どうか、読み切っていただけると幸いです。
あるとき、私はその男とバーで酒を飲んで、語り合ったことがある。その時の彼は、ひどく陽気な好青年に見えた。実際話してみればその通りだった。彼は酒こそあまり飲まなかったが、舌は非常に回る人間であった。さっきまで帰ろうとしていたのに、気付けば時計はぐるぐると、ぐるぐると回ることを辞めない。結局一、二刻ほど語り合ううちに、私は彼のことをある程度知ることができた。
曰く、大地主の末息子。それまた、地元では一番の絵描き。そしてその才を買われ、はるばるここ東京までやってくる。そして昨年、美術学校を卒業。これから筆で生きていく。それが彼という人物であるらしかった。
それを聞いた私は、心の中の数多の尊敬や祝福のうちに、僅かばかりの嫉妬が渦を巻いているのを感じ、どうもそんな自分に嫌気が差し、酒とともに飲み干した。
そうして語り合っていれば、彼が帰り支度を始め、私も帰ろうと思って用意している時に、文通をすることになって、その日は家に帰ってそのまま泥のように眠ってしまった。
そしてそれ以降、今の今まで彼と直接会っていない。しかし何通か、手紙は届いた。初めは最初に出会ってから1週間程度、後だった。
封筒はしわ一つなく、綺麗なものだった。封を開ければ、その手紙には少し丸っこい、しかしながら綺麗な文字がつらつらと、つらつらとひたすらに続いていた。その様子にどこか感心しながら読んでみれば、内容は次のようなものだった。
曰く、最初に絵を売り出してからすぐ、買い手が見つかり売れたこと。
それなりに名の売れた絵描きに褒められたこと。
これからうまく行きそうなこと。
そして何より、友人が数人できたこと。
それらが何処か嬉しそうな文調で、丁寧な言葉遣いで書かれていた。それを見た私は、羨む気持ちさえ沸いてこずただひたすらに感心していた。それからすぐに久しく書いていなかった手紙を書き、切手を貼って郵便局へと持っていった。結局、それが届いたかは定かではない。
それから暫く間が空いた。しかしながら生活は変わることはなかった。私には特別な才もないので、平凡なサラリイマンとして生きていた。しかしながら彼は違うらしく、また、あの小綺麗を数歩ほど超えた手紙が届いた。開けてみれば、またあの整った字が並んでいた。しかしながらよく見ると、それは前よりいくばくか、僅かながらも鋭角の気を帯びていた。内容はこうだった。
曰く、最近は少しだけ伸び悩んでいること。
最近はあまり売れていないこと。
しかしながら固定客、とやらがついたこと。
これからもっと良くなるであろうこと。
それらが書かれていた。
それを見た私は、前回のように感心の気持ちを持っていたが、それと同時に悔しくもあった。才さえあれば、そう思った後にどうにか忘れようとコップ1杯の水を一気に飲み干し、眠りだした。朝起きてみれば、昨日の邪は消えていた。
そうして結局、返事を書くまで数日ほどかかってしまった。
3通目は今までよりずっと長く、2年ほど間が空いた。
それほど間が空いたが、私の生活に変わりはなかった。変わったことと言えば、隣の家の長男が、手紙の届く数ヶ月前に独り立ちしたことくらいだった。
話を戻すが、封筒は今までと様子が違って、少しばかりだが皺がついていた。しかし、さりとて疑問も抱かずに封を開けてみれば、そこには随分と字が振れて、随分と角張り始めた彼の字があった。何事かと読んでみれば、こんな事が書かれていた。
曰く、売れた数が同期に抜かされて、差が離されつつあること。
それまた、後輩の方が絵の上手いこと。
どれだけ練習しても、うまくならないこと。
そして最後には、少しばかりの嘆きが書かれていた。
私はそれを見て、私は哀愁、そしてどこか他人事な心配を抱いた。その気持ちのままに、文を書いて、彼に送った。そこには私の励ましの言葉や、向かいに行く約束などを書いた。
今から考えればなのだが、どうも的外れであった気がする。それは今となっては、確かめるすべも無いのだが。そうしているうちに、蝉の声が泣き止んだ。
そしてそれから程なくして、4通目の手紙が届いた。おそらく、前回から2カ月も経たなかった。それは今までよりも、前回よりももっと皺が増えていた。私はやはりどこか中身のない心配をして、封を開けた。そこにはやはり彼の字が並んでいたが、最初と比べるまでもないほど角張って、震えていた。ところどころに、書き直しの跡さえあった。ただ、私は読んだ。内容はこうだった。
才が自分にはなかったこと。
もはや絵だけで生きていけず、親元からの仕送りで生活していること。
これ以上、上手くなれる気がしないこと。
そして何より多かったのは、自分の傲慢さへの怒りと、地元へ帰りたいとの泣き言だった。
それを見て私は、どうしてか今までにない焦燥感に駆られ、見舞いの手紙を書いてから彼と出会ったバーに足を運ばせた。私は彼と出会ってから行くことがあまりなかったが、店主が言うには何度か来ているらしかった。店の中の人間に話を聞いてみれば、彼はここ最近、2回ほど来たらしかった。私はそれを聞いて、複雑な気持ちを抱きながらその足で昔に聞いた、そして今まで4回目にしてきた彼の家を訪ねることにし、駆け足で歩いた。彼の家は、バーから暫く歩かないとつかなかった。
ついてみればそこは、質素でもないが豪華でもない、普通の一軒家であった。夕焼けになりつつある外には、窓から光が漏れていた。ふと気がついたが、ドアの前に女が立っていた。その女を見て、昔手紙に書かれていた友人について思いだした。そう言えば、言っていた特徴に合致しているような気がして、どうしてか私は隠れてしまった。その女は手紙を持っているらしく、ポストに入れていた。それを見て私は、どこか見舞いの情熱が一つ、吹き消えた気がした。
だが、その残った火種で足を動かし、彼の家の前に立った。その時に、私は彼の家の庭に、綺麗な花が植えられているのを見た。それを見た私はどうしてか馬鹿らしくなり、家へ帰ってしまった。見舞いの手紙は、直接破り捨てて燃やした。
そうしてから、彼からは手紙は届くことはなくなった。
今思えば、随分とおかしな行動をしたが、今もなお私は後悔していない。
どうやら私には、非才らしくいる才はあるらしい。
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