遥か古代、神々が地上に降り立つよりも前。まだ道化が踊り、勇者が駆ける英雄神話よりもさらに前。大地に空いた大穴より溢れ出た、幾千万もの魔物が地上を跋扈し、人類も辛うじて命脈を繋いでいた時代。
黒き影は大地を覆い、天を染め、山を砕き、海を濁し、世界全土が滅びの淵に追い詰められた。
逃げ惑うヒューマン。
立ち尽くすエルフ。
抗えぬドワーフ。
誰もが絶望したその時──轟く咆哮が、大地と空を震わせた。
「魔物よ、貴様らの好きにはさせん。
金色の髪を鬣のように風になびかせ、全身から覇気を立ち昇らせる一人の
その名は──ゼオン。
──「金獅子」と呼ばれ称えられた、獣人たちの王である。
──『迷宮神聖譚・偉大なる獅子王ゼオン』より
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俺は今、一万人の
──まさか、こんなところにいるなんてな。
ふと、そんな思いが胸をよぎる。
俺は何の前触れもなく、この世界に生まれ変わった。トラックが突っ込んできたわけでも神様にあったわけでもない。ある日目を閉じ、次に目を開けたら獅子の獣人の子供になっていた。
大地に空いた大穴から湧いた大量の怪物たち。世界を覆い尽くす魔物の「大侵食」は人々を絶望させ、国々を滅ぼした。戦士たちは討ち死にし、王たちは沈黙し、滅びを待つだけのこの世界で俺たちは「生き延びる者」であり「抗う者」であり「未来を掴む者」だった。
あの日、初めて拳を振るった時の恐怖。
あの日、仲間を失った時の悔恨。
あの日、魔物に抗うために編み出した技が完成した時の歓喜。
全てが、この瞬間のためにある。
いま、地平線の果てまで魔物の影が広がる。
逃げ道はない。
退路もない。
だが、俺たちには「共に戦う仲間」がいる。
この世界で初めて手に入れた、たった一つの宝。
ならば、恐れるな。
血潮が尽きようとも、命果てようとも、俺たちは「ここで立つ者」だ。
▲▲▲
──咆哮が、天地に響く。
──風が止まり、空が震える。
──その声に、すべての獣人が耳を傾けた。
ゼオンは、振り返らない。
ただ、群れの先頭に立ち、金色の鬣を風に揺らす。
そして──吠えた。
「──聞け、我が群れよ!!」
「この牙は、飢えを満たすためのものではない!
この爪は、己を守るためだけにあるのではない!!」
「我ら獣人、血に刻まれし掟がある!!
群れを守り、仲間を繋ぎ、
荒野に咲き、戦場に咆え、
己が獣であることを証明するため──戦う!!」
「今、あの地より現れるは、
ただの獲物でも、ただの敵でもない!
我らが誇りを踏みにじる、世界そのものの災厄だ!!」
「貴様らはそれでも、
牙を抜かれた家畜として震えるか!?
爪を折った死肉として転がるか!?」
ゼオンは拳を握り、大地を鳴らす。
「違うだろう!!」
「俺たちは、牙を剥いて吠える者だ!!
爪を振り、血を浴びる者だ!!」
「この戦いで、死ぬ者もいるだろう。
だが──死んでもなお、俺たちの咆哮は、
この大地に刻まれる!!
この空に、残る!!
未来の子らが聞くだろう! 我らが名を!!」
ゼオンは振り返り、仲間たちにその鋭い瞳を向けた。
その瞳は、燃えるような金色の闘志を帯び、
すべての獣人たちの胸を震わせる。
「着いて来い!!」
「この背を見ろ!!」
「牙を磨け、爪を研げ!!」
「我が背を目指し──走り抜けろ!!」
ゼオンが咆哮する。
天地が震え、獣たちが吠え返す。
一万の獣人、天地を揺るがす咆哮で呼応した。
その瞬間、大地に最強の群れが生まれた。
──金獅子ゼオン、その背に。
──獣人一万、その心に。
走るゼオンと獣人軍の目に映るのは100倍では収まらない数の魔物と十体の漆黒の体色をした魔物の王。しかし、それを見る誰の目も絶望に曇ってはいなかった。
先頭を行くゼオンが叫ぶ。それは彼らの誇り、獣人たちの王たる証明。
【──聴け、群れよ! 血潮の鼓動を!】
【──吠えろ、群れよ! 魂の咆哮を!】
【我らは牙、我らは爪、我らは荒野を駆ける誇り高き者!!】
【血と泥に塗れようと、
死に果てようと、
我らの魂は、決して屈せぬ!!】
【神々よ、刮目せよ!】
【天上から眺めるだけのお前たちに、
この地を守る者の、真なる【
【群れを束ねるはこの身、
戦場を統べるはこの背、
吠えるは、荒野の王!!】
【──我ら、ここに在り!!】
「【プライド・キングダム】!!」
ゼオンの体から広がった黄金の
「決して立ち止まるな!!突き進めええええええええええええええ!!」
▲▲▲
「──こうして、金獅子ゼオンは、大穴からあふれる魔物の群れと十体の王を、たった一万人の仲間と共に迎え撃ち、撃破したことで世界を守ったんじゃ」
本のページを閉じる音が、ぽそりと静寂に溶けた。
「わあ……!」
──古びた木造の家の、火の灯る暖炉の前。祖父の膝の上で、まだ幼いベル・クラネルは目を輝かしていた。彼はただ純粋に、祖父が語った英雄譚に心を震わせていた。祖父の手の中にあるのは、何度も読まれボロボロになった一冊の厚い英雄譚集。
「おじいちゃん、ゼオンって……すごいんだね……! 仲間と一緒にみんなを、世界を守ったんだ……!」
その無邪気な声に、祖父はふっと笑った。それは優しく、どこか切ない微笑みだった。
「そうじゃのう。すごい男だったよ。……とても、な」
そう言って、祖父はそっと目を細めた。
──だが、その胸の奥。彼の正体──遥か高天より地上を見守る「神」としての視座──は、ただ静かに、かつての光景を思い出していた。
(……ゼオン、か)
(ただの英雄じゃない。人類史がどうこう言うレベルじゃない。あれは……本当に、世界を一度、救った男だ)
(ただ戦っただけではない。命を燃やして時間を稼ぎ、絶望を希望に変え、さらには獣霊術という“種族の叡智”そのものを作り上げた。碌な魔法も、神の恩恵も無かったあの時代に、たった一人で「生命力と魔力の融合」なんて概念を確立して……)
(極めつけには、自分の肉体を捨て、精霊――それも、ただの下位精霊じゃない。【完全精霊化】という、神ですら手出しできない領域に辿り着いた……)
(普通は無理だ。死ぬ。焼き尽きる。精霊になる前に、魂そのものが崩壊する)
(それを、やってのけたんだ。……ただ一人な)
祖父は小さく、苦笑する。
(……マジで、ヤバい奴だったよ。ゼオンは)
ほんの少しだけ、口の端で、
「やれやれ」とでも言いたげに呟いた。
――だが、その目は、どこか誇らしげで、
かつての英雄を懐かしむように優しかった。
「……さて、ベル。
そろそろ寝る時間だな」
「うん……! 明日も英雄のお話、してね!」
「ああ、もちろんだ」
そして祖父は、静かに立ち上がった。
彼の胸の奥には、ただ一人の英雄――
金獅子ゼオンの咆哮が、今もなお響いていた。
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