東京の夜は、ようやく街に灯が戻ってきていた。
そこかしこに未だ戦争の傷跡を残してはいるが、復興は驚異的な速さで進んでいる。
そんな東京の片隅、闇市の残り香を引きずる路地裏に小さな酒場がある。
木製の扉を引くと、かすかに焦げた匂いと、湯気の向こうで煮込みの鍋がぐつぐつと音を立てていた。
「おう、お疲れさん」
外務省の杉山が、カウンターに腰を下ろす。
背広はくたびれていたが、どこか余裕の笑みを浮かべていた。
「先にやってるぜ」
大蔵省の田所が苦笑いしながら、すでに頼んでいた燗酒の盃を差し出す。
二人とも、昭和の世には珍しくない「戦後の若手官僚」だった。
「ハルが失脚したのは予定通りとしてもなあ……影響がデカすぎたわ」
杉山がひと息ついて、ぼやいた。
「国際連盟の件か?」
「結局、日本が旗振り役になっちまったじゃないか」
「ははは……言い出しっぺはお前だろうが」
田所は鼻で笑った。
戦争が終わった。
だが新しい国際秩序を作る会議で、アメリカの声は弱く、イギリスも自国の問題を優先する姿勢を隠さず、距離を置く。
結局「東アジアの平和のため」という名目で、日本が中心になって旧連盟を再編する流れができてしまった。
「だけどよ……予算がいくらあっても足りん」
田所が声を潜めて言う。
「軍需産業に回してた分を国際機関にぶっこんでも全然たりん。大蔵の連中は皆ぶーぶー言ってる」
「そりゃそうだよな」
杉山も苦笑いする。
「日本だけでなく、イギリスや東南アジアからも金引っ張ってくるって言ってただろ?」
「そりゃ言ったさ。でも向こうだって戦後復興で火の車だ」
握りこぶしをつくり、苦々しく言う杉山。
「アメリカに全部押し付ける予定だったのが全部パァだ」
田所は苦笑するしかなかった。
「まぁ、ドイツが大敗北したのはある程度は予想してたけど、まさかアメリカがあそこまでぼろ負けするとか思わんかったよ」
「乃木ジュニアが悪い。あのじぃさんがテコ入れしまくったせいだ。歴史を変え過ぎだろ」
杉山はぐい飲みを干し、徳利を傾けた。
「たった1度の艦隊決戦でアメリカ軍の主力を全滅させるとかどこの仮想戦記だちくしょう後のことも少しは考えてくれってんだよ」
「パールハーバーがなくて大艦巨砲主義が続いたせいだな。マジに月間戦艦やるとかあの国も大概だけどさぁ」
「アメリカが弱腰になったから停戦交渉上手くいったけど、弱腰すぎてモンロー主義に逆戻りだ、俺たちは口出さないから金も出さないってなっちまった」
「なんで敗戦国が戦後復興の旗振りしなきゃならんの、紙幣がレールガンでマッハで飛んでくのが見えるわ」
二人はそろって大きく肩を落とす。
「……でもよ、あのまま何もしなかったら、ソ連にいいようにされてた」
「わかってる。だから旗振り役になるしかなかった」
沈黙のあと、田所が言った。
「お前、ほんと外交上手いな。俺には無理だ」
「お前だって予算をどうにかひねり出してるじゃないか。俺には無理だよ」
酒場の灯は、安いランプの火だったが、二人の盃を照らしていた。
外は冬の風が吹きすさび、戦後の街をさらに冷たくしていく。
「為せば成ると言うけど、結局、世の中カネがなけりゃ何もできんのよな」
未来を背負う二人。
だが、その背中から人生に疲れた中年男性のような悲しみが滲みだしていた。