主の境遇話が出てきます
苦手な方は閲覧非推奨
なんでも大丈夫な方だけ、どうぞ
「すごい毛量だね〜……」
仕事終わりの夜。私は、その日の担当執事であるルカスの髪の毛をブラシで梳いていた。
「主様にこんなことさせて申し訳ないね……私の髪の毛、量が多いでしょ?」
椅子に座っているルカスが、少し申し訳なさそうに……いや、ちょっと嬉しそうにしてる……ような様子でそう言った。
「ううん、気にしないで。私がちょっとやってみたかったからやらせて貰ってるだけで……」
保育園でも毛量の多い子どもの髪の毛を結うことはあるが、こんなに長いことはない。というか私の世界では、こんなに髪の毛を伸ばしている男性も少ないだろう。
「髪の毛を梳いてみたいという主様のお願いには驚いたけど……」ルカスは話し続ける。「主様の可愛いらしいお願いを叶えない訳にはいきませんから。満足するまで梳いて貰って構いませんよ♪」
「ありがとう、ルカス」
私は改めてお礼を言いながら、ブラシと自分の指の間から通り抜けていくルカスの髪の毛をマジマジと眺める。ルカスはツインカラーの髪の毛であり、片方は赤、片方は夜空のように真っ黒で美しい色をしていた。
「夜の空もルカスみたいな髪の色だったら、少しは怖くなくなるかな」
なんて冗談だよ、と私は言ってみたが、ふとルカスからこんな言葉が返ってきた。
「主様が怖いと思っていること、今は言葉には出来ませんか?」
「え」
私は手を止めた。それに気づいたのか、ルカスがこちらを振り向いた。
「他の執事たちから、主様のことは聞いていますよ。主様は時々、思い詰めたような顔をしているって」ルカスの表情は、いつものように穏やかで変わらなかった。「良かったら、話してくれませんか? 言葉にすることで、気持ちが楽になるかもしれませんから」
私は医者だから、と言葉を付け足して。
(そっか……みんなに心配されてたんだな)
と思いながら、こんなによく一緒にいたらそれもそうか、と納得する自分もいる。
「……あのね、ルカス」
私はルカスに、自分の境遇を打ち明けた。自分は五人兄弟姉妹の次女で、譲ってばかりだったこと、他の兄弟姉妹より劣っていること、そんな自分を受け入れてくれた祖母もいたが、数年前に亡くなったことも話した。そして最後に。
「どうしてなのか、私は誰かを助けても、まだどうにか助ける方法があったんじゃないかって色々考えてしまうの。その時の私が出来る精一杯をやったはずなのに、まだこんなんじゃダメだって思う自分がいて……」と言ってから、私はラトに言われたことを思い出す。「でもね、ここのみんなを助けたことを、後悔とかしてないんだよ。みんなのことを心から助けたいと思ってたし、これからだって幸せでいて欲しいと思ってるの」
ついでに、私はベレンと湖に行った時に見た夢の話もした。海で溺れそうになった自分の弟を助けた時が、夢の中でも同じようなものを見たのではないか、と。
こうして私のたどたどしい話の中、ルカス
は静かに耳を傾けてくれていた。そして私が話し終えると、ルカスが最初に言った一言はこれだった。
「主様は、お優しい方なんですね」
「え……」
こんなよく分からないことで悩んでいる私の話を聞いて、最初に掛ける言葉はそれなのか、と内心から驚いた。普通なら、そんなことで悩んでいるのか、くらい言われそうなのに。
だけど、そうだ、ルカスだけでなく、他の執事たちも、私に「そんなこと」なんて言ったことがない。ルカスのレモンを思わせる黄色い瞳が、私を真っ直ぐと見据えていた。
「主様の感情は、特段珍しいものではないのですよ」ルカスが穏やかに話を続けた。「人を助けたあとにストレスを抱える……そのような人とも、出会ったことがあるしね」
「それって……」
私は自分の悩みを話し、ルカスの返答を聞いてようやく気がついた。そうだ、人を助けたことで悩むのは私だけではない。むしろ後悔し、助けられなかった分だけ蔑みを受けてきたのは悪魔執事の方なのだ、と。
私は自分がこんなことで悩んでいたことを酷く恥ずかしいと思った。私は謝ろうとした。だけど真っ先に、ルカスの言葉が遮るように発せられた。
「謝る必要はないのですよ、主様」ルカスがじっと、私を見つめた。「先程も言ったじゃないですか。助けたことでストレスを感じる人がいるのは、主様だけではない……そう、私たち執事以外にも、当然いるのです。なので、あまり気負い過ぎないで下さい」
「だけど……」
悪魔と契約し、執事となって天使と戦い続けている彼らは、人類のために誰かを助けても、助けられなかった数ばかりを責め立てられていた。私の悩みより、彼らの悩みの方がもっとも重く苦しいもののはずだ。
「私の悩みなんて、みんなと比べたら大したことないよね。このことは聞かなかったことにして……」
「そんなことは出来ませんよ、主様」ルカスは私と向かい合わせになった。「いつも私たちを助けてくれている主様だからこそ、困っている時の主様を助けたいと、私たちは思っているのです。だからどうか、私たちに主様を助けさせて下さい。ここにいる執事たちは、皆主様に嫌なことを言ったりしませんよ?」
「ルカス……」
私はルカスの瞳を見つめる。ルカスの瞳は、雲の隙間から差し込む光みたいに柔らかい。この表現は大袈裟なんかじゃない。
「といっても、助けたあとに感じるストレスを、私が取り除ける訳ではありませんけどね。医者の誰でも難しいです」とルカスは客観的に物を語った。「変わるのは主様だと思いますが、そう簡単に自分の考えを変えるのも難しいですよね?」
「うん……」
私はこくんと頷く。
「だから、こう考えては如何でしょう?」ルカスが人差し指を突き出した。「助けた人がどんな顔をしていたかちゃんと覚えて置くんです。そして、あとで思い返してみて下さい。助けた人は、主様に感謝を述べてくれましたか? それとも、嫌な顔をしましたか?」
「顔を……」
私は、今までのことを色々と思い出してみた。まずはここの執事たちのこと、それから保育園で預かる子どもたちのこと、そして、公園や屋根の下で見掛けた名前の知らない子どもたちのこと……。
(そっか、私……)
「ちゃんと、助けてたんだね……」
ただ、それだけだった。それだけで良かったのだ。余計なアレコレを考える必要なんてなかったのだ。誰かを少しでも助けたことは、本当に素晴らしいことだったんだ。
「主様、これを」
眉が吊り下がったルカスが、唐突にハンカチを差し出してくれた。何かと俯くと、両目が涙が零れてきて驚いた。それはまるで、私の中に溜まっていた何かがようやく吐き出されたかのようだった。
「ありがとう……」
私はルカスからハンカチを受け取って涙を拭った。あとから涙が溢れてきてすぐに泣き止むことは出来なかった。ルカスは何も言わずに背中をさすってくれた。
「ありがとう、もう大丈夫」
しばらくして落ち着いた私は、濡れたままのハンカチをそのまま返せないとこっそりポケットに仕舞った。
「お力になれたのなら幸いです」
ルカスはウインクしながらクスリと笑った。冷静沈着そうで、ちょっとイタズラっぽい笑みがどこか可愛らしく見えたりして。
「ルカスは本当に、明るい夜みたいな人だね」
「おやおや? それはどういう意味ですか?」
「優しい光みたいで好きってことだよ」
「それは……」
「ルカス?」
ルカスが割とガチで照れてるのも、この日初めて見た気がした。
ー数日後ー
「こんにちはー、ルカスいるかな……?」
私はルカスから借りたハンカチを自分の家で洗濯し、返却しようと治療室にやって来ていた。
「こんにちは、主様。怪我でもしたのかい?」
ルカスは薬のチェックをしていたのか、棚の前に立ってこちらを振り向いた。
「ううん、これを返したくて……」
「おや……どうしてハンカチを返さなかったのか不思議に思っていたけど、わざわざ洗濯をしてくれていたのですね」
「そうなの……ごめんね、返すの遅くなって」
「いやいや、むしろ嬉しいよ♪」
「え?」
「私のハンカチが、しばらく主様と同じ香りになったのですから。フフッ」
と嬉しそうに言うルカスを見て、私は急に恥ずかしくなった。
「や、やっぱり返して! フルーレに洗い直して貰うから!」
「おやおや? せっかく主様の香りがついたハンカチを、私が簡単に返すと思うかい?」
そうして、しばらくルカスに振り回される私であった。
おしまい