未来を変える鬼狩り達   作:yuki_06090570

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記憶を探し、記憶に溺れる鬼

義勇と共に駆け付けた訳ではないためか、一人で落下した炭治郎。周囲を見渡しても誰も居らず、鬼の匂いだけが充満している。

 

「…………」

 

意識を研ぎ澄ませ、視界を透き通らせる。

立ち止まって集中していたからか、周囲の雑魚鬼たちは一斉に彼へと襲い掛かる。

 

-日の呼吸 日暈の龍・頭舞い-

 

鬼の手が首筋に触れる寸前まで、炭治郎は抜刀すらしていなかった。しかし瞬きほどの短い時間で刃を正確に振るい、五、六十ほどの鬼たちは全て同時に塵と化していく。

 

「良し……。問題なく"透き通る世界"に入れている。このまま進んで、誰かと合流を――」

 

刀を納め、道が続いている後ろへと振り返ろうとした瞬間、覚えのある匂いがする。

 

「猗窩座…!!」

 

名を呼ぶと同時に振り返る。

猗窩座は炭治郎の目と鼻の先で立っていたが、攻撃してくる素振りはない。

 

「竈門炭治郎。お前に聞きたいことがある」

 

「…………」

 

「俺は最期、お前に感謝しながら自害した。だがその理由が分からん」

 

猗窩座は炭治郎の現状を何もかも知っているのか、当然のように未来の記憶に関することを話す。

概ね想定していた炭治郎もそれほど驚くことはないし、猗窩座はそれを気にした様子もない。

 

「今尚お前のことは不快だし、強くなるために邪魔な奴は殺すという考えも変わっていない。ただ……何かとても大事なことを忘れているのだ。……人間の頃の大事なことを」

 

「人間の頃の……」

 

「恐らく大事なこと(そこに)答えがある。

常々"誰よりも強くなりたい"と思う理由。強さを求め、弱者を見下す理由が。

聞きたいのは答え(それ)だ。お前が知る由もないのは分かっているが、お前なら思い出す切っ掛けを作ってくれるような気がする」

 

猗窩座は俯き、自身の腕にある入れ墨のような鬼の紋様をただただ見つめる。

あれ程弱者を見下し、唾を吐きかけていた者だったというのに、今の猗窩座からは失った記憶を取り戻したいと願う匂いが強い。

 

「お前の勝利条件は一つ。俺がお前を殺す前に、俺の欠けた記憶を呼び起こせ。

そうでなければ、俺はもう一度頸を克服して殺しに掛かる。何度も言うが、俺はお前が不快だからな」

 

-術式展開 破壊殺・羅針-

 

猗窩座は拳を構え、足元に闘いの羅針盤を展開する。

勿論闘気を消せる炭治郎には全く無意味であることは理解している。思い出すために、汎ゆる手を尽くそうとしているだけだ。

 

「お前の"至高の領域"を見せてもらうぞ。炭治郎」

 

炭治郎が柄を握った瞬間猗窩座は一瞬で距離を詰め、炭治郎の鳩尾に拳を振るう。

 

-日の呼吸 碧羅の天-

 

抜刀と同時に正面へと斬り上げ、猗窩座は拳を真っ二つに斬り分けられる。猗窩座は少し距離を取り、炭治郎の刀を凝視する。

 

「……良い刀だ。と、敢えて言わせてもらおう。

しかし鍔から出ている妙な光は何だ」

 

先刻僅かに触れはしたが、特に肉体への影響はない。とはいえ猗窩座からすればあまり気分の良い光ではない。

もしや卑怯な手を使っているのではと勘繰る猗窩座に対し、炭治郎は軽く首を振って否定する。

 

「これは上弦の壱と弐……じゃなくて参の血鬼術対策だ。日の光と同じ性質のものがほんの少しだけ出ている。あくまで術を弱体化させるだけで、体には何の影響もないはずだ」

 

「……お前は随分と正直者だな。あの時も俺に宣言せず背後から斬っていれば良かったものを」

 

「いや……単に嘘を吐いたり、騙し討ちとかができない性分ってだけだ」

 

またもや正直に独白する炭治郎。

それを聞いた猗窩座は思わず笑みを零してしまう。それと同時に不快感も少しばかり薄れる。

 

このまま無駄話をしているだけでも構わないが、互いに時間的余裕はない。

炭治郎は刀を構え、猗窩座は拳を構える。

同時に相手へと殴り、斬り掛かり、拳と刀を何度も何度も交える。

 

「何故だろうな。お前と話をすると、何処か懐かしさを覚える」

 

拳と刀の鈍い接触音が一秒の間に数十回も鳴り響き、周囲に隠れ潜んでいた雑魚鬼たちが生存本能を掻き立てられるほどの威圧感を放つ。

次第に人の気配はおろか鬼の気配も遠くへと離れていき、今やこの場に居るのは炭治郎と猗窩座のみ。

 

「なら会話を続ければ、失くした記憶が蘇るかもしれない」

 

「そうだな。俺は喋るのは嫌いじゃない。思い出せるよう、どんどん会話して(戦って)いこう」

 

-破壊殺・空式-

 

猗窩座は炭治郎から一歩距離を取る。そして虚空に向かって拳を何度も振るうと、全ての衝撃波が一瞬にも満たない速度で同時に炭治郎の目の前まで接近してくる。

その衝撃波に合わせて刀を振るい、炭治郎は自身に襲い掛かる攻撃のみを相殺。そして流れるように猗窩座との距離を縮め、刃を振るう。

その攻撃に対し猗窩座は当然のように反応し、

 

-破壊殺・脚式 飛遊星千輪-

 

炭治郎の腕へと強烈な蹴りを放つ。

しかし炭治郎も反応速度は同等で、

 

-日の呼吸 幻日虹-

 

瞬時に体を大きく捻り、蹴り上げられた片脚を容易く切断する。

 

「あの日の杏寿郎が霞むほど素晴らしい剣技と身の熟し! お前がお前でなければ、"鬼になれ"と勧誘していただろうな!」

 

何処か穏やかな笑顔を見せて声高に喋る猗窩座。"透き通る世界"の恩恵なのか、赫刀ではないからか、それとも炭治郎の技量が縁壱に遠く及ばないからか、日の呼吸で斬られたというのに再生が速い。

 

「勧誘……。義勇さんにもしていたな。

どうしてそこまで勧誘に拘るんだ…? 無惨が許可すれば、相手の是非を問う必要なんかないのに」

 

「強者というのは、生まれ持った素質、只管己を磨き続ける直向きさ、機を逃さぬ判断力、汎ゆることに意味がある。

他者に強制されてなれるような甘いものじゃないのは、お前がよく知っているだろう」

 

戦いの合間合間で猗窩座の過去を引き出すべく、炭治郎は気になったことを投げ掛ける。そして思い出したい猗窩座は、その質問に対して正直に答えていく。

 

「お前は誰かに言われて鬼狩りになったのか?

違うだろう。お前はお前の意思で鬼狩りとなる道を選んだのではないのか?」

 

「確かに俺は自分の意思で鬼狩りを選んだ。

てもそれなら猗窩座。お前は自分の意思で……鬼となることを選んだのか……?」

 

刀と拳を交えながらしていた会話だったが、炭治郎の問いに猗窩座は攻撃を止め、刀の間合いから離れる。

勝つためを考えれば、今頸を狙うことは得策ではない。そう判断した炭治郎は敢えて追撃せず、猗窩座が思い出せるように攻撃の手を止める。

 

 

―十二体程 強い鬼を作ろうと思っているんだ。お前は与えられるこの血の量に耐えられるかな?―

 

 

朧気だった、絶望の底なし沼に落ちた頃の記憶が鮮明に蘇る。原因はまだ思い出せない。何かを失って絶望していることだけは分かる。

 

視界は真っ暗。無惨の声と血の滴る音だけが聞こえる。痛みも感じず、力も入らない。

 

―もう…どうでもいい…全て…が……―

 

「……どうでもいい………か。

少し思い出した。どうやら俺は己の意思で選択した訳ではない。いや……選ぶことすら放棄し、運命に流されるまま鬼になったようだ。

他者に強さを求める癖に、己は選ぶことすら放棄していたとはな……」

 

自虐のように乾いた笑いを零す猗窩座。だが炭治郎はそれを嘲笑など当然せず、自分の考えを話し始める。

 

「俺は……何も全てを選び取らなくちゃいけないなんてことはないと思う。

自分の選択で誰かを苦しめるかもしれない。傷付けるかもしれない。だから相手に選択を委ねるのも、一つの強さだと……思う」

 

炭治郎の考え。それは猗窩座自身が何度も行なってきたことだ。

 

お前も鬼にならないか

 

他者に提案し、諾否の選択を相手に委ねる。

選び取ることが強さというのなら、選ばせることも強さ。だが、炭治郎が言いたいのはそういうことではないのだろうことは容易に想像できる。

 

ふと、杏寿郎に言われたことを思い出す。

 

―強さとは肉体に対してのみ使う言葉ではない―

 

下弦の壱の視覚を通して見た光景で、炭治郎は汽車の運転手の命を救おうと、必死に手を伸ばしていた。己に千枚通しを刺した者にも手を差し伸べるほど命を大切にする精神。

当時は理解できなかったが、今なら何となく分かる。

そういう他者を思い遣る心こそが、彼らの言う"強さ"なのだろう。

 

「…"強さとは肉体に対してのみ使う言葉ではない"。やはり杏寿郎の言葉は正しかった」

 

しかし分かった上で理解し難いのは、自分が鬼だからなのか、それとも生まれ持った価値観なのか。今の猗窩座には分からない。

更に戦うことしか知らない彼は、会話だけで思い出すという考えはない。このまま戦い続けることで全てを知ることができるのではないかと本気で思っている。

 

「さて、続けようか」

 

その一言により、中断していた戦闘が再開される。

だが猗窩座が炭治郎に殴り掛かろうとしたその瞬間、

 

-水の呼吸 肆ノ型 打ち潮-

-炎の呼吸 伍ノ型 炎虎-

 

彼の左右から義勇と杏寿郎が猛烈な勢いで接近し、刃を振るう。

 

「漸くのお出ましか! 義勇! そして杏寿郎!」

 

二人とまた戦える日を待ち望んでいた猗窩座。先刻と打って変わり、明らかに楽しんでいるような顔付きになるものの、二人の攻撃を捌いた瞬間に笑みが崩れる。

理由は勿論、二人の攻撃があまりにも遅かったからだ。

 

「杏寿郎、義勇。お前たち……至高の領域に辿り着いていないのか」

 

展開している羅針盤は単なる飾り……という訳ではないが、今の猗窩座は"闘気"で相手を見ていない。己の五感のみで相手を捉えて戦っている。しかし二人の"闘気"は、完全に捨て去った猗窩座にも知覚できるほどに溢れ出している。

 

「お前たちなら辿り着いていると踏んでいたが……がっかりだ…………。

いや、待て……良いことを思い付いた」

 

妙案が思い付いた猗窩座は炭治郎に戦闘の一時中断を促し、杏寿郎と義勇の方へと向く。

 

「俺は強者が好きだ。弱者に興味はない。

そこでだが……これからお前たち二人を俺が鍛え、至高の領域へと押し上げる」

 

「……狙いは何だ」

 

上弦の鬼は無惨の直属の配下。加えて猗窩座は"鬼にならないなら殺す"と言い、それを実行している。しかし今回は"鬼になれ"とは言っていないし、言葉の限りでは殺すこともしないと捉えられる。

意図が全く読めない猗窩座の提案に、義勇は言葉を返しながら刀を強く握り込む。

 

「大した理由ではないぞ。

お前たちは筋が良い。鬼にならないのは惜しいが、今この場で殺すのは更に勿体ない。

俺が鍛えれば、お前たちは更なる高みへと上り詰めることができよう。そして至高の領域へと辿り着いたお前たちをこの手で殺せば、俺はより強くなれる。

どうだ。今度こそ素晴らしい提案だろう?」

 

これなら俺の誘いに乗るだろう。そう言いたげな猗窩座の表情は強者との戦いを望むような笑み。しかし彼の奥底からは違った気配が漂う。

 

(……嘘を……ついている……?)

 

炭治郎の嗅覚を以てしても確信できないような僅かな気配。最早猗窩座自身にも分かっていないのではないかと思えてしまうほど。

 

「………………」

 

"透き通る世界"を未だ会得できていない二人が加勢したところで、結局は炭治郎の足手まといになるだけだ。

猗窩座の誘いに乗り、"透き通る世界"を会得する。今の杏寿郎と義勇にはそれしか選択肢は無い。

 

「分かった。その誘いであれば応じよう。たが俺たちの主目的は君や鬼舞辻の頸を取ることだ。君に殺意があろうと無かろうと、それだけは変わらないことは承知してもらいたい」

 

「無論だ。お前たちも俺も、やりたいようにすれば良い」

 

初めて自身の誘いに乗ってくれたことが嬉しかったのか、はたまた別の理由か。猗窩座は目を閉じて笑顔を見せる。

 

「さあ来い! 義勇、杏寿郎! 勿論お前もだ、炭治郎!」

 

全方位へ対応できるように構えた猗窩座。彼の言葉通り、炭治郎たちは斬り合いにならないよう呼吸を合わせて刃を振るう。

 

易易と弾かれる刀が二本。丁寧に斬撃を捌かれる刀が一本。

 

「剣術のことは知らんが、体捌きは分かるぞ! 相手の攻撃を躱すときは、それに必要な力だけを使え! 五感を研ぎ澄ませろ!!」

 

炭治郎と一進一退の攻防を繰り広げながらも杏寿郎、義勇の攻撃に対応し、二人の足りない要素を嬉々として伝える。

その姿はさながら弟子を鍛え上げる師範のよう。

 

(懐かしい……。かつては俺も、こうして師範から…………………)

 

新たに蘇る記憶。それは道場で武術を磨く日々だった。

 

 

初めて師範と出会ったときのことはまだあやふやだが、派手に殴られたのは思い出せた。あの頃はどうして弟子になったんだろうと思う毎日だったが、日を重ねるごとにそんなことを考えることも少なくなり、気付けば弟子になって良かったと思うようになった。

そういえば、師範も"門下生が誰も居なくてな"と常々ぼやいていた。俺に弟子のような存在が居ないのも、親譲りならぬ師範譲りだった訳か。

 

 

「また一つ思い出したぞ、炭治郎」

 

思い出した記憶が稽古だからか。先ほどとは打って変わり、猗窩座は拳と刀をぶつけ合いながら話し始める。

 

「こうして誰かと稽古をするのは数百年ぶりだが、指導する(此方)側に立つのは初めてだ。中々面白い」

 

初めて師範という立ち位置で稽古をする感覚。それは手足で這い始めた赤子を育てるようなものだった。

勿論猗窩座にそんな経験はない。しかしそれと似たような経験をしたような気がするのは何故なのだろう。

 

「どうした! その程度では無惨様(あの御方)を倒すことなどできないぞ! 杏寿郎! 義勇! 炭治郎に一人で戦わせるのか?!」

 

激しい攻撃の嵐に対応しきれなくなりつつある杏寿郎と義勇。猗窩座に殺意があろうと無かろうと、二人にとって動きを間違えば命に関わることに変わりはない。体力のことも考えると、一秒でも早く"透き通る世界"を会得し、猗窩座の頸を討ち取らなければならない。だがその焦りが、会得までの時間を要してしまっている。

 

「焦るな! 戦闘における敗北は油断! そして焦りだ! 俺の頸を狙うことに意識を向け過ぎるな!」

 

鬼の言葉に耳を傾けるなど、皆の規範となる柱として如何なものか。これまでならそう言って吐き捨てていただろう。しかしこの異様な状況ではそんな考えも何処か遠くへ消え去ってしまう。

このまま戦い続ければ、間違いなく"透き通る世界"に入り込むことができる。その好機を逃すのは愚の骨頂。そんな考えが二人の頭の中で回り続ける。

 

「良いぞ! もう少しだ! あと少しでお前たちは"至高の領域"に――」

 

『何をしている……猗窩座…!!』

 

瞬間、猗窩座の脳内で無惨の声が聞こえる。声色からして憤怒しているのは間違いない。理由は誰がどう見ても明白。

 

『貴様は強くなりたいのではなかったのか。眼前に立ち塞がる邪魔者を排除しないのは何故だ。

それに先刻から黙って見ていれば、鬼狩りを殺そうとすらしない上、"思い出したい"などと考える始末。其れ程思い出したいというのなら、私の手で思い出させてやろう』

 

無惨からの脳内対話が終わると同時、猗窩座はまだ思い出せなかった記憶が一気に流れ込んで来る。

 

 

何かの用事が終わって帰路に着いている途中、目的地である道場の玄関口に集まっていた大人たちが大焦りで此方に走ってくる。

 

―誰かが井戸に毒を入れた……!! 慶蔵さんやお前とはやり合っても勝てないから…! あいつら酷い真似を!!―

 

―惨たらしい……あんまりだ!! 恋雪ちゃんまで殺された!!―

 

 

そうだ。二人を毒殺したのは……隣接する……

 

「剣術の連中を……一人残らず……!!」

 

-破壊殺 鬼芯八重芯-

 

先刻までの猗窩座と打って変わり、明らかに命を奪わんとする攻撃に切り替わる。勿論油断など微塵もしていないが、"透き通る世界"を完全に会得できていない杏寿郎と義勇は反応に間に合うはずもない。

 

-日の呼吸 灼骨炎陽-

 

「炭治郎っ!」「竈門少年っ!」

 

間一髪。炭治郎の身を挺した行動により、杏寿郎と義勇は負傷することなく猗窩座の攻撃をやり過ごすことができた。しかし炭治郎は無理矢理に放った技の所為で猗窩座の攻撃を受けてしまい、片腕から多量の血が流れる。動かせこそするものの、過剰に動き回れば長くは保たないだろう。

 

「大丈夫……です……。それより何で急に……」

 

三人は埃の向こう側にいる猗窩座の姿を今一度確認する。

先程までの笑顔は消え失せ、怒りに満ちた眼で三人を睨み付けている。

 

「……鬼舞辻が彼に何かしたのかもしれん。竈門少年は兎も角、俺と冨岡は殺そうと思えば初手で殺せていたはずだ」

 

一目見ただけで分かる。今の猗窩座に理性なんてものはない。ただ眼前の敵に暴力を振るうだけの殺戮人形だ。

 

「……炭治郎。お前は一旦下がれ。猗窩座は俺と煉獄で仕留める」

 

「ですが――」

 

「問題ない。感覚は概ね掴んだ。それに君はこれ以上動くと腕を治せなくなる。鬼舞辻との戦いで君の力は必要不可欠。故に胡蝶か栗花落少女……もしくは愈史郎殿と合流するまで待機だ」

 

立ち上がって猗窩座と対峙しようとする炭治郎を制止するように、杏寿郎と義勇は背中を見せる形で彼の前に立ち塞がる。

そうこうしてる間にも猗窩座の握り拳は震えが増し、今や自身の力で掌から血が滴り落ちるほどに強く握りしめられていた。

 

「……また命を救われたな。本当に柱として不甲斐無い」

 

「……ああ、そうだな」

 

礼儀も知らず、他人の家に土足で押し入るかのように歩いて接近してくる猗窩座を前に、杏寿郎と義勇は今一度柄を握り直して刀を構える。

そうして刀の間合いに猗窩座が入り込んだ瞬間、

 

-破壊殺・乱式-

 

構えから拳の打ち出しまでが恐ろしく短い時間で完結し、瞬きする間もない速さの乱打が義勇たちに向かう。

 

-水の呼吸 拾壱ノ型 凪-

 

炎と水。攻撃と防御。勿論防御に適しているのは水。

義勇は攻撃することを考えず、猗窩座の攻撃を防ぐことだけに注力する。

三人へと向かってくる衝撃波を全て叩き落とし、

 

-炎の呼吸 壱ノ型 不知火-

 

ほんの極僅かな一瞬の虚を狙って、杏寿郎は猗窩座の頸へと刃を振るう。しかし当然のように猗窩座は対応し、杏寿郎の斬撃を拳で弾き返す。

 

頸の切断はできなかったものの、現在の立ち位置は狙い通り、義勇と杏寿郎が猗窩座を挟んでいる状態。視界が"透き通った"今、常に挟むように立ち回れば勝機はある。

 

しかし記憶では頸を克服していた。彼が自滅しなければ、間違いなく戦いは続き、負けていた。ならば今ここで頸を斬ったところで何も変わらないのではと、義勇と杏寿郎は頭を悩ませる。

 

「猗窩座の……大切な記憶を……呼び起こせば……!」

 

腕の痛みに苛まれながらも、炭治郎は二人に情報共有をおこなう。

そこで二人は炭治郎が猗窩座の頸を狙っていなかった理由を把握する。しかし記憶を呼び起こすと簡単に言っても、それを成すのは途方もない苦行だ。

数百年も前の、知らない他者の想い出。ましてや今は無惨によって妨害されている状態。

 

「手探りにはなるが……他に打つ手はないな……」

 

考え倦ねている間も、猗窩座は怒りを顕にしながら殴りかかろうとしている。呑気にしている暇はない。戦いながら手掛かりを見つけていくしかない。

 

「猗窩座っ! 君は何故強さに拘る?!」

 

-破壊殺・空式-

 

杏寿郎の問い掛けに対し、無常にも返ってきたのは、拳による強烈な衝撃波の嵐。

先刻からの大きな変化からして、やはり無惨が何かしらの方法で彼を操作したのだろうと、杏寿郎は判断する。

 

-炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天-

 

続けざまに放たれる衝撃波を捌きながら技の隙間を探し、その隙間に向かって刀を素早く振り上げる。

攻撃の中途で前腕が二つに切り分けられたことにより、猗窩座の攻撃は僅かながらに綻びが生じる。

 

-水の呼吸 壱ノ型 水面斬り-

 

その綻びを見逃さず、義勇は猗窩座のもう一方の腕へと刃を振るい、切断する。

頸を守る両手はない。長年の経験で培われた肉体が好機を見逃すはずもなく、義勇は猗窩座の頸へと刃を振るう。だが刃が頸に触れる直前に再度思い出す。

 

"頸は克服される"

 

克服されれば、今の猗窩座では取り返しがつかない。

そう思い至った義勇は慌てて刃を止める。

 

-破壊殺・脚式 冠先割-

 

当然猗窩座がその躊躇いの隙を逃すはずもなく、強烈な蹴り上げを義勇へと放つ。

寸前で対応できた義勇は頬からの僅かな出血で済んだものの、猗窩座は既に両腕を再生させている。至近距離で技を放たれ続ければ対応しきれない。

義勇は素早く距離を取り、仕切り直しを図る。

 

-破壊殺・砕式 万葉閃柳-

 

しかし猗窩座は離れた義勇目掛けて飛び掛かり、地面が砕けるほどの強烈な拳を頭上から振り下ろす。

対話をするとなると、必然相手と近寄らなければならない。あまり大きな声を出さない義勇は特に。

拳は避けず、刀で真正面から受け止める。結局は至近距離で対応しなければならないが、危険になれば杏寿郎が助太刀に入るだろうと思い、義勇は猗窩座から距離を取る考えを捨て去る。

 

「お前が弱者を見下す理由はなんだ」

 

これまでの情報から、猗窩座は強者を好み、弱者を嫌っているのは分かる。

炭治郎が言うには、

記憶があろうとなかろうと、鬼は技や思想に人間であった頃のものが残っているそうだ。

藤襲山の手鬼は人の手の温かみを求め、珠世宅襲撃の朱紗丸は子供のように鞠で遊び、鼓屋敷の響凱は鼓を叩く趣味を持ち、那田蜘蛛山の下弦の伍・累は家族兄弟の絆を探し、遊郭の上弦の陸・堕姫、妓夫太郎は兄妹で助け合い、産まれの地で生き抜く。

ならば猗窩座にも人間の頃に根強かったものが必ずある。

 

「弱い奴は……正々堂々やり合わず……井戸に毒を入れる……!! 醜い……!!」

 

そして義勇の読みは当たり、猗窩座は憎しみを吐き出すように声を荒げる。その矛先が今は義勇……というより、刀を持った者になっているように見える。

 

-炎の呼吸 参ノ型 気炎万丈-

 

遠巻きから少し観察していた杏寿郎は猗窩座に聞きたいことができ、回避されることを前提に接近して刃を振り下ろす。

想定通り猗窩座は回避し、少しばかり二人から距離を取る。

 

「君の言う"弱い奴"が入れた毒の所為で、君はどのような被害を被った」

 

「何を言っているんだお前らは……。お前らが………お前らの跡取りが毒を入れた所為で……! 師範と恋雪は死んだんだ……!」

 

何故分からないんだと静かな声で怒りを爆発させ、猗窩座は二人へと殴り掛かる。

その勢いは先刻よりも激しく、二人掛でも攻めに転じることができない。

 

「それが……君が鬼になった切っ掛けか」

 

"師範"、"恋雪"。勿論どんな人物だったのかは見当もつかないが、彼にとって如何に大切な存在だったのかは今の激昂を見れば容易く想像できる。

 

「お前の師範は何のために、お前に武を教えた」

 

猗窩座の戦い方は明らかに武を極めた者の動き。自惚れた幼子が振り回す鎌でも、悦に浸るために揮う壺でも、感情のまま周囲を煩わせる老骨でもない。

 

「…………っ!!」

 

返ってきたのは無言の拳。

しかし拳の勢いは先刻までより明らかに弱まった。というより、振り下ろす拳の勢いを止めきれなかったようだ。

 

―何をするにも、初めは皆赤ん坊だ。周りから手助けされて覚えていくものだ―

 

あの時(未来の記憶)と同じように、背後から肩を掴まれ、語りかけられる感覚。

 

―他人と背比べをしてるんじゃない。戦う相手はいつも自分自身だ。重要なのは昨日の自分より強くなることだ。それを十年、二十年を続けていければ、立派なものさ。そして―

 

声のする背後へと顔を向けると、古き懐かしい顔が変わらず笑顔を浮かべていた。

 

―今度はお前が人を手助けしてやるんだ。狛治

 

最後の言葉が続いていたかは定かではない。しかし間違いなく猗窩座の耳には聴こえた。

 

―狛治― と

 

知らないはずの名前。なのに何度も聞いた憶えのある名前だ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

親父が死に、師範に拾われてから一年ほど。俺はいつもと変わらない日々を送っていた。

早朝に起き、恋雪の容態を確認。就寝中に掻いた汗を微温湯(ぬるまゆ)に浸した手拭いで拭き、厠に連れて行く。それが終われば布団に寝かせ、ゆっくりと粥を食ませていく。

 

「ありがとう……」

 

食べ終わると、恋雪は礼を言ってくる。

喋るのも辛いはずだから、一々言わなくていいと何度も言ったが、それでも律儀に毎回礼を言うのだ。しかも"言わなくていい"と言えば、それに対してまた返事をしてくるから、本人を疲れさせないためには素直に礼を受け取ることだと、何十回と繰り返して気付いた。

 

「今日は少し気温も高いですから、暑かったらすぐに言ってくださいね」

 

「……うん……」

 

静かに頷いた恋雪は、少し苦しげにしつつも緩やかに眠りに落ちていった。

起こさぬよう細心の注意を払い、額の手拭いを取り替える。すると苦しげな呼吸が僅かに収まり、寝息の音が少し静かになる。

取り替えたあとの手拭いは少しばかり熱を帯びており、それだけで恋雪本人の体温の高さがよく分かる。

 

……今日は鍛練の前に、庭に水撒きをするのも良いかもしれない。水を張った桶を室内に置いておくだけでも、少しは涼しくなるだろうか。

 

恋雪が安定して眠りに入ったことを確認し、俺は敷地内の清掃や、鍛練を行なう。今回はその前に水撒きをしたのだが。

 

これが俺の日常。

何の変哲もない、面白味のない平凡な日常。だが今なら分かる。面白味のない平凡な日常こそが、この上なく幸せなのだと。

 

 

……………………………

 

 

幸せに(ヒビ)が入る瞬間。それは唐突にやってきた。

 

「……足跡……」

 

今朝方水撒きをしたから地面の土は若干泥濘んでいた。緩やかに乾いた土は形状を記憶しており、入り口から敷地内を往復した奇妙な足跡を残していた。

 

妙な胸騒ぎを覚え、急いで恋雪の居る部屋へと向かうと、扉の開き具合が明らかに変わっていた。そして嫌な予感は的中しており、布団の中に居るはずの恋雪の姿は何処にもなく、蛻の殻となっていた。

 

「っ…!!」

 

幸いにも、師範は今道場内で雑務をこなしている。恐らくまだ稽古場の中に居るはずだ。

 

「師範!! 恋雪さんが居ない!!」

 

師範は何故かは分からないが、俺の言いたいことや考えていることを的確に当てることができる。だからこの二言だけで何が起きたのかを把握している。

 

剣術道場の跡取り息子が気付かれぬように不法侵入し、恋雪を無理矢理連れ出したのだろう。

 

俺はそれ以上何も言うことなく道場を飛び出し、恋雪の捜索を始めた。

 

 

宛もなく探す訳にもいかないので、道行く人に聞き込みも行う。幸い素流道場の門下生という印象をこの一年間で周囲に付けることができていたため、罪人の入れ墨があっても皆快く応対してくれた。

 

消息不明になってから半刻程経ち、焦りが限界に近付いた頃、

 

こほっ……こほっ……

 

遠くの方から咳き込む声が聴こえたような気がした。生きていることに安堵したのか、咳込んでいることに焦りを感じたのか、気付けば咳き込む声のする方へと全力疾走していた。

 

「恋雪さんっ!!」

 

「こほっ……こほっ……」

 

町外れで人気の無い脇道、恋雪は地面に転がって咳込んでいた。

一体何があったのだろう。いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

咳の止め方なんて殆ど知らないが、上半身を少し上げて横向きに寝転ぶと良いと聞いたことがある。

 

この咳が酷い状態では、近くの町へ運んでいる余裕はない。一旦止めなければ、却って危険だろう。

俺は恋雪の上半身を少し起こし、腕と脚を使って丁度良い傾斜を作る。勿論体は横向きになるように。

 

それだけでかなり楽になったのか、恋雪の咳は少しずつ止まっていった。

 

「大丈夫ですか……?」

 

「ふぅ……ふぅ……ふぅ…………ごめんなさい……」

 

普段の謝罪と違って、今回のは本当に恋雪は何も悪くない。普段のも別に何も悪くはないが。

 

「貴女が悪い訳じゃないですから。一旦落ち着きましたか?」

 

「うん……。ありがとう……」

 

多少は会話もできる程度には落ち着いたようだ。

このまま楽になるまで待ちたいところだが、生憎慌てて飛び出してきたせいで飲水を持ち合わせていない。

なるべく早く近隣の町へと向かわなければ……。

 

「動きますよ?」

 

良いかどうかの返事はなかった。だがそれを待っている余裕はない。

恋雪に負担が掛からぬようにゆっくりと立ち上がり、両腕で抱えたまま町へと向かう。

 

 

 

「恋雪ちゃん!!? 狛治!!」

 

「すまないが、温めの飲水をくれないか?!」

 

師範の面識のおかげで、恋雪の体の弱さは周知の事実となっていた。それ故端的に頼み込んでも、疑うことなく聞き入れてくれる。本当にありがたい限りだ。

 

「狛治! こっちに来い! 丁度洗い終わった布団がある!」

 

毎日世話になっている八百屋の店主に手招きされるがままに付いていき、石鹸と日の香りがする布団に恋雪を寝かせる。

そして温めの飲水で喉を潤させると、僅かにしていた咳も治まって眠りに就いた。

 

「助かりました……」

 

張り詰めた空気から解放され、俺は思わず深い息を吐いた。この調子なら、命に別状はなさそうだ。

 

「お前さんが恋雪ちゃんを連れ回す訳はないだろうが……一体何があった?」

 

「分かりません……。師範と稽古をしている間に、誰かが連れ出した……んだと思います……」

 

自分の中では確信しているが、万が一そうではなかった場合、面倒なことになりかねない。だから濁して言うしかなかった……のだが、

 

「……剣術の跡取り息子(アイツ)か……。大方察しはついたぞ。

恋雪ちゃんが好きだから連れ出したが、道の途中で咳が止まらなくなったのが怖くて放ったらかしにしたんだろう」

 

「…………」

 

命に別状がないから良かったが、もし恋雪が死んでいたら……。考えただけでも恐ろしい。

 

「とりあえず、お前は恋雪ちゃんの看病してろ。俺が慶蔵さんを連れてくるから」

 

「あ……師範も多分探し回ってて道場には居ないかもしれません」

 

「んー…どうしたものか……。いや、探す必要は無くなったみたいだ」

 

玄関の外を見ると、師範が町の人から説明を受けている真っ最中だった。町の人が此方に指をさすと、師範は此方を見て一目散に走ってきた。

 

「狛治! 恋雪は?!!」

 

普段の気の抜ける笑顔を忘れ、師範は恋雪の容態を早く教えろと言わんばかりに大きな声を部屋に響き渡らせる。

 

「命に別状はないです。ただ咳と汗が酷いです」

 

「そうか……。とりあえず、無事で良かった」

 

娘の無事を知り、安堵したと同時に、師範は拳をガタガタと震わせ始めていた。雰囲気からして、事の発端を知っていそうだ。

 

「師範。一体何が…?」

 

「……剣術道場の跡取り息子だ。恋雪を無理矢理連れ出し、挙句道端に放置して逃げたと」

 

やはり、想像していた通りの内容だった。今回に関しては、俺や師範に対する嫌がらせという訳ではないのだろう。ただただ恋雪が好きだから構って欲しくて……いったところだろうか。

 

正直言って、俺や師範への嫌がらせならどうでも良かった。しかし病人に苦労をかけさせるのは、あまりにも……

 

「流石に看過できん。狛治、お前も付いて来い。矢尾(やお)さん、すまないが恋雪を寝かせたままにしても構わないか?」

 

師範は感情のままに動いてはいないようだ。恐らく道場に寝かせたまま向かえば、また同じ目に遭うかもしれないと判断したのだろう。そしてこの町の皆であれば、親身になってくれると信じているのだろう。

 

「ああ、俺もカミさんも看病は親で経験済みだ……介護かもしれんがな。

やり方はちょいと年寄り臭いかもしれんが、恋雪ちゃんは任せて、お前らは存分にやり合って来い」

 

 

 

師範は隣の道場に着くまで一言も発さなかった。喋るのが好きな師範にしては相当珍しい。心做しか進める足には力が籠もっていて、近くで歩けば少し地面の揺れを感じる。

 

「狛治。悪いが先にやってくれるか。今連中と手合わせしたら、うっかり首を折っちまいそうだ」

 

「……分かりました。俺が負けたときは、何とか殺さないように抑えてくださいよ……」

 

「ああ……分かってる」

 

 

思えば、俺と師範は似ていた。俺がこの場にいなければ、剣術道場の人間を皆殺しにしていたのは師範だったのかもしれない。

俺が絶望に打ちひしがれていた時、隣に師範が居れば、連中を殺してはいなかったかもしれない。……いや、恋雪が殺されたとなれば、二人掛かりで殺していただろうか。

 

深く呼吸をした後、師範は少々乱雑に扉を叩く。

少しして、門下生の一人が玄関をゆっくりと開いた。

 

「……なんだ、素流の」

 

「おたくの跡取り息子が、俺の娘に危害を加えたと聞いた。その落とし前をつけて貰いに来た」

 

辛うじて怒りを抑える師範を他所に、門下生は嘲笑しながら扉を閉めようとする。しかし、

 

「待て」

 

彼の後方から道場主がやって来た。そして彼の隣には、小動物のように縮こまっている跡取り息子の姿もあった。

 

「話はこの愚息から聞き及んでいる。貴様らのことは気に入らぬが、此度の件は素直に謝罪する」

 

どうやら彼奴が恋雪を連れ出したことは事実で、流石の道場主も命に関わることについては私情を挟まないらしい。

息子は悪くないと言うのかと思っていたから、この状況は正直なところ意外だった。

 

「貴様の要求を聞こう」

 

「俺たち二人と、あんたの門下生で試合をする。もし俺たちが勝った場合、二度と俺の娘に関わらないと約束してもらう」

 

道場主は静かに頷き、背中を見せた。上がれということか。

道場内には跡取り息子を除いて、門下生が九人。普段見掛ける出入りの数よりもかなり少ないような気がするが、それは今日が平日だからなのだろうか。

 

「貴様らが二人なら、此方も二人で相手をしよう」

 

道場主は九人の中から二人を選抜し、早々に試合を開始することとなった。

 

 

剣であろうと拳であろうと、試合の前には互いに礼。

そして下げた頭を上げ、一歩踏み込めば、闘いは音もなく始まる。

 

俺が構える前に、相手の門下生は木刀を大きく振り下ろしてきた。

師範の拳に比べれば、欠伸が出そうなほどに遅い動きだ。

 

「がはっ…!」

 

軽く回避して腹部に一撃入れただけで、相手の門下生は木刀を落としてその場に蹲った。

 

二人目も同様に一撃で倒し、剣術道場の敗北が確定した。……はずなのだが、何故か三人目が俺に木刀を構えている。

 

「……どういうことだ。先刻と言っていることが違うぞ」

 

「まあまあ、良いではないか」

 

道場主を睨み付けたが、彼は呑気に笑っているだけだった。だが嘲笑しているようでは無さそうだ。何か意図があるのか……?

 

だが二人だろうと九人だろうと大した違いはなく、俺は一撃も受けることなく完全勝利する結果となった。

 

「ふむ……。良いだろう。我々の敗北を認め――」

 

「巫山戯るなっ!! 何故俺たちがお前らの言い分を聞かなければならないんだ!!」

 

道場主の言葉を遮ったのは跡取り息子。案の定、この結果に納得がいかないらしい。

癇癪を起こし、俺に向かって真剣を思い切り振り下ろしてきた。

 

普段人を貶したりはしないが、今回ばかりは例外だ。コイツは何処まで馬鹿なのだろう。いい加減相手にするのも疲れるというものだ。

 

俺は拳を素早く振り、刃を側面から打ち叩いて真っ二つに折った。

 

「……は?」

 

目の前の結果に脳が追いついていないのか、跡取り息子は折れた剣先を見てその場に固まってしまった。

己の感情すら制御できない愚か者が跡取りとは、この道場が途絶える日も近いかもしれない。

 

「この……馬鹿息子が!!」

 

横で見ていた道場主は激怒し、跡取り息子の頭部に強烈な拳を叩き付けた。(こぶ)が大きく浮き出そうなほどの威力で、跡取り息子は悶えながらその場に転がってしまった。

 

「息子の無礼を……そしてこれまでの行いを詫びる。すまなかった」

 

転がり倒れる跡取り息子を他所に、道場主は俺と師範に対して深く頭を下げた。

 

「本当は二人が敗れた時点で負けを認めようと思っていたのだが、君の技があまりに美しかったので、もう少し見させて貰いたいと思ってしまった」

 

「…………」

 

どうやら先刻の笑みは、素流の技に感動した笑みだったようだ。

負けを認めれば、今後一切関わることができなくなる。即ち素流の技を観る機会も失われる。だから少しでも多く戦わせたかった。

そう考えれば、道場主の独断に不快感を覚えることはなかった。

 

「前の持ち主が道場を譲った理由がよく分かった。

約束しよう。今後一切、君たち家族と素流道場に関わらないと」

 

 

こうして、隣接する剣術道場との面倒事は片付くこととなった。

 

八百屋に戻る途中、

 

「いやあ、結局一人で全部片付けちまった。真剣を振り下ろしてきたときはどうなるかと焦ったが、流石は狛治だ!」

 

がははと笑う師範。先程までの怒りは何処かへ消え去ったようで、いつもの雰囲気に戻っていた。

 

「……まあ、太刀筋が丸分かりでしたから」

 

「それでもだ。普通は刀を振り下ろされたら焦って反応できない。だがお前は平静を保ったまま、完璧に危機を脱した。

恋雪の看病もだが、お前を門下生にして良かったと、改めて思ったよ」

 

「…………」

 

「お前にも、門下生になれて良かったと思ってもらえれば、もっと良いんだがな!」

 

……師範は俺の考えていることを見透かしているが、これだけは見透かせないらしい。

 

 

俺があんたのことを師範と呼んでいる時点で、答えなんて決まっているんだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

懐かしい記憶だ。

剣術道場の連中は気に入らなかったが、あの道場主だけはそうでもなかった。俺たちのことを嫌ってはいたのだろうが、約束事に私情を挟む人間ではなかった。

彼が主の間は本当に嫌がらせもなくなっていたし、俺が祝言を上げるまでにあの道場主が死んでいなければ、跡取り息子が井戸に毒を入れることも無かっただろう。

 

そうだ。俺が嫌いなのはただ弱い奴だからではなかった。弱い上に他者を重んじず、卑怯な手ばかり使う奴だった。

だからこそ、

 

「……心底気に入らん……!! 腹立たしい!!」

 

先刻まで正気を失っていた猗窩座は義勇と杏寿郎から背を向け、

 

-術式展開 終式・青銀乱残光-

 

七百程度の衝撃波を一発一発正確に放っていく。

 

「……何だ…!?」

 

戦闘相手である杏寿郎、義勇に被害は全く無く、衝撃波は誰も居ない方向へと飛んでいった。壁は原型を留めておらず、今にも天井が崩落しそうなほどに空気が流れ込む。

 

「卑怯な奴は嫌いだ。他者を騙し、喰らい、己の糧としようとする。そしてさも己自身で手に入れた力であるかのように振る舞う。傲慢極まりない」

 

何が起こったのか分からず言葉が出ない二人を他所に、猗窩座は己の人間離れした肉体を見て、これでもかというほどに大きなため息を吐く。

 

「俺も同じだ。ただ丈夫な身体に生まれ、人間を凌駕する身体能力を持つ鬼になっただけで、俺自身には何の力も無い。……つくづく……つまらない男だ…………」

 

「誰もがそうだ。どんな者であろうと、一人では何もできない。

俺は父から、冨岡は育手の方から剣を教わり、君は師範から武術を教わった。生き方もな。

一人で強くなった訳ではない。誰かに力を借りなければ、人は強くなれない」

 

「ああ……そうだな。

杏寿郎。強さとは肉体に対してのみ使う言葉ではない、だったな」

 

看病をすることは忍耐"強さ"だ。恋雪の母のように、看病が苦しくなって自殺してしまう可能性もあった。恋雪自身が生きる気力を失い、死ぬ可能性もあった。

 

「師範と恋雪の寛大な心のおかげで、盗人だった俺が真っ当に生きられていた。俺は……あの二人を……命に変えても守りたかったんだ」

 

猗窩座は二人に向き直り、憑き物が取れたように穏やかに笑みを浮かべた。そこには安堵や感謝といった感情が読み取れる。

 

「すまなかった。結局お前たちに……特に炭治郎には悪いことをしてしまったが、お陰で思い出せた」

 

「いや、俺たちは何もしていない。それどころか、鬼である君に稽古まで付けられた。柱として不甲斐ないでは済まないくらいだ」

 

戦う必要がないと判断した杏寿郎は、上弦の鬼を前に刀を鞘へと戻す。柄と鍔に仕込まれている電気の絡繰を無駄に消費しないためだ。

そして猗窩座も既に戦う意思はないらしく、構えの姿勢は完全に解いていた。

 

「いいや。炭治郎はお前が居なければ強くなれなかった。とは言っても、杏寿郎はそのことを知らないのかもしれんがな。

……少々遠回りしてしまったが、俺は目的を果たせた。お前ら鬼狩りに協力することは万に一つもない……というより出来んだろうからな。

俺はいい加減、地獄で罪を償わなくては。いつまでもあの人を待たせたくない。

それに、先刻のようにまた暴走してしまうかもしれん。

という訳だ。一太刀で頸を斬ってくれ」

 

「……承知した」

 

あまりに雰囲気が変化した猗窩座に困惑しつつも、義勇は刀を静かに構える。

 

-水の呼吸 伍ノ型 干天の慈雨-

 

両手を横に広げ、いつでも来いと言わんばかりに頸を差し出す猗窩座に対し、義勇は痛みを伴わない一太刀で頸を切断する。

 

「……見たことのない技だ……。水の呼吸には……こんな技もあるのだな……」

 

最期の最期で初見の技を体験した猗窩座は満足気に目を瞑り、そのまま塵となって消えていく。

 

「……感謝するぞ……義勇……杏寿郎……。炭治郎にも……伝えてくれ……」

 

「……」

 

完全に消滅したことを確認し、杏寿郎と義勇は炭治郎の元へと戻る。

がしかし……

 

「何処だっ!? 炭治郎!!」

 

先程まで居たはずの炭治郎は姿を消し、小さな血溜まりだけがその場に残っていた。

負傷した炭治郎が血痕すら残さず移動できるわけがない。

 

「よもや……分断させられたのか…!!」




【あとがき】

またまたお久しぶりです。そしてお読みいただきありがとうございます。
今回は猗窩座が中心のお話ですね。
話が色々ぶっ飛びすぎてて好みがはっきり分かれそうな気がしますが……致し方無しです。
原作と同じ感動的な終わりにするのもいまいちピンと来なかったので、最期をあっさり終わらせるような形にしました。
というのは建前で、猗窩座のお話を色々と広げすぎて、こういう流れ以外に思いつかなかったというのが本音です。
素人が無理するものじゃありませんね。

猗窩座の過去は単行本の幕間?に書かれていた"剣術道場の跡取り息子が恋雪を連れ出した"云々のお話です。
正直なところ、これを書きたかっただけです。

戦闘シーンはぶっちゃけおまけに近いので、暴走してからの描写は端的に書いてます。
短いと感じた方はご自分で脳内補完をお願いします。

無惨は当然ながら猗窩座の過去なんて知りませんし、知ろうともしてません。ただ出会ったときに彼の体が返り血塗れだったので、その辺りに関する記憶を呼び起こせば昔の"強さだけを求める"猗窩座に戻るだろうといった考えで記憶を無理矢理戻させてます。


モブキャラ名前が八尾なのは、八百屋の店主だからです。別に特別な意味は何もありません。

最後に放った猗窩座の終式は、前回童磨の術を破壊し尽くした攻撃です。(半年前の投稿なので忘れられてるかもしれませんが……)


炭治郎が何処に行ってしまったのかは今後のお話まで内緒です。
……まあ大体分かると思いますが。


さて、杏寿郎と義勇が"透き通る世界"を会得し、これで四人になりました。


次回は兄上のお話になる予定です。
次回がいつになるかは分かりませんが、半年に1回くらい思い出して覗いてもらえれば投稿されてるかもしれません。


誤字脱字があれば報告していただけると幸いです。



以下余談

正気を取り戻してからも無惨のパワハLINEが飛んできていましたが、猗窩座はガン無視してます。
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