人を喰らう悪鬼が滅んでから何十年、何百年…ひょっとしたら何千年という永い年月を生きた一人と一匹の鬼。彼らも記憶という形で未来を知ることとなる。
「………」
あまりに多くの情報量が一気に流れ込んできて、愈史郎はその場に立ち尽くす。
鬼殺隊と協力、鬼舞辻無惨を倒す、悪鬼が滅んだ世界で茶々丸と共に過ごす日々。
突如としてやって来る…外国との戦争、爆弾の降り注ぐ音、空襲から逃げ惑う人々の叫び、街を滅ぼす爆弾の投下により敗戦する日本。
「…愈史郎…?」
「…………」
愛する者の声すらも届かないほど、圧倒的な情報量。
羅列したものなど、ほんの極々一部に過ぎない。記憶の中の世界は目まぐるしく変化し、百年もすれば現在の文明など足下にも及ばなくなる。
「……愈史郎…!」
「…はっ…!…珠世様……」
大きな声で呼ばれて、愈史郎は漸く珠世が隣にいたことに気が付く。慌てて顔を向けるが、珠世は心配そうに見つめるだけだった。
「急に立ち止まって…どうかしましたか?」
言われて気付いた。現在珠世は研究中で、愈史郎はその手伝いをしていたのだった。
「申し訳ございません、珠世様。少し考え事をしてしまっただけです」
一瞬記憶の出来事を話すかどうか悩んだが、雰囲気からして珠世は未来の記憶を見ていない。ならばこんな残酷な未来を赤裸々に話すのは良くないのでは…と考えてしまう。
「…少し休憩しましょう。鬼だとしても、根を詰めすぎるのは良くありませんから」
「…はい」
自分が休憩しなければ、愈史郎は延々と手伝い続けてくれる…させてしまうと考えた珠世は研究の手を止め、個人用にしている部屋へと戻って行った。
「……」
愈史郎は部屋へと戻る珠世の背中を横目に、見た未来について考える。
もしこれが実際に起こる出来事なのであれば、珠世は次の年末年始に命を落とすことになる。それも無惨に吸収されるという最悪な最期。勿論これはただの記憶に過ぎない。だが荒唐無稽な話と切り捨てるには、あまりに精巧な情報過ぎた。
何故自分は未来を知ったのか。そして知った上で、自分如きに何ができるのだろうか。
何百年も前だとしても、珠世が人を殺したことに変わりはない。彼女はその罪を償うためならば、己の命を使うことも
そこに愈史郎の想いが入り込む余地など…微塵もありはしない。
「にゃあ……」
愈史郎が遣り切れない気持ちで立ち尽くしていると、不意に足元からか細い声が聞こえた。茶々丸の声だ。
「お前も見たんだな…茶々丸……」
愈史郎がその場で屈むと、茶々丸は跳び上がって愈史郎の肩に乗っかる。
今はまだ鬼ではない茶々丸。だが彼も未来を見たというのなら、鬼か否かは関係ないのだろう。そして珠世だけが知らないというのなら……。
「…何方にしても、俺たちから鬼殺隊に接触する訳にはいかない。炭治郎が遊郭で上弦の血を採るまでは待つしかないな」
彼らも未来を見たというのなら、接触するのは正しいのかもしれない。だがもし見ていないのなら……愈史郎と珠世は無惨だけでなく鬼殺隊からも命を狙われるようになるだろう。
不確実な未来と、確率の高い危険。愈史郎と茶々丸は、ひとまず二人…一人と一匹の心の中に留めておくこととした。
時を同じくして、蝶屋敷の者たちはカナヲ以外も未来を知ることとなる。
「………」
那谷蜘蛛山で負傷した隊士のための料理を作っている途中で不意に記憶が流れ込んできて、アオイは危うく包丁を足に落としてしまいそうになる。
未来を見て最初に出た言葉は
「しのぶ様…」
アオイは料理の手を止め、しのぶの元へと向かおうとする。だが肝心のしのぶはまだ柱合会議の真っ只中で、現在留守にしていた。
「アオイ…!」
名前を呼ばれて振り返ると、そこにはカナヲが慌てた様子で立っていた。無口で表情が少ないカナヲからは想像もできないほどに目を見開いて呼吸を荒げている。
そこでアオイは察する。カナヲも自分と同じで未来を見たのだと。
「カナヲ……しのぶ様が……」
「うん…でも今は柱合会議だから……」
互いに未来を見たというのなら、しのぶが喰われて殺される未来を変えるための方法を模索しない訳にはいかない。
二人は一方の私室に向かう。その途中、
「アオイさん…カナヲさん…」
きよ、すみ、なほが二人の元へとやってきた。表情からして、彼女たちも未来を見たということだろう。アオイとカナヲは三人も呼び、一室で話をすることにした。
「みんな、師範……しのぶ姉さんが死ぬ未来を見たんだよね…?」
カナヲの質問に、全員がゆっくりと頷く。それだけで、皆が見た未来が同じであるということが分かった。
ここで問題となるのは、どうすればしのぶを…皆の命を助けられるかということである。
「…私とカナヲで鬼舞辻無惨を…しのぶ様を殺した鬼を弱らせる薬を作るのはどうかな……」
未来でアオイとカナヲは、しのぶの後を継いで薬師兼医者になっている。その記憶を基に薬の研究をおこなえば、四種の薬以外にも多くの薬を作り出せるかもしれない。
「愈史郎さんにも記憶があれば心強いけど……連絡手段がないから…」
雲隠れしていない未来ならアオイたちも何かしらの連絡手段を持ち合わせていたが、今はそうではないため連絡手段が一つもない。それに未来を見たかどうかも不明なままだ。
「確か…炭治郎は遊郭で倒した上弦の陸を倒して血を送ったんだよね。その時に一緒に手紙も送れないかな?」
現状、それが唯一の連絡手段だ。そしてそれを逃せば、次に連絡が取れるのは何時になるのか分からない。そもそも炭治郎がいつ珠世に鬼の血を送っているのかも殆ど分からないのだ。唯一分かっているのは"無惨の血が濃い鬼"の血液を必要としていることだけ。上弦の鬼であればそれに当てはまる。
「…ひとまずそれしか無いか。
じゃあ…愈史郎さんの確認が取れるまでの間に私は薬の研究を始めておくね。カナヲは任務もあるだろうから、余裕があるときに手伝ってくれる?」
「うん、分かった」
「きよ、すみ、なほ。あなたたちはできる範囲で良いから炊事と、隊士の方々の手当てをお願いね。無理な時は呼んでくれたらすぐに向かうから」
「「「分かりました」」」
そうして、しのぶを除いた蝶屋敷の少女たちは未来を変えるために自分たちのできることを始めた。
………時間は進み………
炭治郎たちが遊郭で上弦の陸を撃破し、茶々丸は上弦の血液を受け取る。
「茶々丸。これは愈史郎さんに渡してくれるかい?」
炭治郎が上弦の血液とともに鞄へ入れたのは一通の手紙だった。
茶々丸の見た未来では、今此処で炭治郎から手紙を渡されることなどなかった。
「にゃあ…!」
まさかと思い、茶々丸は大きな声で鳴く。ただ愈史郎の血鬼術が発動してしまい、
「……にゃあ…」
茶々丸は小っ恥ずかしそうに、小さな声でもう一度鳴く。
「茶々丸も未来を見たのかな…?」
炭治郎は恥ずかしそうにする茶々丸を見て、少々笑みが零れる。
笑う炭治郎に怒りたい反面、彼も未来を知っているという事実に茶々丸は嬉しい気持ちがやってくる。
「愈史郎さんへの手紙はそのことについてなんだ。詳しいことは全部書いてあるから、戻ったら皆で読んでね」
炭治郎は茶々丸を軽く撫で、その場を去って行った。
「にゃあ~」
炭治郎に返事するかのように一度鳴き、茶々丸は姿を晦まして家へと帰る。
そして到着早々、茶々丸は愈史郎の下へと向かう。
「…炭治郎からの手紙?」
愈史郎は茶々丸から手紙を受け取り読む。
そこには未来の記憶、未来を見た者の共通点等に加えて、無惨対策の薬開発を今からできないか、という旨の内容が書かれていた。
「薬か…」
数百数千年先の未来を見た今、愈史郎の薬に対する知識はしのぶを…珠世をも凌駕する。四種の薬など半日足らずで完成させてしまうだろう。
「…作る分には構わんが…珠世様にどう説明するかだよな……」
「私がどうかしましたか?」
茶々丸と一緒に悩んでいると、不意に後ろからいつも聞く声が聞こえた。振り返ると当然珠世が立っていた。どうやら偶然聞こえてしまったらしい。
「……」
薬の開発に着手するなら、しのぶにも珠世にも話は付けておかなければならない。幾ら薬の知識を凌駕していようとも、鬼に関する知識は彼女たちの方が圧倒的に高いのだから。四種以外に薬を作るとなれば、二人の力は間違いなく必要になる。
「…珠世様。少し話があります」
愈史郎は決意し、未来で体験したことを一つ一つ話していく。とはいっても、全てを話していては一日二日経っても終わりはしないので、無惨を倒す日までの話に留める。
「………」
話を終えると、珠世は嬉しそうな、悲しそうな表情をしていた。
愈史郎の荒唐無稽な話を疑う素振りは微塵もない様子だ。
「炭治郎たちは…仲間が死ぬ未来を変えようとしています。でも珠世様……貴女は俺と茶々丸が何を言おうとも、考えをお変えにはならないのでしょう……?」
「……そうですね。変えるつもりはありません。
私は罪なき人々を大勢殺してしまった。どれだけ償おうと、それだけは変わることのない事実ですから」
予想していたとはいえ、本人の口から聞くとどうにも遣る瀬無い気持ちになってしまう。だとしても、愈史郎と茶々丸は珠世の選択を変えられるほどの器量を持ち合わせていない。
「…であれば……珠世様。今から鬼狩りと協力して、より無惨を追い詰めることに尽力しましょう。
無惨を弱らせれば、その分死なない鬼狩りも増えます。そうすれば珠世様が償う罪の量も少しは減りますよね」
何百年先か、愈史郎は珠世の生まれ変わりと出逢えたことが記憶で分かった。だが出逢えることを知っていたとしても、何百年も待つのは辛い。だからこそ、ここで珠世の罪を僅かにでも軽くすれば記憶よりも早く再会できるのではと思い至った。
「…分かりました。荷物を纏めて行きましょう」
あれほど鬼狩りと関わることを拒んでいた愈史郎がここまで言うのだから、珠世が却下する理由など何処にもなかった。
一度蝶屋敷宛の手紙を茶々丸に届けてもらってから、愈史郎たちは蝶屋敷へと向かう。
「…こんばんは。愈史郎さん。それから…珠世さん、でしたよね」
出迎えたのはアオイだった。平和になった世界で鬼の愈史郎と関わりを持っていたとはいえ、それは記憶に過ぎない。アオイは怯えつつも勇気を振り絞って二人と相対する。
「…はい、珠世と申します。…怯えさせてしまって申し訳ありません…」
「…いえ、私たちがお呼びしたのですから。むしろ悪鬼と同列に見てしまって申し訳ありません」
謝罪と挨拶も早々に切り上げ、アオイは珠世と愈史郎を屋敷内へと招く。…茶々丸はしのぶが苦手な"毛の生えた動物"なので、中庭でゆっくりしてもらうことにした。
「ひとまず…これだけですが作っておきました」
アオイが取り出したのは、"人間返り"の薬だ。珠世としのぶの共同で作り出した傑作の一つ。今のアオイにはこれ一つが時間的にも知識的にも限界だった。
とはいえ未来を知らない珠世にとっては、驚くべきものなのは間違いない。
「…鬼を人間に戻す薬……。私だけではどうしても作れませんでしたが……本当に……」
「…私は、珠世さん…貴女としのぶ様が作ったものを真似して作っただけです。
他の"老化"、"分裂阻害"、"細胞破壊"は私には分かりませんでした。ですので、珠世さんと愈史郎さんの力をお借りしたいのです」
「貸すに決まってる。師匠は弟子の頼みを聞き入れるのが当然だからな」
頭を下げるアオイに、愈史郎は笑って願いを快く聞き入れる。そして早々に研究を開始する。
一時間ほど経過した頃、
「…何故此処に鬼が居るんでしょうか……」
警戒した様子でしのぶが研究室へとやって来る。遊郭で負った傷の加減で戦うことは出来ない状態だが、殺意だけは鋭いままだ。
だが愈史郎は殺意を向けられても怒ることなどせず、一つの薬をしのぶに見せる。
「…なんですかこの薬」
「お前が未来で珠世様と共同で作った"人間返り"の薬だ。これは其処の神崎が作ったものだがな」
愈史郎の指差す方に目を向けると、アオイは椅子に座って静かに眠っていた。
あれだけ鬼を前に恐怖を隠せなかったアオイが鬼の前で堂々と眠っている。そんな姿を見たしのぶは、警戒心は解かないが殺意を向けるのは止める。
「言いたいことは山ほどあるだろうが、とりあえず半日くらい待て。残りをさっさと完成させるからな」
警戒するしのぶを尻目に、愈史郎は作業に戻る。しのぶはひとまず近くにあった椅子に座り、珠世と愈史郎の動向を注視していた。
それから三時間ほど経過した頃、アオイが欠伸をしながら目を覚ます。
「ふわぁ……あれ…しのぶ様?」
「アオイ…この状況を説明して欲しいんだけど」
しのぶの目線の方を向くと、愈史郎が調薬する姿があった。
「…しのぶ様だけじゃなくて、今生きている隊士の皆さんにも死んで欲しくないんです。だからこの
「…何方も未来を知っているということですか?」
アオイが"人"という言葉を使ったことに違和感を覚えながらも、しのぶはその点に触れることはなかった。
「いえ、愈史郎さん…今調薬してる方だけが未来を知っています。愈史郎さんは鬼舞辻無惨の呪いがありませんから何百年と生きていたそうで、その間にも薬の研究はなさってたみたいです」
「そうですか……。あと、アオイが"人間返り"の薬を作ったと聞いたけど」
「…しのぶ様が未来で遺していた書類から真似して作っただけです。…それでも、私の知識だけでは"人間返り"だけが限界でした」
そもそもどの薬も常識の範疇を超えている。鬼という存在が常識の外に居るのだから、此方も常識の外へと行かなければならないのは仕方のないことなのだが。
「鬼への気持ちに整理がつかないのは分かります。私も未来を見てお二人を呼んだ後でも、少し恐怖心がありましたから。
でもしのぶ様の力がなければ、これ以上進めないんです。…なので少しずつでも良いので、気持ちを整理することに前向きになって欲しいです」
「……アオイがそこまで言うのなら……努力はしてみます…」
そうして七時間ほど経った頃、
「よし。これで"老化"、"分裂阻害"、"細胞破壊"は完成だ」
愈史郎は手早く三種の薬を完成させる。だが彼が手早く作れるのはここまでである。
「ここから先は…珠世様としのぶの力を借りないと何ともならん。俺は鬼だが、鬼に対する知識は大して無いからな」
「…薬の研究をしたいのは山々ですが、私には…やらなければならないことが……」
鬼か否かという、個人的な感情の問題ではない。しのぶは痣を発現させるという明確な目的がある。そして痣はあくまでも単なる通過点に過ぎないのだ。
「毒…ではないみたいだな。毒なら力づくでもこっちに協力させるつもりだったが、毒じゃないのならそっちを優先すれば良い」
鬼である以上、藤の花には敏感になる。だがあれほどしのぶから漂っていた藤の花の香りはほんの僅かにしか感じ取れない。それだけで自己犠牲を辞めたのだと分かる。
「協力できなくてすみません…。
…何かあったときは……連絡を寄こして頂ければ、可能な限り早く返事をしますので。後…この辺りの書類は勝手に見ていただいて構いませんので…」
しのぶは纏めた研究書類を机の隅に出した。
そして最初とは比べ物にならないくらいに落ち着いた感情で研究室から出て行った。
「…思っていたより殺意を向けられなかったな」
しのぶから殺意を向けられていたのはアオイが起きるまでの間だけで、その後からは警戒心だけだった。そして部屋から出ていくときは一礼してから戸を閉めていたので、少しは嫌悪感が消えたのだろうことが分かる。
「…私は鬼に恐怖してしまって鬼狩りを実質引退してますし…。
その私が普通にお二人と一緒に居たから、しのぶ様も考えをお変えになったのだと思います」
「そうか。まあ…鬼に怯えるお前は、鬼狩りの中でもよっぽど
さて…珠世様、お待たせ致しました」
三種の薬を作り終えた愈史郎は、放置してしまっていた珠世に声を掛ける。
そして座って眺めていた珠世は、愈史郎に呼ばれて立ち上がる。
「…愈史郎は本当に…私以上に薬の知識を身に付けているのですね」
四百年以上生きてきて、その半分近くを医者として過ごしてきた珠世。愈史郎からの好意を理解してはいるものの、やはり彼は我が子の様な感覚がある。そんな我が子の成長に嬉しさを感じる一方、親の手から離れていく寂しさも感じてしまう珠世であった。
【あとがき】
お読みいただきありがとうございます。
今回は愈史郎とアオイがメインのお話です。
愈史郎が生きてる間珠世の絵を描いていたのは原作で描かれてますが、薬に関しても珠世の生きた証ですから、珠世の後を継いで研究とかしてそうです。
しのぶについては、アオイが珠世・愈史郎と一緒に居るだけで二人に対する認識を変えるのではないかなと。
ちなみに愈史郎が師匠と言うシーンがありますが、アオイだけでなくカナヲも愈史郎の弟子という設定にしています。
誤字脱字があれば報告していただけると幸いです。