炭治郎たちが刀鍛冶の里へと赴いた頃、獪岳は宇髄邸を訪ねていた。
「御免下さい……」
少し緊張しながら戸を叩く。暫くして敷地の中から騒がしい音と共に戸が開く。
「はーい……どちら様…?
待って…!天元様が言ってた獪岳くんかな!?」
途轍もなく大きな声で名前を呼ばれる。声の通りが良い女性だからというのもあるかもしれないが、その声の大きさは善逸と同じか…ひょっとしたらそれ以上だ。
「あ…はい……。獪岳は俺で――」
「天元様が待ちくたびれてるよぉ!!」
女性は獪岳の言葉を遮り、耳鳴りが起きそうなほど大きな声で獪岳を招き入れようとする。しかし背後から女性がもう一人やって来て……
「須磨!アンタは声が大きいんだよ!!周りがビックリするでしょうがっ!!」
間髪入れずに頭部に拳を入れた。かなり良い拳が入ったらしく、
「いったぁ!!雛鶴さん!まきをさんが
「二人とも静かに。獪岳くんが戸惑ってるじゃない」
騒ぎ続ける須磨とまきをの後ろから雛鶴と呼ばれていた女性がやってきて、騒ぐ二人を取り持つ。だが須磨が静かになることはなく、まきをは彼女を家の中へと引っ張り戻して行った。
この間獪岳は一言も話すことができず、静かに瞬きを繰り返すだけだった。
「ごめんなさいね。あの二人はいつもあんな感じなの。天元様が命を落としかけてた時もああやって……。って言っても見た未来での出来事だから、実際に起きたことではないのだけれど」
漸く玄関口が静かになったところで、雛鶴は獪岳の方に向き直る。
「改めて……いらっしゃい、獪岳くん。天元様が『いつ来るんだろうな』と、毎日待っておられましたよ。生憎と今は任務に向かわれてますが」
「…そうですか。じゃあ、また日を改めて――」
「その必要はないぞ、獪岳」
居ないのであれば仕方がない。そう思って出直そうとしたとき、背後から声が聞こえた。急いで振り返ると、そこには天元が居た。
「…あんたは人の背後を取るのが趣味なのか…?」
最初に会った時も、天元は音も無く獪岳の背後に立っていた。そして今回も。
「これでも俺は忍だからな。気配を消すことが普通なのさ。
それより、漸く来たな。ずっと待ってたんだぜ?」
口角を上げる天元。表情からして嘘は吐いていないのは確かだ。
「此処に来たってことは、俺の継子になる決心がついたって訳だよな」
「…そうです」
行冥と会うことになるかもしれない。暫くはそうして悩んでいたため継子になる決心はつかなかったが、善逸に負けているという事実を考えたところで、悩みの種など何処かへ消え去ってしまった。
別に善逸が嫌いだからという訳ではない。同じ師匠の下で鍛練した弟子同士、特に弟弟子である善逸には負けたくないという単純な理由である。
何かを察した雛鶴は、一礼した後屋内へと戻って行った。
「なら、早速稽古開始だ!!」
これまで継子を取ったことがなかった天元は、杏寿郎やしのぶのように立派な師範になれるのだろうか、と不安になる……ことは微塵もない。そもそも自分如きが人にモノを教える立場になれるとは到底思っていない。だからこそ、天元は思っていることを包み隠さず言う。
「獪岳。言っておくが、お前がもし鬼になったときは俺が一撃で頸を刎ねる。つまりお前は鬼になる道を選んだ瞬間"負ける"ということを忘れるな」
「…………」
「まあ俺が鍛えりゃ、鬼になる必要なんかないくらいド派手に強くなれるがな」
一瞬声色が低くなった天元の圧に獪岳は息を飲むが、天元は気にした様子もなく元の声色に戻る。
「よし、言うことは終わりだ。
じゃあまず最初はお前が今どんな状態かだが……常中は安定してできてんな。弐から陸ノ型の動きも、前見た時点で十分以上。あのとき気になったのは太刀筋だな。若干だが力みがちでブレがあった。自分でも気付いてんじゃねえか?」
「…分かってるし、何とかしたいと思ってる。
だが……万一斬り損ねたら、相手から反撃をくらいかねない。そう考えると無意識に力が入ってしまうんだ」
「…何となく性格が分かった。お前、割とビビりだろ」
図星を突かれた獪岳は眼を見開き、言葉が一瞬詰まる。
壱ノ型が使えない理由は、刀を抜かず相手の間合いに正面から突っ込む勇気が持てないから。
寺で暮らしていた時もそうだ。鬼と出会ってしまって恐怖で腰を抜かし、挙句一緒に暮らしていた人たちを身代わりにした。
「臆病なことは……何も悪い訳じゃないだろ」
他人が聞けば、身代わりにすることは悪いことだと一蹴するかもしれない。だがもし自分が同じ状況に陥ったら?恐怖で支配される中、もし助かる道が近くにあったとしたら?…多くの人間は獪岳と同じ選択をするだろう。
「…自分の命は何にも代えられない…大切なモノだ。そして恐怖は自分の命を守るためにある。だから……誰も彼も恐怖を捨てられる訳じゃねえし、馬鹿みたいに命を懸けて戦える訳じゃねえんだよ…」
「…それもそうだ。鬼狩りは俺みたいな異常者が溢れ返ってるからな。一般常識が徐々に欠如しちまうよ。
…まあ俺は生まれ育ちがアレなもんで、端から常識なんざ持ち合わせちゃいねえが」
自虐気味に嘲笑する天元。わざわざ身の上話をする義理もないので話すことはないが、話さずとも獪岳は雰囲気で察する。
彼は"己の手で"人を殺したことがあるのだと
経緯は分からないが、察したことは間違いないと断言できる。だが今現在鬼を狩っているということは、長らく人を殺してはいないのだろう。
「
まずは力み癖から直していくぞ」
天元が雑に木刀を投げると、獪岳は宙に浮く木刀に手を伸ばして取る。
「俺は防御に徹して反撃はしねえから、お前は遠慮なく斬り掛かって来い。そんで多少動きが悪くなっても構わねえから、力み癖を直すことだけに意識を集中させな」
「…押忍」
獪岳は深呼吸し、木刀を握る力を強めては弱めてを繰り返す。そうして握る力を弱める感覚を持った状態で、天元へと斬り掛かっていく。
木刀と竹刀が強くぶつかる音が何度も鳴り響く。
「そうだ。それでもう少し腕の力も抜け」
天元は獪岳の攻撃を軽くいなしながら、より良い太刀筋になるよう助言をしていく。
獪岳は助言の通りに若干腕の力を抜く。すると技の精度が著しく低下するが、太刀筋は僅かながら綺麗になる。
「流石、飲み込みが早えな。それが当たり前の太刀筋になるまで続けるぞ」
力み癖を直す鍛練を始めてから一週間。かなり癖を改善することができ、天元は愈々本題の稽古を開始することを決める。
「癖を直す稽古は終わりだ。これからお前には『壱ノ型』を習得してもらう」
「…は?」
獪岳は天元が何を言っているのか全く理解できなかった。
鬼殺隊士となって一年以上、別に何もしなかった訳ではない。幾度となく『壱ノ型』を習得しようと努力した。しかしただの一度も上手くいくことはなかった。
「…絶対無理だと思うが……」
「いいや、できる。技に対する認識を変えればな」
どういう意味だと答えを待っていると、天元は笑みを浮かべながら話を始める質問してくる。
「まず、お前は『壱ノ型 霹靂一閃』をどう考えている?」
「…刀を抜かず、正面から一直線に相手の懐へ突進して斬り掛かる"居合術"」
抜刀せず、もしくは一度納刀した後、相手が一番警戒している正面から一直線に突進する。そして斬り掛かった直後にまた納刀。つまり動作の前後に一瞬大きな隙が生まれる。
獪岳が習得できない理由の全てが詰まった認識だ。
「そう…勇気を振り絞って、馬鹿正直に相手へと突っ込む。それが"普通"の認識だ。ならその認識に逆を当てはめてみな」
「…逆……?」
逆とは何だろう。
"一直線"に、"相手の懐"へ。逆になる要素はこの二つだろうか。
まず"一直線"。これが逆になるのなら、縦横無尽などになる。そうなれば最早壱ノ型ではない。
ならば"相手の懐"。これの逆は、相手の間合いから離れる。つまりは逃げるということ。
「……逃げる…」
「そうだ。格上相手から"
継承されてきた技なんてのは、単なる見本に過ぎない。技をどう使うかは、使い手次第だ。
結局は生きてりゃ"勝ち"なんだからよ」
考えもしなかった。基本の型を攻撃のためではなく逃亡のために使うなど。だが確かに言い得て妙かもしれない。
雷の呼吸における型は、善逸が編み出した漆ノ型を除いて六つある。その六つの中で最も速い型が壱ノ型だ。なので逃げるための技としてしまうのも悪いわけではない。
「逃げるため……」
思い付きもしなかった認識に切り替え、獪岳は幾度となく試した構えを取る。
足を少しばかり大股開きに、上半身を下げて前屈みに。意識を…力を足だけに溜めて……溜めて……一息に爆発させる。
-雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃-
一瞬、雷が落ちたような音が小さく鳴り響く。
速度はまだまだではあったものの、獪岳の表情は落胆のそれではなかった。心做しか目は輝いており、見て分かるくらいに口角が上がっている。
「…上手くはいかなかったが、今までで一番希望が見えた気がする」
「良いじゃねえか。速度は欠伸が出そうなくらい地味も地味だったがな」
言葉の通りに受け取れば、馬鹿にしているような言い回しかもしれない。だが天元の表情はそういったものではない。練度を上げればその分だけ速度が伸びていくだろうと言っている表情だった。
「今日からはそれの速度を上げていく稽古だ。しっかりやれよ」
「押忍っ!!」
壱ノ型の速度を上げる鍛錬を始めて一週間半。
最初の五日間は順調良く練度が上がっていたが、それからは中々上手くいかずに停滞していた。
「…そうそう上手くいくもんじゃねえよな」
獪岳は少しばかり気を落とすが、それでも光明が差した今、諦めるという選択肢などありはしない。とはいえ現状ではこれ以上先へは進めないのもまた事実。雷の呼吸と音の呼吸では細かな差異がある加減で、天元の助力も効果が薄くなってきている。
「…愈々アイツを呼びつける時が来たな」
「アイツって……ああ…アイツか」
獪岳はアイツが誰なのかを察する。雷の呼吸の使い手で、壱ノ型を極限まで極めている者など一人しか居ない。
享受されるのは甚だ気に食わないが、壱ノ型だけで言えば彼に勝る者は居ない。…例え相手が元鳴柱だったとしても。
獪岳は鎹鴉を飛ばし、彼の者がやってくるのを待つ。
三日程掛かると思っていたのだが、鴉を飛ばした翌日にやって来た。
「お前……来んの早すぎだろ…」
「ええ~。だって兄貴から手紙なんて初めてだったんだしぃ」
気持ちの悪いニヤけ面を見せているのは、獪岳の弟弟子である善逸だ。当たり前の様に"兄貴"と呼んでいるが、当然ながら二人に血の繋がりはない。
「俺に弟なんか居ねえよ」
「ぶはっ!」
何処かで聞いたことのある言葉を聞いて、天元は思わず吹き出してしまう。しかも今回に関しては本当に弟ではないときているのだから猶更面白い。
突然笑った天元に対し、獪岳と善逸はよく分かっていないようである。
「ああ…気にすんな。どっかの兄貴が同じことを言ってたもんだからよ。思わず笑っちまった」
天元は何とか笑いを堪え、仲が良いのか悪いのかよく分からない二人に近寄る。
「善逸。手紙に書いた通り、獪岳は今"壱ノ型"を会得しようとしている。攻撃のためじゃねえがな」
「概ね把握してますけど…それで、俺が何を教えれば?
正直、俺如きが教えられることなんてたかが知れてると思うんですけど」
己の技量を低く見積もっている善逸。仮に彼が教えられないのであれば、この世に雷の呼吸の壱ノ型を教えられる者はただの一人も居ないだろう。
「お前が無理なら、俺はもう壱ノ型を諦めるしかねえわ」
遠回しに教えてくれと言う獪岳。そしてそれを察せないほど、善逸は馬鹿ではない。
善逸はまたもや気持ちの悪いニヤけ面を浮かべる。
「そこまで言うなら、頑張ろうかな〜」
「……その面見てたらやる気が削がれてくるんだが………」
善逸に対する不快感や苛立ちは殆ど失せたものの、それでも拒否反応を示してしまう程のニヤけ面。
驚愕し、悲しそうな表情を天元に向けて救いの手を求めるが、天元は首を横に振る。
「悪いが、その面は俺でも気持ち悪いって思うわ」
「二人とも酷い!!」
善逸は悲しみに暮れるが、それでも兄弟子と仲違いせずに居られることに嬉しさを感じていた。
無駄話も早々に、本題へと入る。
まずは現状を善逸に見せるため、獪岳は出来うる限りの壱ノ型を放つ。
落雷の様な音は最初と比べて大きくなっており、速度もかなり上昇していた。
「……」
善逸は獪岳の動きを見た後、黙って少し考える。
獪岳としては何が不足しているのかさっさと教えて欲しいところだが、真剣に考える善逸の様子を見て、彼の言葉を待つことにした。
暫く待っていると、漸く善逸が口を開く。
「…足に溜めた力を解放するとき、前屈みにしていた上体が少し元に戻ってるね。多分それを直せば速度が上がると思う」
それだけで上がるのかと疑問に思う獪岳だったが、真剣に助言してくれている手前、一蹴するのはお門違いだ。
獪岳は言われた通り、足に溜めた力を解放するときの上体に注意して、
-雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃-
もう一度技を放つ。
すると先程放った技より明らかに速度が上がり、落雷のような音も大きくなった。
「…今ので良いのか………」
ほんの僅かに意識しただけで停滞していた練度が再度上昇し始め、獪岳は驚きを隠せない。
「霹靂一閃は兎に角速度を出さなきゃいけない。だから身体に当たる空気の量をどれだけ減らせるかが重要なんだよ。勿論前屈みになりすぎるのは良くないけど」
そんなことは、雷の呼吸を使っている者であれば誰だって知ってる。獪岳が驚いたのは、善逸が一度見ただけで改善点を見つけたことだ。やはり鬼の首魁と戦った
「…席が残ってたら柱になれたんだろうな……」
全ての型を使えるようになった場合の自分のことか、それとも自分だけの型を作り出して鬼の首魁と戦い生き残った善逸のことか。どちらの意味で言ったのかは獪岳自身にも分からなかった。
天元の継子になってから一ヵ月と少し。
刀鍛冶の里で上弦の鬼が三体も襲撃してきたという情報が鬼殺隊全体に回る。そして上弦の肆と伍は討伐できたとのこと。それについては未来を知る者たちにとっては大した驚きはなかった。だが問題は新たに襲撃してきた上弦の鬼だ。その鬼についての情報共有のため、柱合会議が開かれることとなった。
天元は早朝から自宅を出立し、獪岳はいつも通り鍛練を行う。
そして天元が帰ってくるまで二日程度。その間の夜、獪岳は出会ってしまう。
「……上弦の…壱………」
六つの目を持ち、額と首に炎が燃えているかのような真っ赤な痣。袴を着て腰に刀のようなものを携えており、侍を彷彿とさせる。
いや、見た目など大した問題ではない。
相手を見透かすが如く鋭い視線。身体から溢れ出すあまりにも重い空気。刀を構えてもいないのに、隙が何処にも見当たらない佇まい。
刀を抜けば…いや、柄を握った瞬間首が飛ぶと本能で理解できた。
「鬼狩り……今ここで…斬り捨てる必要など……全く有りはしないが……」
気付くと、上弦の壱・黒死牟は腰に携えていた刀を抜いていた。
抜刀する素振りなど微塵も見えなかった。速いなんて言葉で済ませて良いものではない。
(圧倒的強者に跪くのは……恥じゃない………)
奥歯をガタガタと震わせ、地面に額を当てようとする。
…しかし、不意に頭の中で聞き覚えのある言葉がよぎる。
『俺さ…爺ちゃんから言われたんだ。
"泣いても良い。逃げても良い。ただ諦めるな"って』
『獪岳。お前が鬼になる選択をした時点で、お前は生きることを諦めたのと同義だ。何故なら、そのときは俺がド派手に頸を刎ねるんだからな!!』
諦める?…いや、諦めてたまるものか。
死ぬまでは負けじゃない。生きてさえいれば、必ず勝つ……勝ってみせる。
恥?…恥なんて、今に始まったことじゃない。
家も無かった、泥水を啜ってた、金を盗んだ。……一緒に暮らす
…諦めず柱の下で鍛練したからこそ、恥を捨てて弟弟子に教えを乞うたからこそ、未完成でも"壱ノ型"を習得したんだ。
(逃げる……。ただそれだけに集中しろ……!)
「…………」
殺意を見せれば、黒死牟は躊躇うことなく刃を振るう。しかし怯える雰囲気が僅かに変化しても、黒死牟は目を細めるだけだった。何故なら、変化した雰囲気は殺意ではないからだ。
「どんなに無様でも……俺は逃げる……!!」
獪岳は黒死牟に背を向け、同時に背後へ大量の爆薬を投げる。
殺意を向けず、背を向けて投げたのが功を奏したのか、黒死牟は獪岳を斬り捨てる前に爆薬の攻撃を受けることとなった。
-雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃-
そして黒死牟が爆風で怯んだ一瞬、獪岳は自分の出来うる最大の力を足に溜め、一息に解放させた。
…………
爆発による砂煙が薄れた頃、黒死牟の目の前から獪岳は居なくなっていた。
「敵前逃亡とは………全く恥知らずな者だ……」
そうして黒死牟から逃げ帰ってきた獪岳だったが、今度は顔を合わせたくなかった者と出会う。
「……………」
眼前には七尺を超える身長を持つ鬼狩り、岩柱・悲鳴嶼行冥が心の目で静かに獪岳を見ている。どうやら柱合会議後に天元と話すことがあったために宇髄邸に足を運んでいたようだ。
互いに目を合わせたまま暫く言葉を発さなかったが、やがて行冥は背を向ける。
「…私は君を認めない。例えどれだけの鬼を狩っていたとしても、過ちが消えることはない」
行冥はその言葉とともに、宇髄邸から去って行った。
「お前、悲鳴嶼の旦那と何かあったのか?」
詳しい話を聞いていない天元は、何故行冥が獪岳に冷たく当たるのかを分かっていない。
首を傾げる天元だが、獪岳は疑問に答える余裕などない。理由は単純明快。全力疾走したばかりなので息も続かず更には極度の脱水状態だからだ。
「昔…ちょっとあって……。それより水を……上弦の壱から逃げてきたばかりで……死にそう……」
「上弦の壱!?…色々聞きてえが……ほら、水だ」
天元に渡された飲み物を口に含むと、獪岳は心做しか塩味を感じた。その塩水をゆっくりと飲んでいくと、感じていた眩暈や吐き気が少しずつ和らいでいく。
「で……嫌なら構わねえが、聞いて良いか。悲鳴嶼の旦那の話を」
眩暈や吐き気がある程度収まったところで、獪岳は自分の過去を話し始める。
貧乏な家に生まれ、挙句親に捨てられた。
孤児となってからは、当然家もなくお金もない。泥水を啜り、捨てられた生ゴミや生き物の死骸を食べて飢えを凌いでいた。
暫くして、寺で暮らす人に拾われた。そして拾ってくれた人が悲鳴嶼行冥。
寺での生活も裕福ではなかったものの、一人で生きていたときよりは何倍もマシだった。
ただ一度マシになった生活というものを経験したからか、もう一度その喜びを味わいたいと思ってしまった。寺の金銭を盗んでしまい、一緒に暮らしていた子たちに追い出された。
その日の晩、鬼と遭遇してしまい、自分が助かるために行冥含めた九人の命を差し出してしまった。
「だから……あの人が俺を恨むのも当然だ」
「…そうか……まあでも、良いんじゃねえの。別に」
俯く獪岳に対して、天元は彼の過去に不快感はなかった。
獪岳はそんな天元の様子に困惑してしまうが、天元は気にすることなく今度は自分の過去を話していく。
「前にも言ったが、俺は忍の家に生まれたんだ。兄弟は九人だったが、十五になるまでに七人、その内三人は一桁で死んだ。親父の課した修行が原因でな。一族が絶えることによる焦りか知らねえが、親父は兎に角冷徹な男だった。
部下は駒。妻は後継ぎを生むための道具。本人の意思は尊重しない。
そんな親父がある日、いつにも増して非人道的な修行を課してきた。その修行ってのは、忍同士本気で殺し合うことだった。当然本人の意思は尊重しないから、俺もその修行に参加させられた。
互いに覆面を被って殺し合いをしていたが、二人を殺したところで気付いた。俺たちは兄弟同士で殺し合いをさせられていたんだと。そこからはあんまり覚えちゃいねえが、残っていた弟一人と親父から逃げるように里を出たんだ。嫁たちと一緒にな」
天元の過去を聞き、獪岳は絶句する。自分も大概碌な生き方をしていないが、彼はそれ以上に酷い生き方をしていた…いや、させられていたのだ。
何も言えなくなった獪岳を見て、天元は自虐気味に笑って見せる。
「俺は自分の手で兄弟を殺した。
だがお前は間接的に殺したとはいえ、自分の手で人は殺していない。だからそこまで自分を卑下する必要はねえってことだ。
勿論、二度としちゃいけねえがな。お前も俺も」
「……間違いないな…」
「…さて、この話は終いだ。
次は上弦の壱の話を聞かせてもらおうか。不死川から聞いてはいるが、所詮はただの記憶だからな。目で見たお前からの情報が知りてえ」
天元は手を叩いて雰囲気を切り替え、今度は黒死牟の話を聞く。此方の話は先ほどのとは違って拒否権はなさそうだ。
「分かったよ……。つっても、会った瞬間逃げたから何も分かりゃしないだろうがな……」
その後は天元の質問攻めに、獪岳は分かる範囲で答えていった。
【あとがき】
お読みいただきありがとうございます。
今回は3話目から音沙汰無かった獪岳のお話でした。
切り方が雑な感じですが、これ以上書くと流石に長くなりすぎるので……。
キャラが原作と大きく異なるような気がしますが、天元の継子になったことで良い方向に変化したと思ってください。
描写はありませんが、爆薬の使い方に関しても天元が教えています。
獪岳が壱ノ型を使えない理由は様々な考察がありますが、一番しっくり来たのが"臆病だから"でしたので、今回はその考察を基準に書いてみました。
相手の懐に入り込む勇気がない。それなら相手の間合いから逃げるために使えば良い。そういう考えに切り替えてしまえば、壱ノ型も使えるんじゃないかという感じです。
なので攻撃としての壱ノ型は全く習得できていません。本当に逃げるためだけの技です。
映画では獪岳以外にも黒死牟と遭遇した隊士が居ましたが、このお話では獪岳一人だけにしています。その方が描写が楽なので。
獪岳と行冥。当然ながら行冥は獪岳を信用しませんでしたが、今後の二人はどうなるのでしょうか。
ちなみに全く考えておりませんので、どうなるかは私にも分かりません。
誤字脱字があれば報告していただけると幸いです。
【余談】
最近書くモチベが下がり始めてきているので、来週投稿できるか怪しいです。もし出てなかったらお察しください。
戦闘描写の多いお話を書いた後は満足してモチベが下がるんですよね……。