――思いを陰(欠け)らせて、面影を追う。
――A子にB美が生きてるわけないって伝えたんだけど、彼女はどうしても信じようとしないの。
しょうがないから、その子はA子の家に行くことにしたんだって。
そこで彼女も見てしまったの、B美とそっくりな”それ”を。
姿かたちはそっくりなのに、その顔は真っ黒で、まるで黒いのっぺらぼうみたいだったんだって。
「おかしいよ。あんなのB美じゃない」
必死に伝えたんだけど、不思議なことにA子にはB美の顔がちゃんと見えているみたいで、
「気持ち悪いこと言わないで。ちゃんとB美はここにいるじゃない」
逆に怒られちゃったんだ。
それでA子の家を追い出されたんだって。
翌朝、学校にA子が死体で見つかったって連絡があったそうなの。
B美の溺れた川で、同じように水死体で見つかったんだって。
それでね、同級生がB美に引きずられて川に入っていくA子を見ていたみたいなの。
真っ黒なのっぺらぼう。
A子の見ていたのは、おもかげ様って言ってね。
亡くなった人の姿をして出てくる真っ黒な顔をした妖怪なんだって。
「翔太、いつまで寝てるの。ごはん冷めちゃうわよ」
怒気を含んだ母の声で目を覚ます。
しぶしぶ布団を脇へ押しやり、上体を起こす。
大きなあくびと一緒に伸びをしていると、再び階下から声が飛んでくる。
「はーい、今行くー」
こちらも叫び返して、寝巻のまま階下へと降りていく。
「あれ、父さんは?」
「暗いうちから出ていったわよ」
そういえば今日はゴルフだと言っていたような気がする。
息子が久しぶりの帰省しているというのに、情緒もなにもない。
まぁ昔からマイペースな人だったから、今更感はあるけど。
「ほら、あんたもはやく食べちゃいなさい」
早く食器を洗ってしまいたいのか、やたら急かしてくる。
連休をのんびりするために帰ってきたのに、これじゃ全然休まらない。
四人掛けのテーブルに座り、朝ご飯を食べる。
どうにも手持ち無沙汰なので、テレビを付けて情報番組を見る。
テーマパークの話題やらアイドルの話題やら、どこか別の世界の事柄のように感じてしまう。
「それで、今日はどうするの?」
食後のコーヒーを持ってきてくれた母が、向かいの席に座る。
「どうするもなにも、のんびりするよ。そのために帰ってきたんだから」
このまま二度寝を決め込もうとする意志を読み取ったのか、母が大きくため息をついた。
「久しぶりの地元なんだから、やることぐらいないの?」
「いやー、特に。あ、そういえば今夜は陽子と飲みに行く約束はしてたな」
「あら、青春かしら」
「そんなんじゃないよ」
「陽子ちゃん可愛いからね。急がないと他の男のものになっちゃうわよ」
「男ぐらいいるだろ」
「いないわよ」
「なんで知ってんだよ」
得意げな母の顔に、親同士仲がいいことを思い出す。
陽子はすぐ近くに住む幼馴染だった。
お互い一人っ子だったけど、まるで兄弟のように育てられたので、ガキの頃はよくお互いの家で夕飯を食べたものだ。
降参、といった仕草でため息をつくと、母が素早く食器を重ねて台所へと戻っていった。
テレビを見ていてもつまらないので、俺も自室へと戻って、宣言通り二度寝をむさぼった。
「あら、翔太君」
陽子の家のインターホンを鳴らすと、おばさんが出迎えてくれる。
「ご無沙汰してます」
「陽子ー、翔太君が来たわよー」
家の中に向かって大きな声で呼びかけるおばさんを見て思わず笑ってしまう。
うちの母と気が合うわけだ。
「ひさしぶり」
「おう」
「じゃあ、行きましょうか」
駅までの道を並んで歩く。
彼女は地元で就職したようで、このあたりの居酒屋事情には詳しいらしいので、店は完全に任せてある。
先導する彼女に従いながら、妙なぎこちなさを感じる。
それはお互い同じようで、久しぶりだというのに特に話すことも見つからずにいた。
まぁ、それも酒を飲み始めるまでのことだったんだけど。
「かんぱーい!!」
陽子の陽気な声とともにジョッキをぶつけて、本日何度目かの乾杯をする。
彼女は酒は強いが、飲むとどうにもテンションが上がるタイプみたいだ。
仕事の愚痴や最近のちょっとしたこと、同級生の近況や思い出エピソードなどをお互い妙なテンションで語り合う。
陽子がおばさんの愚痴を言い始めたところで、俺も合の手を入れる。
「全然変わってなかったな。あの家の中に叫ぶ感じ」
「でしょー。もう恥ずかしいからやめてって言ってるのに」
「うちの母親も一緒でさ。今朝も大声で叩き起こされたよ」
もうちょっと寝ていたかったのに。そう愚痴ろうとしたところで、陽子の表情がおかしいことに気が付いた。
「どうした、気持ち悪いのか?」
飲みすぎたんじゃないのか、と心配する俺を「ちょっと待って」と手を挙げて静止すると、まじめな顔で聞いてくる。
「今朝、なんだって?」
「だからうちの母親が――」
「翔太」
陽子が俺の手を握り締めて、言葉を遮る。
レモンサワーが入ったジョッキの結露水を受けて、少し湿った陽子の柔らかい手。
思わずドギマギしてしまい「なんだよ」とぶっきらぼうに返す。
「あんた……」何かを言おうとして、口をパクつかせる陽子。
「いや、いいわ。少し酔ったみたい」
そういうと陽子は店員を呼んで、会計を始めた。
帰り道。
話しかけても陽子は上の空で、来た時と同じように静かな帰路となった。
(飲みすぎて気持ち悪いのか……)
そう思い、水を買ってやる。
「ありがと」
ひとくちだけ水を飲むと、陽子はまた黙り込んでしまった。
もう数分で陽子の家に着くかという頃、
「ねえ」
陽子が歩みを止めて、こちらに向き直る。
それから右手を差し出して「握って」と言った。
「なんだよ」
そう口では言いつつも、俺は彼女に従ってその手を握る。
それから、再び並んで歩きだす。
「なんだか昔に帰ったみたいね」
「あの頃は毎日こうやって夕暮れ道を歩いたっけ」
「懐かしいなー。ねえ、今日は私もあんたの家に帰っていい?」
「なんだよ、急に」
「おばさんに会いたくなっちゃった」
少し低いトーンで、陽子が言った。
「ただいま」
「お邪魔します」
翔太に続いて玄関に入る。
パチッと音を立てて翔太が廊下の電気を付けると、「あら、陽子ちゃん。いらっしゃい」と奥からおばさんが出てきて迎えてくれた。
「陽子が母さんに会いたいっていうから、連れてきたよ」
翔太がおばさんにそう言って、リビングへと入っていく。
「あら嬉しい。お茶でも出すわ。それともお酒がいいかしら」
翔太を追うように、おばさんもリビングへと戻っていく。
私は状況が理解できずに玄関で立ちすくむ。
あれは……誰?
立ち姿はおばさんそのものなのに、その声はヘリウムを飲んだように甲高い声をしていた。
それに、その顔は真っ黒で、目も鼻も口もなかった。
……あれはおばさんなんかじゃない。
当たり前だ。おばさんもおじさんも数年前に亡くなっている。
あれは……なに?
どうなってるの?
翔太はどうしちゃったの?
疑問が矢継ぎ早に頭をよぎっていくけど、うまく思考がまとまってくれない。
「陽子ちゃん、どうしたの?」
気味の悪い声がリビングから聞こえてくる。
私は早足にリビングへと向かうと、台所でお茶を入れてくれてるらしい”あれ”を横目に、翔太の腕を引っ張る。
「なんだよ」
「いいから!!」突然のことに顔をしかめている翔太を無理やりに立たせて、二階の翔太の部屋へと向かう。
「あらあら。陽子ちゃん今日は泊っていくのー?」
リビングから聞こえてくる気味の悪いの声に「すぐに帰りますっ」と返して、翔太の部屋のドアを閉めた。
「なんか変だぞ、お前」
「おかしいのは翔太の方だよ」
恐怖で声が震えてしまう。
「なんでおばさんがいるのよ」
「そりゃいるだろ。夜だし」
「そうじゃない。おばさんは……おばさんもおじさんも、何年も前に……」
――死んだじゃない。
やっとのことでそう告げると、翔太の顔が表情を無くした。
「もう帰れ」
冷たい声でそう言う翔太に
「ねえ、こんなのおかしいよ。翔太だってわかってるんでしょ?」
必死に語り掛ける。
「いいから帰れ」
「じゃあ一緒に帰ろう? うちに泊まっていってよ」
縋るように翔太の手を捕まえたのに、
「ごめん」と一言だけ言って、手を解かれてしまった。
泣きじゃくる私を、翔太が優しく撫でて、それから玄関まで見送ってくれた。
リビングへと戻ると母がソファに座って庭を眺めていた。
「陽子ちゃんは?」
そう尋ねてくる母に「帰ったよ」と返して隣に座る。
「どうせ何も進展しなかったんでしょ。もったいないわねぇ」
「そうだね」
そう答えると、それきりお互い黙り込む。
母の趣味はガーデニングだったが、庭は荒れ果てていた。
まん丸のお月様が、塀の上に顔を出している。
「かあさん」と、真っ黒の顔をした母に語り掛ける。
「なぁに?」それでもまるで母のように優しい”それ”に、俺は思いを吐露する。
何も上手くいかなかった。
両親は事故で亡くしてからというものの、仕事も上手くできなくて、精神を壊して続けられなくなった。
生きる糧はとうに無くなってしまったし、もう死んでしまおうと思って帰ってきた。
「ごめん、母さん。俺もうムリなんだ。
生きていることが、つらいんだ」
とめどなく涙を流していると、母が頭を膝の上へと導いてくれた。
「綺麗な月ね……」
ポツンと、真っ黒な顔から確かに雫が落ちてきた。
「翔太……翔太の……こと、全部母さんが持っていってあげる」
母とは似ても似つかない声を聞きながら、それでも安堵からか眠気に襲われる。
頭を撫でてもらいながら、きっとこのまま終わるんだろう。そう思いながら眠りに落ちた。
朝、埃だらけのソファで目を覚ます。
”おもかげ様”はもうどこにもいない。
和室にある仏壇で手を合わせていると、インターホンの音が響いた。
玄関の扉を開けると、朝日を浴びて陽子が立っていた。
「よかった、無事だったのね」
「あれはおもかげ様だったのかな」
「そうなんだと思う」
「結局、死ぬことはできなかったけど、少し楽になった気がするよ」
「おばさんは、きっと翔太を助けるために来てくれたのね」
泣き疲れたはずなのに、また涙が溢れてきた。
慰めるように抱きしめてくれた幼馴染の顔に、影が差していた。
俤や姨ひとりなく月の友