エカテリンブルグ近郊──ロシア連邦──
オジョルスクより北数十キロ、エカテリンブルグ近郊にあるロシア軍武器試験場。将来ロシア軍に採用・納入される予定の最新技術を用いた兵器群がテストされるこの施設は、周辺施設合わせて一つの街となるほどの大規模な施設であり、旧ソ連時代同様、この街は閉鎖都市として外界と隔絶されていた。
それゆえにこの街へ入るためには厳重な身体調査を行われ、それはこの施設の責任者や、国家首班であろうとも例外は存在しない。
「身分証明書を」
街より幾分か離れた地点でグリゴーリイの公用車は検問に止められ、身分を改めようと公用車の窓を警備兵が叩く。検問所の脇では完全装備の警備兵が目を光らせ、K-17ブーメランク装甲車の30ミリ機関砲が睨みを利かせている。平時の施設警備としては些か物々しい雰囲気を醸し出し、ここが普通の施設ではないと物語っている。
検問で停車している車両は、警護車両含め全ての乗員の身分が改められ、人員のデータ照会が政府中枢のデータベースを通して行われる。グレゴーリイとその秘書官の身分を改める警備兵の顔には、若干の緊張と不安の色が見えた。この様な確実だが面倒かつ時間の掛かるプロセスを踏むことで多忙なグレゴーリイの不興を買い、後で根回しをされて左遷などされはしまいかという不安であった。
しかし、当のグレゴーリイはこの警備体制に大いに満足しており、警備プロトコルに則った警備兵の行動に表情には表さぬが終始気分を良くしていた。それもそのはずで、この警備体制を発案し構築したのはグレゴーリイ自身と、その実弟で国防相を務めるドミトリー・ザバリン(Dmitriy Zabalin)上級大将であったからだ。
「お返しいたします。ご協力感謝いたします」
「ご苦労」
警備兵の不安を置き去りに、グレゴーリイを乗せた公用車は検問を後に走り出す。検問から街の内部へは約1.5㎞、街の周囲は高さ5mの外壁と高圧電流の流れる有刺鉄線で囲われ、周囲一帯は地雷が埋設され侵入はおろか脱走することもかなわない。街へ至るには検問から続く唯一の道路を通るより他は無いのであった。
核施設や生物化学兵器の研究施設などを有する他の閉鎖都市であっても、これ程までの厳戒態勢の敷かれた閉鎖都市はここ以外に存在しない。つまりこの都市で行われている研究・開発が現在のロシアにとって最も重要かつ外部への露見を防ぎたい物である証であった。
地雷原を抜ける道を通り抜け、グレゴーリイの車列は都市の門で再び検査を受ける。車列はこの後、都市の内部でも数度の検査を受け、完璧にクリーンな状態で目的の施設へと向かった。
「あれか」
やがて車列はスペースシャトル「ブラン」を搭載したままのムリーヤ輸送機を複数格納して置けるほどの巨大な実験施設にたどり着く。しかしグレゴーリイの視線は、その脇にあるこじんまりとした事務所棟に向いていた。
車を降りて事務所棟に入った一行はまたも身体検査を受ける。過剰なまでの警戒ぶりは業務の効率を著しく損なうが、そうまでしても外部に漏出させたくない物が此処にはあった。
事務所棟の内部は一般的なオフィスと警備兵の詰め所といった雰囲気であったが、一行が案内されたのは物々しいゲートとその奥にあるエレベーターであった。軽貨物搬出入と人員の兼用エレベーターは広く、グレゴーリイ含め全員が一度に乗る事が出来、加えて完全武装の警備兵が数名乗り込んでもブザーが鳴る気配は一切ない。
警備兵は屋内突入用の防弾装備を身に纏い、防弾バイザー付きヘルメットを被り、衣服もケブラー素材を使用した防刃戦闘服であった。銃器は接近戦を考慮して全長が短いSR-2M短機関銃を持ち、極めつけは防弾ベスト正面と背面に2kgずつ爆薬を括り付け、最悪の場合自爆してでも機密漏洩、または施設侵入を防ぐつもりであった。
この警備兵が血迷う、または敵対勢力のスパイであったなら、グレゴーリイを暗殺するにはこの上ない好機であるのだが、国家親衛隊の中から特別に選抜されたこの兵士は、グレゴーリイに直接忠誠を誓っており、暗殺を試みようなどとは頭の片隅に沸いた事すらないのである。しかしこの閉鎖空間内にロシアの極秘機密を持ち出そうとする輩が居たとして、グレゴーリイが命じたならば彼を巻き添えに自爆ですらやってのける、ある意味狂信的な忠誠心を持っていた。
エレベーターは地下深くへと降下し、やがてその重量級のゴンドラの腰を地の底へと据える。重々しい扉が金属の擦れる音とともに解放されれば、眼前に広がっているのは地下とは思えぬ広大な空間であった。
ジオフロント──ロシアではそう呼ばれたことは無いが、一般的にはそう呼ばれる巨大な地下空間。過去にロシアの大地に落着した隕石によってできた巨大クレーターを利用し、スターリン時代に建造された巨大な地下実験施設である。
元々はスターリンとその側近たちが第二次世界大戦当時、近い未来に来るアメリカやイギリスとの戦争を見越した政府存続計画の一環として建設を命じた物であったが、天蓋部分を完成させた時点でスターリンは死去、スターリンの側近たちも失脚し、フルシチョフの命によって政府のシェルターから最新兵器の開発・実験施設に作り替えるよう指示がなされたのであった。
かつてソ連は高度な防空網を敷いていたが、アメリカの配備していた高高度偵察機U-2や超音速偵察機SR-71を迎撃する手段は限られており、SR-71に至っては一度たりとも撃墜する事が出来ずにソ連国内各地の実験施設など重要施設の航空偵察を許していた。それに対抗し、最も重要かつ機密を保ちたい各種実験開発を行う拠点として、このジオフロントが利用されるに至ったのである。地中深くであればたとえ衛星であろうと高高度偵察機であろうと、それこそ地面に立って写真撮影したとしてもその下に有る物をフィルムに収めるのは不可能であるからだ。
1960年代後半から稼働したこの施設は度々近代化されながら、時には拡張工事を行いながら今日まで運用され、ソ連、そしてロシアの兵器・宇宙開発に多大な貢献をしてきたのだ。そして今、ロシアと世界の歴史に新たなる一歩を踏み出す存在が、この施設で開発されていた。
地を揺らす振動と共に、巨大な人型が一歩、また一歩とジオフロントの大地を踏みしめ歩みを進める。黄色い下地そのままの頭頂高17メートルに及ぶ鋼鉄の巨人が、何本ものケーブルを背中から引きずって実験施設内を闊歩する様は往年のロボットアニメを彷彿とさせる。
「来たか兄貴!」
大声で呼ぶ声にグレゴーリイは視線をそちらへ向ける。もう一機の人型兵器と見まごう程、とは言い過ぎだが2メートルを超す巨漢がのしのしと歩いてくる姿は中々の迫力があった。
男の名前はドミトリー・ザバリン。グレゴーリイの実弟であり、新設された即応攻撃軍の司令官であり、この施設で開発されている新兵器の開発責任者でもあった。
ドミトリーの指揮する即応攻撃軍とは、過去の戦争初期に遅々として進まぬ進軍車列や部隊行動の杜撰さによって壊滅した空挺部隊などの醜態を教訓に、陸海空を統合し、有事の初期に敵に対して打撃を咥える任務部隊であった。
この施設で開発される新兵器は開発完了後、この即応攻撃軍に配備され試験を行い、ゆくゆくは全軍に配備される予定であった。もちろん、新兵器として配備する価値のある性能であればの話であるが、その点についてグレゴーリイは一抹の不安も抱いてはおらず、間違いなくこの計画は成功すると確信があった。
「ドミトリー上級大将、こういった場では『兄貴』はよして貰いたいものだ」
「う! すまん、つい。しかし、形にはなっているがこんなものが戦場を変えるのか? ケーブルを引きずって歩くこんな物が。ミサイルとドローンの良い的ではないか」
「その点を心配する必要は無い。動力源の問題は解決の目途が立っている。新型の小型反応炉が完成すればこの機体はほぼ無補給で活動ができる兵器となるからな。ミサイルもドローンも、やがて過去の物となる」
「ほぼ、とはどういう」
「推進剤と弾薬には限りがある。それに私だって兵士に不眠不休で戦えなどとは言わんよ」
自信に満ちた表情で歩く巨体を眺めるグレゴーリイをよそに、開発責任者であるはずのドミトリーはこの計画に懐疑的であった。ザバリン家の次男にして国内随一の武闘派、そしてたたき上げの戦車指揮官だったドミトリーは見るからに木偶の坊といった具合のこの巨人が、自分が信じる陸戦の様相を一変させるとは信じがたかった。全高17メートルもあるこの巨人など、5キロ先からでも戦車砲で命中させられる。ドミトリーはその自信があった。
そんな軍高官や現場の声を自らの権限で押し切って開発計画を進めたのがグレゴーリイであり、兄に対してはうだつが上がらぬが、それより下の者に対しては圧倒的な威力を誇るドミトリーを責任者に据えられては誰も口出しをする事など出来ようも無かったのだ。
巨人はグレゴーリイたちの前で足を止め、桃色の輝きを放つ一つ目で彼らを睨め付けると一際強い光を放ち一行を照らした。
「ドミトリー、今の音はなんだ」
「技術者の説明するところでは、あの単眼センサーの作動音らしい。どうにも間の抜けた音だが、今ので複合センサーが作動して色々スキャンできるという話だ」
「色々とは。それにあんな音が出ては戦場での静粛性に欠けるのではないか」
「詳しい話は技術屋に聞いてくれ。この後で説明があるだろう。それに、この音が聞こえる場所に居ればこんなデカブツに気づいていない筈もないだろうよ」
それもそうか、とグレゴーリイは音についての疑問は頭の中から追い出した。この兵器の計画名称は「
グレゴーリイはその姿を夢想しながらドミトリーの案内に従い、技術者達の待つ研究棟へと向かうのであった。