いた。

 段々畑の応用だ。

 工兵隊を呼ぶなりして水路を作ってもらう、とヒグチ少佐に進言する。

 そうしたら、水路を作る役が俺になった、工兵隊は来ないらしい。

 仕方がないので村に行って村の人に説明して、人手を借りることにする。

 これって軍隊の仕事なのか?

 

41年1月4日 晴れ

 村のなかの川に水が流れた時にはちょっとしたお祭り騒ぎになった。

 村長のお孫さんに「お嫁さんになってあげる」と言われたがさすがに15も歳が離れているのは無理だ、わらって「15年後もその気持ちがあるなら」と答えておいた。

 なぜか村長の奥さんが残念そうな顔をしていた。

 

41年2月1日 晴れ

 担当する村が増えた。

 司令部は越境してくる中国人が増えて国境に近いところにいくつかの部隊を移動させた。

 当然、彼らが移動した後を誰かがフォローしなきゃいけない、つまり俺たちだ。

 ヒグチ少佐が「担当が広くなったんだから車をよこせ」と司令部に掛けあって3トン半を4台手に入れた。

 村に「無期限貸与」と言う形で譲渡し、皆が喜んでお祭り騒ぎになった。

 

41年9月5日 雨

 アメリカが石油の輸出を完全に止めたらしい。

 今までガソリンを売りに来ていた会社の替わりにシェルというイギリスの会社になるそうだ。

 値上がりするそうだが、仕方ない。

 

41年12月15日 晴れ

 日本がアメリカに宣戦布告して1週間。

 初めての本格的な戦闘がおこったと新聞の1面に大きな記事が出た。

 補給線を妨害するために出撃した駆逐艦3隻が、アメリカ軍の攻撃にあって大損害を受けたようだ。

 反撃したけどアメリカ軍に被害が出たかは確認できてないそうだ。

 記事を読む限り、大敗北。

 でも、何かがおかしい、日本軍がこんなに弱いはずがない。

 

42年8月1日 晴れ

 島から手紙が届いた。

 正確には、島にいたはずの従妹からだ。

 アメリカ軍に襲われて、島から皆、逃げ出したらしい。

 従妹はお袋と叔母さんと一緒に逃げて今はシンガポールに居るという。

 軍に志願するからこれが最後になるかもしれない、と書かれていた。

 

43年1月15日 晴れ

 早いもので年が変わった。

 従妹からの手紙はなく、親父もお袋もどこにいるかわからない。

 死んだりしたら俺のところに連絡はくるそうだから、どこかで元気にやってるんだろう。

 

44年1月2日 晴れ

 早いもので年が変わった。

 去年1年、大きな変化はなかった。

 村の学校の先生が結婚したけど、それぐらいだ。

 戦争は膠着し、中国からは食い詰めた連中が越境してきては捕まる繰り返し。

 しばらくはこの状態が続く見通しだという。

 早く戦争が終わると良いのに。

 

44年4月2日 晴れ

 俺たちはもっと海に近い場所に異動することになった。

 どうやらアメリカが大攻勢をかけてくるらしく、それに備えてだ。

 異動することを村に報告に行ったらなぜか壮行会になった。

 馴れない酒を飲んだものある。

 だけどそれだけじゃない。

 今の気分を一言で表すなら

 

 頭が痛い

 

 いろいろな意味で。

 

44年5月21日 雨

 パトロールに出した連中がアメリカ軍を見つけた。

 俺の小隊の、アメリカ軍との初めての戦闘だ。

 アメリカ軍は滅茶苦茶に銃を撃ってくる、勇ましい連中だ。

 狙いがちゃんとしていれば。

 俺は訓練所で教わった通りに「敵がいるほうに向かって撃て」を部下たちにやらせた。

 これは難しい。

 まず、相手がどこにいるかを見つけなきゃならない。

 そして、見つけたら部下にそれを伝えないといけない。

 俺は「部下に伝える」のを軍曹に任せることで何とかできた。

 アメリカ兵を見たらその方向に向かって皆で撃つ、当てる必要はない、撃たれていると分からせるだけでいい。

 アメリカ兵は撃たれていると分かるとカメが首をひっこめるように隠れる。

 そのすきを狙って移動する。

 移動して新しい場所で、銃を構えたアメリカ兵が姿を見せるのを待ち構える。

 そして、間抜けな奴が姿を見たら銃弾を浴びせ、また逃げる。

 日が暮れるまで何度もなんども繰り返しながら俺たちはなんとか逃げおおせた。

 死んでもおかしくないけが人が出たけど、脱落者ゼロで。

 敵を何人倒すかなんてのは英雄に任せておけばいい、俺は部下が家に帰れる上司になるんだ。

 

44年6月3日 雨

 大隊長から表彰された。

 10日ほど前の戦闘で脱落者なしで逃げ帰ってきたのが評価されたのか、と思ったら全然違った。

 どうやらあのアメリカ兵たちは大部隊の先遣隊だったらしくて、俺たちの小隊を相手にしている間、渋滞を起こして動けず、爆撃の的になっていたらしい。

 軍曹がけが人を見て「こいつはやっぱりグンソー・フクダだ」と笑っていたが、俺の記憶違いでなければフナサカ伍長のはずだ。

 フナサカ伍長は分隊長をまかせており、小隊の要の一人と言ってもいい。

 ヒグチ少佐がわざわざ北のほうにいる部隊から引き抜いてきた凄腕の擲弾筒の使い手だ。

 その伍長が抜けるのは正直痛い、と思っていたら大隊長が「2週間ほど休め」と命じた。

 同時に「伍長から目を離すな」と言われたが、生きてるのが不思議なけが人だぞ?

 

44年6月7日 晴れ

 悲報、フナサカ伍長、問題児だった。

 病院を抜け出して分隊の仲間と宴会をしていたそうだ。

 生きるか死ぬかの大けがして、1ヶ月経ってないのが信じられない。

 あいつ、正体は最近流行りの科学小説にでてくる改造人間だったりしないか?

 

45年12月31日 晴れ

 久しぶりの日記だ。

 最近やっと左手で字が書けるようになってきた。

 夏に、米軍の大攻勢にあって負傷、入院。入院している間に戦争が終わった。

 できれば早く退院したいが、そうすると裁判が待っている。

 微妙なところだ。

 イズミヤ軍曹は日本で裁判を受けて、今はどこかの収容所にいるらしい。

 ヒグチ少佐はあの日、日本で指折りの軍曹を付ける、と言っていたが俺は同意しかねた。

 なぜならあの日、副官として俺の前に現れたのがイズミヤ軍曹だったのだから。

 

47年2月3日 晴れ

 久しぶりの日記。

 独立運動もやっと形が見えてきた。

 父がなんで日本語なんだ、なんで「Enifei」じゃないんだ、とスローガンの「俺たちの島」へふざけて文句を言っていたが、周りは誰も同意してくれなかった。

 日本が戦争に負け、島はアメリカの統治下になった。

 アメリカは日本が作った学校を、病院を、港を壊して新しく作り替え、日本語を使うのを禁じた。

 だけど島民たちは日本が作った学校も、病院も港も、もう自分たちのものだと思っていた。

 友達と机を並べて勉強した学校を、家族や友人が命を救われた病院を、船が付くのを楽しみにしていた港を壊されて良い気分でいる島民は居ない。

 もうじき私たちは自分たちによる自分たちのための自分たちの国を得る。

 そして真に独立を勝ち取るのだ。

 

 だが、私は時々思うのだ。

 独立したとして、本当に我々の手で勝ちとったものなのか。

 誰かにお膳立てされたものではないかという疑念が拭いきれない。

 イズミヤ軍曹に訊けば答えは得られるだろうか?

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告