「次の方〜」
その日。私は、自作小説のサイン会で、ファン限定イベントを開いていた。
スタッフさんたちの協力の元、私は伊達メガネにマスクを身につけ、ファンが持ってきてくれた私の本や色紙に直々に名前を書く(といっても「ハルト」というペンネームなのだが)というイベントをしていた。私の出版した本もそこそこ売れて、これで何回目かのサイン会。まぁ趣味の一環みたいなものなんだけどね。
「……」
その時、サイン会場に一人のファンが入ってきた。黒いパーカーにフードを被っていて顔はよく見えない。こういう場だから顔を隠すファンもいるのかなぁと私が思っていると、それは起きた。
「お前のせいで俺のファンが減ったんだよぉおおお!!」
「えっ」
その黒いパーカーの男は、いわゆる私のアンチであった。目にも止まらないスピードでポケットから取り出したのは折り畳みナイフ。それは私に素早く向けられた。
「や、やめて……!」
私は立ち上がって逃げようとした。がこの部屋は扉は一つしかなく、外に出るにはアンチの男がいる方へ行くしかなかった。
「誰か! 誰か助けて下さい!」
確か部屋の外にはスタッフさんがいるはず……。私はそう思い、男から逃げながら声を張り上げたが誰も助けが来ず。それどころかなぜか周りの景色が奇妙に崩れ、私はいつの間にか真っ黒な空間で走っていた。これはおかしい、と冷静になれば分かるものの、私のすぐ後ろを追いかけてくるナイフの男が恐ろしく、そんな思考回路の余裕がなかった。私は走った。息を切らして。助けを求めて。
「誰か……! 誰か助けて……っ!」
その時だった。
「主様」
「へ……」
どこかで聞いたような声。と同時に、誰かが飛び出してきた。
私は足を止め、どこからともなく現れた謎の人物を不思議とゆっくり観察していた。大きな剣を持った男性が、ナイフの男に斬りかかる。ナイフの男は呆気なく倒れ、その男性が私に目を向けた。赤紫色をした瞳に私は視線が外せなくなる。とても美しい瞳をしていた。
「う〜ん……」
「主様、主様」
「……うん?」
目を開ける。するとそこに、優しく微笑む宝石のような瞳をした男性がこちらを覗き込んでいた。
「おはようございます、主様」
「ん……」
寝ぼけてマトモな挨拶も出来ないまま私は体を起こす。そうだ、ここはデビルズパレス。昨日自作小説のサイン会のために休みを取っていて、今日も疲れているだろうと余分に取った休みついでにこの屋敷で就寝したんだった、と私は思い出す。
(ということは……)
私はベットの横にいる男性を見やった。この宝石の瞳をした男性は、私が初めてこのデビルズパレスにやって来た時に出会った執事だ。えーっと、名前は……。
「紅茶の執事さん……」
と私が口にすれば、彼はニコリと笑った。
「はい、紅茶の執事のベリアンです」
彼は嫌な顔一つせずそう名乗った。
「ごめん、名前を覚えられなくて……」
と私は謝りながらも、今さっきまで見ていた悪夢が脳裏に焼きついていて身震いをした。確かに昨日はサイン会イベントを開いたけど、あんな恐ろしい人なんていなかった。なんて夢を見たんだ。私、疲れているのかな……。
「大丈夫ですよ、主様。主様はここに来たばかりですから」
ベリアンはそうは言ってくれたものの、実は私はこの屋敷に来てからもう一ヶ月は経っていた。お世話になっているというのに、まだ名前を覚えてもらえていないのだから、怒ってもいいはずだ。
「あの、主様。起きてすぐに申し訳ないのですが……」とベリアンが話し始める。「今日の担当執事をお決めになられていないですよね? 主様の担当執事は如何なさいましょう」
「担当執事……」
どうやらこの世界にやって来る時、あらかじめ決めて置いた担当執事のそばに飛ばされるという規則的なことが起こる仕組みらしかった。なので今日はたまたま昨日からデビルズパレスにいたからいいのだが、もし担当執事を決めずにこっちの世界に来ると、あらぬところに飛ばされてしまうのだ。
「主様?」
心配そうな顔でこちらの様子を伺う執事。きっと私は、悪夢から目覚めたばかりで変な顔をしているのだと思う。
「あの、デカイ剣を持ってる執事ってここにいたっけ?」
私は悪夢のことを思い出しながら彼に訊ねた。彼は小首を傾げた。
「デカイ剣……?」
「うん……赤紫色の目をした……」
「もしかして、バスティンくんでしょうか?」
そんな名前の執事がいたのか……。
「多分、その子だ……」
「今日の担当執事はバスティンくんにお願いしましょうか?」
「ん、お願い……」
なぜ、悪夢の中でよく知らない人が救世主となったのか。私は確かめたかったのである。
「おはようございます、主様。俺はバスティン・ケリー」
「おはよう……」
バスティンと名乗った彼は、深緑色をした髪を少し伸ばした執事であった。赤紫色の瞳をしていて、無表情な顔をこちらに向けている。
(やっぱり、夢の中で出てきた人だ……)
忘れっぽい私が、よく知りもしない人が夢の中に出てきたのはなぜだろう。私はとても気になっていた。
(にしてもキレイな顔をしているな)
ここの執事はみんな美男子だが、バスティンは特に、女性にモテそうな顔をしていた。
「俺をなぜ担当執事にしたかは分からないが……ベリアンさんに言われたから、出来る限りのことはする。よろしく頼む」
「うん、こちらこそ……」
まだ私に慣れていないというのもあるのだろうが、彼はやや目が泳いでいた。私も、初対面の人には緊張することもあるけれど、職業上、緊張をすると子どもも緊張するというのは知っていたので、出来るだけ自然体でいようと思った。
「あ、あのね、ついさっき怖い夢を見てさ……」
私は思い切って、夢の話をしようと思った。こういう時、相手に質問攻めをするのではなく、自分の話を少しだけして心を開くと信頼関係が築ける気がしていたのだ。
「怖い夢? それは辛かったな……」
私が唐突に夢の話をしたというのに、彼は真っ向から否定せずに寄り添うような言葉を返してくれた。彼氏だったら百点満点の回答だ。それもこれも、彼が執事だからだろうか?
「そう……本当、ビックリしちゃって」私は悪夢のことを思い出すと俯きがちになりながらなんとか言葉を続けた。「その時にね、あなたが助けてくれたの。大きな剣を持って、悪い人をやっつけてくれて……それが印象的で、あなたを担当執事にしようと思ったんだよね」
「そうだったのか」
急にこんな話をされてどんな顔をしているんだろう、と私は気になって彼の様子を伺う。しかし彼は……そういえば最初の担当執事を決める時に私が珍発言をした時と同じく……無表情のまま、ここの執事がやる仕草のように、胸に手を当ててこう言った。
「夢の中でも、主様をお守り出来たのなら光栄なことだ」
そんなイケメンな返しをするものだから私は慌てて目を逸らす。ここの執事はちゃんと優しいことしか言わない。執事同士はあんなに仲が悪かったりするのに、私に対して嫌なことなんて言わないのではないか、と主特権に優越感に浸りそうになる。
「だからその、夢の中なんだけど、あなたにお礼を言いたかったの」私は繕うように言葉を続けた。「ありがとう、ジャスミン……」
と私は彼の赤紫色をした瞳を見て、あれ、彼の名前はジャスミンではないはず、と言ってしまってから気づいた。だってジャスミンは私の小説に登場するキャラクター名である。
「ジャスミン……」
これは彼も不意打ちだったようで、ぱちくりと瞬きをした。私は両手を前に振った。
「ご、ごめんね?! 私、あまり名前を覚えるのは得意じゃなくて……えっと、あなたの名前はなんだっけ……?」
私が改めて聞くと、彼はそれでも怒るどころか無表情でもう一度名乗ってくれた。
「バスティンだ。よろしく頼む、主様」
「バスティン……」
執事あるあるのセバスチャンみたいな名前だ、と思ったのは私の心の中で留めることにしよう。
その後日、私がまたデビルズパレスに来て一人で屋敷探索をしている時に、執事たちの会話をこっそりと聞いてしまった。
「あ、バスティン。しばらく主様の担当執事だったよね?」
それは書庫での会話で、私は扉の隙間からこっそり盗み聞きしている状況である。
「フェネスさん。……ああ、そうだな」
これはどうやらバスティンのようだ。
「主様の担当執事になってみてどうだったかな? 何か困ったこととかなかった?」
「いや、主様に困ったことは何もない。ただ……」
とバスティンが一旦言葉を切るものだから、私は続きの話が気になってつい立ち聞きをしてしまう。
「時々、俺のことをジャスミンと呼ぶんだ。ジャスミンって、花の名前だったろうか……?」
「ああ、ジャスミン! それはね……」フェネスが話し続ける。「主様が書いている小説に、ジャスミンっていう無口な登場人物がいるんだよ。最初は敵だったんだけど、途中から主人公たちと仲間になって、それはもう、バスティンみたいに強いんだよ」
その通りである。
「そうだったのか……俺もジャスミンと名前を変えた方がいいのかと思っていたのだが」
「それはそれで、主様が混乱しちゃうと思うよ?」
「それもそうか」
名前を間違えてしまうのは本当にごめん……と思いながらも、彼らの中でずっと私の小説が話題にあがるのは、ちょっと嬉しくもあった。
タッタッタッ……。
その内に誰かの足音が聞こえ、私は急いで廊下の角へと逃げた。だが、会話が廊下に響いて私のところにも聞こえてきた。
「バスティン、明日の仕込みのためにちょっと手伝ってくれないか?」
確かこの声は、よく厨房にいる調理係の執事さんだ。
「食べ物のことなら……分かった」
ガチャリ、と扉から出てくる音が聞こえる。
「あ、フェネスさんもいたんですね。……二人で何話していたんだよ?」
「ふっ、お前は夢の中で主様のことを守っていないからな」
「はぁ?」
バスティン、何言ってるんだ……と思ったが、会って早々バスティンに夢の話をした私も私か、と思いながらそろそろここから離れようとする。
「まぁまぁ二人とも、ケンカしないでよ?」
二人の間にフェネスが割り込んだような声を最後に、私はその場から立ち去った。少しずつだけど、執事たちのことも慣れてきたような気がする。私も早く、彼らの名前をちゃんと覚えようと思ったのだった。
おしまい